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株式会社SoVa

代表取締役CEO

山本 健太郎 やまもと けんたろう

-想像から創造へ-誰もやらないことにこそチャンスがある。設立時からベンチャーにジョインした若きCFO
起業家タイプ
起業家タイプ

1994年1月11日生まれ(30歳)
東京都出身 ・ 東京都在住
慶應義塾大学 商学部商学科 卒業

4あなた独自の強みと今現在の仕事との関係性

強みというのが自分で分かっておらず,あまり考えたこともないのだが,私はいわゆる0から1を創るのが好きで,「前例がない」と聞くとテンションが上がるタイプである。そして,周りの多くの人が反対したり,やめておいた方がいいと言ってきたことで,自分と自分の信頼する仲間が良いと信じられるものを見つけた時は,必ず行動に移している。“前例がない”というのは,過去に成し得た人がいないということに過ぎず自分が行った時に成功しない理由になるものではない。しかも,こういう原因があるから失敗するよ,という失敗原因があらかじめ示されているものなので,むしろあらかじめリスクが明示されている分,そのリスクや問題を解決すれば良く,何がリスクかも分かっていない場合より案外乗り越えるハードルは低かったりするのだ。

難しいのはむしろ,多くの皆が賛成しやろうとしていることだ。そういった分野こそライバルは多いし,経験値に勝る先輩方に勝つのは難しい。そういった考え方だから,当時としては珍しく,学生時代から資格学校の講師をしていたし,実務もやってない準会員の身でCFOにもなったし,一般社団法人の設立などもしたのかもしれない。私にとっては,監査法人に行って何百人といる同期と競争しながら毎日を過ごすより,誰もいないフィールドで1人走っていることの方が気が楽だし,やる気も出たのだ。

こういった考え方は今風に言えば,楽観力というものなのかもしれない。あまり未来のことや,自分の能力の限界などは考えず,「なんとかなるでしょ,失敗しても死ぬ訳じゃないし」と思って生きている。

そして,自分の中でもう1つ大切にしている心のバランスとして「70%の自信と30%の不安」というものがある。この言葉は私の尊敬する方が言っていた言葉で,意味としては,70%ある自信が新しいことへチャレンジする際にそれを進める勇気をくれ,100%の自信を持つことを妨げる原因となっている30%の不安が自分にそれを取り除かせようとさせそのことが努力へと繋がる,というものである。私は常にこのバランスを意識し,自らの中で自信と不安をコントロールさせている。もしかするとこのコントロールが私の1つの強みなのかもしれない。

5仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間

私が最も心が動いた瞬間は,大学4年時に『全会連』を設立した時であった。この団体の設立趣旨は,“会計士受験生のドロップアウトを防ぐ”というものであった。当時,大学生で公認会計士を目指し資格学校等に入学する学生のうち約半数以上は短答式試験を受けることなく,途中で勉強を辞めてしまっていた。その主な理由は,一緒に目標に向かって勉強する仲間やライバルがいなかったり,学習相談ができる人が少なかったりすることであった。こういった孤独を理由に公認会計士を諦めてしまう人を減らそうと,受験生のネットワーク団体として全会連の設立を決意した。

しかしながら,自分の所属大学以外の大学に受験生の友人などいなかったため,補修所や友達の紹介で他大学の学生合格者に会ってビジョンを語り,一人一人お願いをして全会連の運営メンバーになってもらった。こうして14人の運営メンバーを集めて,最初の受験生イベントを開催することにした。しかし,この最初のイベント開催についても苦難の連続だった。受験生集客100名を目標にしたものの,人はいっこうに集まる気配はない。その1つの原因は参加費の高さだった。はじめ受験生の参加費は3,000円としていたが,それはアルバイトもせず勉強に打ち込んでいる受験生にとっては大きな負担となっていた。そこで参加費を500円まで下げ,知っている受験生一人一人に個別でメッセージを送った。

その結果,イベントには目標通り100名の参加者が集まったが,自分の元には参加費を下げたしわ寄せで100万円近い損失が残った。当時は自分も学生だったため,この損失の存在は大きく,途方に暮れていたら,ある大手法人の理事長が話を聞いてくれると連絡をくれた。「5分だけ時間をあげるから,君のやりたいことをプレゼンしなさい」と言われ,とても大きな応接室で必死に全会連のビジョンや将来を語った。当時のことは,緊張しすぎて今ではほとんど覚えていないが,後から同席したパートナーに聞くと,私は「今回のイベントで100万円の損失が出て,今それは自分が負担している。このままでは,継続してイベントを行うことはできない」と若干21歳の身で大手法人の理事長に「お金ください」プレッシャーをかけていたらしい。予定の時刻を大幅に過ぎ30分ほど話し議論したのち,理事長は「この子の損失を4法人で負担してあげなさい」とおっしゃり,立ち去った。その後すぐに100万円が振り込まれ,全会連は大手4法人の全面協力をいただけることになった。

理事長のあの一言がなければ今の全会連も今の自分もない。あの瞬間は心が震えたし,頑張っていればきっと誰かが見ていてくれるから,“自分を信じて頑張ろう”と心に決めた瞬間だった。

6公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと、それをどのように乗り越えたか

私が今までのキャリアで深く悩んだことは,やはりスタートアップのCFOだと思う。通常,会計士が行うCFO業務と言えば,資金調達や管理体制の構築・強化,上場準備,経理統括,予実管理,資金管理などといったものが思いつくかもしれないが,私が行った業務はそのどれでもなかった。創業期というのはお金もないが人もいない。なので,バックオフィス系の業務は一番分かってそうな“雰囲気”を持っている私のところに全てまわってきた。

経理,税務系の業務なら多少は分かるが,法務や契約書チェック,労務系のこととなってくると,もはやさっぱり分からなかった。ただ,なんとなく「分かりません!」と流して返すのも嫌なので,「考えます!」と持ち帰って,どうしようかとウンウン唸る日々が続いた。今までの受験勉強や資格学校の講師業の中で,「知らないからできない」「分からなかったら,人に聞いて教えてもらう」ということが当たり前となっていた自分にとって,これはなかなか大変だった。もちろん最終的には誰かに聞かなければいけないのだが,質問するためにもそれなりの事前調べが必要だし,誰が答えを知っているかも分からないし,最悪の場合答えがなかったり,複数あってどれが正解なのか分からない・・・ということさえある。

この点については,今なお“乗り越えた”という感覚はない。1つ問題を解決しても,すぐに次の課題やチャレンジは発生してくるし,分からないことはまだまだたくさんあるし,乗り越えたなんて感覚は当面持てそうもない。入社初期と同様,今だってウンウン唸って考えていることは多いが,もはやそのことには“慣れた”という意味では,ある種乗り越えたのかもしれない。

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