塚越学(つかごしまなぶ) | ページ 2 | 会計士の履歴書 | 活躍する会計士たちの仕事やキャリアを紹介

株式会社日本ギャップ解決研究所

代表取締役/所長

塚越 学 つかごし まなぶ

ワークもライフもすべてをキャリアにする、この決意と覚悟が必要
革命家タイプ
革命家タイプ

1975年8月12日生まれ(49歳)
東京都出身 ・ 東京都在住
中央大学経済学部 卒業

4あなた独自の強みと今現在の仕事との関係性

同じ事実もポジティブに捉える思考(もともとの自身の特性)
人に惚れやすい、人を肯定的に捉える性善説(もともとの自身の特性)
証拠やデータに基づく行動思考(会計士時代に身に付けた強み)
組織のトップや上位者にも物怖じせず、決定の質が上がるなら厳しい指摘もする批判的態度(会計士時代に身に付けた強み)

上記の強みが現在の仕事に活きているし、これからもプロフェッショナルとして、時間と成果と報酬にこだわって仕事をしていきます。

5仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間

(1)CPAの社会的使命

スタッフ時代、J-SOX導入準備で繁忙になっていたときに、大きな会計不正案件の緊急監査チームが立ち上がり、そのメンバーになりました。
日中は担当クライアントで仕事をこなし、定時後に不正案件の監査チームと合流し、夜遅くまで仕事をすることも珍しくない生活。
でも毎日ワクワクする日々でした。
当時下っ端だった私からするとこの監査チームはドリームチームで、部署内で「デキる!」と高い評価を得られていた上司や先輩たちが各方面から寄せ集められていて、平時の仕事をしていたら一緒に仕事することがほとんどないような人たちばかり。
さらに、世間的にもこの不正案件は注目されていたので、公認会計士としての社会的使命感を大きく感じていました。
大手監査法人だからこそ経験できる仕事だ、と思いましたし、デキる上司や先輩たちの「これが会計プロフェッショナルだ!」という力の発揮を間近に見ながら、自分の力不足を痛感し、もっともっと自分の実力を上げなくては!と心が大きく動き、成長したいと思った瞬間でした。

(2)「CPA×プロボノ」の成功体験

2008年、FJ理事会が公開されていて賛助会員である私も傍聴していたとき、ちょうど理事会ではファザーリングファンドの立ち上げを議論していました。
そこで、安藤代表から声をかけられます。
「塚ちゃん、会計士だから、ファンド立ち上げのコアメンバーに入ってくれる?」
こうして、当時、三井物産で不動産ファンド事業の管理職だった、川島高之氏、さわかみ投信の役員だった仲木威雄氏、そして私の3人がコアメンバーとして立ち上げ議論を開始することになりました。NPO活動の1つは、国の制度の欠陥からこぼれ落ちる人をNPOが支えながら、政策提言の実現によって制度の欠陥を補修していくこと。FJのミッション「笑っている父親を増やす」を考えたとき、笑っていない父親の1つにシングルファザーがいました。国の経済的支援「児童扶養手当」が対象としているのはシングルマザーのみ。父親は稼げるから困窮しない、そういう立て付けで50年間成立していた制度の欠陥でした。世はリーマンショックのあおりをうけ、シングルファザーは困窮していました。国は、経済対策として国民ひとりひとりに1万2千円をばらまく「定額給付金」を検討していました。そこでファザーリングファンド第一弾を父子家庭応援基金とし、定額給付金を困窮している父子家庭に寄付しようというスキームを組みました。キックオフから2カ月ほどで記者会見まで漕ぎつけます。たくさんの得意技を持った父親たちと連携し、他の専門家や団体の協力を仰ぐことでこのスピードを可能にしました。メディアに大きく取り上げられました。定額給付金を寄付へという大きな流れを作り上げることができました。
同時に、父子家庭支援団体は全国に散らばっていました。これを1つにまとめて「全国父子家庭連絡会」を創設、FJがバックアップする形を取り記者会見を行いました。当事者たちが動き始めたことによって、政策提言、ロビー活動が力を増します。国会を動かし「児童扶養手当」が50年ぶりに改正。シングルファザーもその支給対象者となりました。父親が本気になれば、国を変えられる。笑っている父親が社会を変える。
FJが遊び系団体から社会課題解決団体への深化し、私にとって「CPA×プロボノ」が実を結んだ瞬間でした。

