【インタビュー】時代の変化に対応していく柔軟性が組織を大きく強くする【第1回】 | ページ 2 | 会計士の履歴書
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時代の変化に対応していく柔軟性が組織を大きく強くする【第1回】

日本クレアス税理士法人/株式会社コーポレート・アドバイザーズ / 中村 亨

時代の変化に対応していく柔軟性が組織を大きく強くする【第1回】

日本クレアス税理士法人/株式会社コーポレート・アドバイザーズ / 中村 亨

今回、特集でご紹介するのは、日本クレアス税理士法人|株式会社コーポレート・アドバイザーズ代表中村亨(なかむらとおる)さんです。
監査法人から、コンサルティング会社で活躍し、独立して会計事務所を設立。後に組織再編を経て、日本クレアス税理士法人、日本クレアス社会保険労務士法人、株式会社コーポレート・アドバイザーズ・アカウンティング、株式会社コーポレート・アドバイザーズM&A率いるグループの代表に就任。

バブル崩壊後というタイミングで会計士となり、リーマンショックなどの危機を乗り越え、サービスの多角化と拡大で組織を成長させてきたその過程で、どのようなチャレンジや決断があったのかを伺いました。

本特集は、3回に分けて掲載いたします。第1回は、会計士になるきっかけと、監査法人での仕事についてです。

日本クレアス税理士法人/株式会社コーポレート・アドバイザーズ
会計・税務のみでなく、相続・事業承継、人事労務・給与計算、労務相談、M&Aや助成金の申請支援など、クライアントの企業活動に必要なサービスをワンストップで提供。会計士、税理士、社会保険労務士、医療コンサルタントといったメンバーで構成されるプロフェッショナル集団。

キャリアサマリー
1988年 :大阪府立北野高等学校卒業
1993年 :早稲田大学政治経済学部政治経済学科卒業
1993年 :公認会計士二次試験合格・監査法人トーマツ(当時)入社
1996年 :公認会計士登録
2002年 :中村公認会計士事務所設立
後に組織再編し以下となる。
日本クレアス税理士法人、日本クレアス社会保険労務士法人、株式会社コーポレート・アドバイザーズ・アカウンティング、株式会社コーポ
レート・アドバイザーズM&A

3トップを目指すか独立か。時代に背中を押されて出した選択

どのような思いがあって監査法人を退職されたのでしょうか

監査法人には7年間お世話になりました。
4年目以降は自分自身の成長を実感でき、充実した日々を送っていました。
トーマツをやめる気はこのころはなく、むしろ出世したいという気持ちのほうが強かったです。

私自身は、トーマツで働きながら、当時の監査業界というのは業界的に構造的な問題を抱えていると感じていました。
まだ若かった私は、「この業界は変えていかなければならない、そのためには偉くならなければならない」と思って頑張っていました。
(ちなみに私がトーマツを退職した後に監査業界は、米国のエンロン事件、ワールドコム事件、そして名門アンダーセンの解体、日本ではカネボウ事件、ライブドア事件が続き、名門である中央監査歩人が太田昭和監査法人と一つになり新日本監査法人が誕生する、という大きな転換点を迎えることになります)

一方で、もともと独立心が強かったせいもあり、会計士や税理士であればだれもが一度は考えるであろう「独立」のキーワードも忘れ去ったわけではありませんでした。

そのころ時代は1999年に差し掛かり、ベンチャーブームであり、マザーズやナスダックジャパンが創設され、連日のようにソフトバンクのような(当時の)ベンチャー企業から新しいニュースリリースが出される時代であり、時代の転換点を認識する毎日でした。
1999年に日産がルノーの傘下に入り、外国人経営者が誕生し(トーマツがデューデリジェンスを受託し、日本にデューデリジェンスやM&Aといった手法が普及し始めます)、「グローバル」という言葉が企業経営に根付き始めた頃で、各監査法人においてもFASを担う部署が設立された時代でもありました。

そのような時代背景の中、監査法人でトップを目指すか、新しい領域にチャレンジするか。
結論は「チャレンジ」でした。
「冒険したい」というのが自分の心の中の正直な気持ちであることに気づき、ベンチャーブームの波に乗り、IPOコンサルティング業務に踏み出すことを決意しました。

(第2回へ続く)

インタビュアー:桑本 慎一郎
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