6公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと、それをどのように乗り越えたか

1.「CPA×父親・ワークライフマネジメント」への挑戦

第一子出産後、2週間の有休で妻と一緒に子育てをしました。
新生児育児は仕事と大変さの質が違うことを体感。これは妻だけでは無理だ、子育ての苦楽は夫婦でシェアしたいと思いました。
ファザーリング・ジャパンに入会すると、父親のロールモデルがたくさんいました。
有名企業で成果を上げながら、育休も取得し、仕事も子育ても楽しんでいる父親たちと接していくうちに、仕事と子育ては父親でも両立できると確信するようになりました。FJパパたちからたくさんのアドバイスをもらい、1カ月間の育児休業を取ろうと決意しました。ただ、トーマツでは、私が所属していた400名いる組織の中で男性の育休取得は私が初めてでした。私は、1カ月の育児休業を取得しました。
復帰後も、仕事は相変わらず多忙の中、株式会社ワークライフバランス代表の小室淑恵さんを知ります。
資生堂で活躍後、私と同い年ながら複数の本を出版し、ワークライフバランスコンサルで実績を上げ始めていました。
私もワークライフバランスを実現したいと、仕事と子育ての両立で格闘するなかで、仲間はいないかと思ったときに、ワーキングマザーの会計士たちを思い浮かべました。トーマツでは、ワークライフバランス系のプロジェクト「T-winプロジェクト」が立ち上がっていました。当時のメンバーは女性ばかりで、思い切って男性でも参画させてもらえないかとプロジェクトリーダー林恵子さんに直談判してメンバーに参画させてもらうことにしました。
こうした社内外のプロボノ活動は、多忙な会計士の仕事の合間に行っていました。
仕事、子育て、社会活動と時間が足りず、苦しんでいたとき、FJで父子家庭応援基金のシンポジウムで登壇をお願いし、東レ経営研究所社長の佐々木常夫氏と出会いました。佐々木さんは、自閉症の子どもを含む三人の子育てと、うつ病に苦しむ妻を看ながら、仕事では成果を出し続け、東レで取締役、東レ経営研究所では社長をしていました。彼はワークライフバランスなんて生易しいものではないとして、ワークライフマネジメントという言葉で講演を行っていました。トーマツのTwinプロジェクトで、佐々木常夫氏の講演会を企画。私は、その講演会で、FJ子育てパパヂカラ検定をトーマツ版に焼き直して「パパママ力検定」を実施。トーマツの関東ブロック責任者と佐々木常夫さんが検定を受けながら対談するイベントも実現しました。
「ワークライフバランス」から「ワークライフマネジメント」へと進化させ、自分の仕事と子育ての両立だけでなく、職場環境の改善活動に努力を重ねる日々でした。

2.「CPA×父親の育児休業推進」

2009年8月8日、一本の電話が入りました。
「(FJ代表)安藤だけど、そろそろファザーリングファンド第二弾を考えたいんだよね。男性の育休応援ファンドどうかな?今、つるの剛士が育休取るってメディアで盛り上がってるでしょ?彼とタイアップしたりさ。育休法も改正される予定だし、タイミング今だと思うんだよね。
で、塚ちゃん、この前、育休取ったし、次のリーダーよろしくね~」
軽いノリで重いリーダ職が丸投げされた瞬間です。
当時、男性の育休希望者は30%を超えていながら、実際の育休取得率は1.23%でした。
その取得しない原因は様々な先行研究によると大黒柱を担っている父親の経済的負担だと指摘されていました。であるなら、経済的負担を軽減するファンドを立ち上げようという発想です。
FJの育休取得経験パパを集結して、議論を重ね、ママのすべてが産後ケアの必要な産後8週間にターゲットを絞り、「さんきゅーパパプロジェクト」と名付けました。パパ育休の募集枠を限定するスキームを構築し、プレスリリースしました。つるの剛士氏の事務所と交渉し、応援を取り付け、動画撮影。フローレンス駒崎さん、ワークライフバランス小室さんからも応援メッセージをもらいました。
安藤代表はパパ友だった成澤文京区長に育休取得を促し、文京区長はサイボウズ青野社長をツイッターでたきつけて、自治体トップや企業のトップが育休を取る流れを作りました。
男性の育児参画の特集番組が多く組まれ、同時期にFJで事業展開していたファザーリングスクールに取材が殺到し、どのテレビ局の育休パパの密着取材も私のプロジェクトから紹介したパパたちばかりという状態になりました。翌年、流行語に「イクメン」がノミネートされ、つるの剛士さんが授与。イクメンブームの一翼を担うことに成功しました。
私は、「CPA×男性の育休推進」という稀有な実績を上げることができました。
5年後、この「さんきゅーパパプロジェクト」をもとに、内閣府は「さんきゅうパパプロジェクト」を立ち上げ、国家プロジェクトとして推進されていくことになります。

3.「CPA×介護」

トーマツではマネージャーに昇格しました。同時に二人目の子供が誕生したので、管理職ながら、産前1カ月の有休、産後1カ月の育休を取得しました。復帰後、仕事中に連絡をしない妻から電話がありました。胸騒ぎがしました。
妻の父を7年間介護していた義兄が亡くなりました。義兄すら救えない私が父親支援なんて、どの口が言っているんだ。
もうファザーリング・ジャパンを辞めよう、と思いました。その夜、義兄が残した日記を手に、妻から義兄の思い出話を聞きました。
義兄は、小さいころから厳しい父との関係が悪かったにもかかわらず、唯一の理解者だった母がガンで他界した後は、献身的に父の介護をしていました。義兄の父は笑っている父親ではありませんでした。
もし笑っている父親だったら、義兄の人生は幸せだっただろうか。私の父は笑っていました。
私が大学受験に失敗したとき「これからは手に職をつけて生きる時代だ」という父のアドバイスで私は、公認会計士という資格を見つけました。
ダメだ、ファザーリング・ジャパンの活動を辞めては。これからも笑っている父親を増やそうと強く思いました。
私は義兄の時計を身に付け、義兄の時間を引き継ごうと決意しました。義兄の日記には「介護施設を探してほしい」と書いてありました。
ところが関東近辺、介護施設はどこも満床、待機は長蛇の列でした。父のいる病院からは退院を促されていました。
一体どうしたら・・と、途方に暮れていました。
その直後、東日本大震災が起こりました。
職場では、監査手続きの見直し、スケジュールの調整。家庭では、子ども二人の育児と父の介護。
家庭も職場も大混乱に陥りました。そのとき私を支えたのは、FJのパパ友たちであり、佐々木常夫氏の著書でした。
彼の著書「働く君に贈る25の言葉」にはこうありました。
「それでもなお」という精神があなたを磨き上げていく
君は人生の主人公だ、何者にもその座を譲ってはならない
多忙な業務、育児と介護。この経験を生かした仕事が本業でできたらとそう思い始めていました。繁忙期を超えたころ、トーマツでは早期退職募集を発表しました。私にとって、渡りに船でした。
私は、日本における子育てと介護という大きな課題と対峙すべく、ワークライフマネジメントの実現を本業にすることを決意し、佐々木常夫氏がいる東レ経営研究所に、転職することに決めました。

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