津金庸平(つがねようへい) | 会計士の履歴書 | 活躍する会計士たちの仕事やキャリアを紹介

ミライズ会計事務所

代表

津金 庸平 つがね ようへい

コンサルティングを手がける独立系会計士。スタートアップの課題解決に専門性を発揮
委員長タイプ
委員長タイプ

1981年3月29日生まれ(42歳)
神奈川県出身 ・ 神奈川県在住
明治大学 商学部商学科 卒業

委員長タイプの特徴
  • 内向的
  • 臨機応変型
  • 大局タイプ
  • 個人主義
  • 伝統型
  • 外向的
  • 計画管理型
  • こだわりタイプ
  • 集団主義
  • 革新型
  • 30
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  • このタイプの割合
    回答者全体の
  • 0.8%

社交性があるため、積極的に他者と関わる傾向にある。
また好奇心を持って物事と向き合うため周囲に活動的な印象を与える。
ストレス対処もうまく、常に落ち着いた行動をとることができる。
予定調和でない臨機応変な対応をとることができるが、計画性を持って行動しなかったり協調が取れなかったりすることも。
また形式や従来のやり方を重んじる傾向にあり、具体的に物事を捉えながら仕事と向き合うことができる。

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1キャリアサマリー

金なし コネなし 能力なし もがき苦しんだ末にたどり着いた道
~30代からのスタートアップベンチャーリアル体験記~

私は人様に披露できるような立派なキャリアは歩んでいませんが、若い時の自分と同じように悩み苦しんでいる若い会計士の暇つぶし程度の記事になれば良い、そう思って筆を執ることにしました。

簡単にキャリアを述べますと、大学卒業後、会計士試験を目指して勉強し、四苦八苦の末にようやく合格することが出来ました。

今は無きみすず監査法人の第1期として入所したものの、入所して3か月程で同法人が解散することを通勤途中の電車内で新聞を読んで初めて知りました。思えば、出だしから波乱の会計士人生のスタートだったと思います。みすず監査法人から新日本監査法人に移籍し、国内監査部に約6年半所属した後、他部署が企画したベンチャー支援プロジェクトに参加することになりました。プロジェクトの一環として、ベンチャー・インキューベーション施設としては国内では先駆的だった会社にトレーニーとして派遣されました。そこで、出会った数多くのスタートアップ企業に刺激を受けて、監査法人を辞めて、設立2年目のスタートアップ企業に7番目の社員として入社しました。経営企画部のスタッフとして、管理部門の立ち上げから、オフィス移転・大手IT企業へのバイアウトと短期間で色んな経験を積ませてもらいました。

その後、IPOを目指す別のベンチャー企業に入社しまして、3年ほど在籍し、取締役CFOとして資金調達をクローズさせたり、IPO準備に従事したり、果ては経営陣の交代、その後の業務立て直しに奔走したりと、この会社でも得難い経験をさせて頂きました。2017年12月に、会計士・税理士として独立しまして、現在は、複数のベンチャー企業で社外役員を務める傍ら、コンサルティングや税務業務に従事しており、自分の事務所を成長させることを夢見て奮闘しています。

2監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ

監査法人の国内部では、正直お話しすると、誇れるような仕事ぶりではありませんでした。今はそんなことは思わないですが、当時は監査業務にやりがいを見出すことができず悶々とした日々を過ごしていました。でも、過分な給与を頂いていましたし、他に進むべき道も見つからなかったので、無為の日々を過ごしていました。気が付けば修了試験も終わり、30歳を過ぎ、いよいよ将来への不安が募ってきました。“監査法人に一生残っていることは考えられないが、かといって次のアクションが見つからない”。そんな日々が続きました。

そんな時、所属する法人のIPO部門が企画した“ベンチャーCFO派遣プロジェクト”の社内公募があり、とても興味を惹かれました。もともと公認会計士を目指したのは、IPO支援や企業経営に携わることを目標として始めたのを思い出しました。このプロジェクトはその名の通り、ベンチャー企業に公認会計士をCFOとして派遣することを目指したプロジェクトですが、その狙いはベンチャー企業を支援することで新産業の創出につなげることにありました。もちろん、最終的にそのベンチャーが監査クライアントになることも目標の一つでした。

派遣されるにあたり、隔週土曜日の午後いっぱいを使って、CFOとして派遣されるためのトレーニングを受けました。毎回課題図書が与えられ、レポートを提出しないと研修に参加できないという厳しいものでしたが、研修内容は多岐にわたり、講師の方も刺激的な方が多く、毎回の研修がとても楽しみでした。プロジェクトがスタートして半年程経過したころから、ベンチャー企業に派遣されるメンバーが一人、二人と出てきました。自分も早く出向できる日を心待ちにしていました。

そのうち、とある有名起業家が設立したベンチャー・インキュベーション施設にトレーニーとして派遣される機会が訪れました。意気揚々と乗り込みましたが、初日に施設責任者の方に「君たちに期待することはないから自由に好き勝手やってくれ」と言われて大変戸惑いました。しかし、施設に入居しているベンチャー企業の人たちと話をするうちに、資金調達や営業の相談を受けるに至り、事業計画を作成したり、営業先を紹介したりしました。そのうち、コミュニティに溶け込み信頼を獲得することに成功し、最終的に正式な出向契約の要請を受けるに至りました。監査法人では、当たり前のように毎日やることが決められ、仕事は黙っていても降ってきましたが、本来仕事とはそのようなものではなく、自ら動いて作っていくものという、当たり前のことを認識させられました。自ら動いて周りを巻き込んでいく経験を積めたのはとても新鮮でした。また、同世代の起業家たちに刺激を受け、自分も早くベンチャーに飛び込んでみたいという思いを強くしました。ちなみに、自分はベンチャーCFOになる目標があったので、その施設への出向は別のメンバーが行くことになりました。

その後、監査法人の国内部ではなく、IPO部門に異動となり、業務をする傍らベンチャーに派遣される日を待っていました。IPO部門で出会った人たちもとても刺激的でした。国内部でお世話になった方達とは違って、良い意味で個性的な方々でした。パートナーからスタッフまで営業活動に熱心で自ら仕事を作っていく姿勢に大いに刺激を受けました。上司・同僚・クライアントにも恵まれ、待遇面でも満足でした。サラリーマンとしては、これ以上ないほど恵まれていると感じました。それまで、監査法人を辞めることばかりしか考えていなかったのですが、「ここで残って頑張ろう」そう思うようにまでなりました。しかし、冷静に考えればここにいるメンバーがずっと監査法人に残っているとも思えませんでした。個性が強く優秀なメンバーでしたから、みんないずれ外に挑戦の機会を求めていくこともわかっていました。

そんな中、私が尊敬する上司のもとに、今となっては有名な起業家がIPOの相談にやってきました。その会社は、事業は急速に伸びているものの、管理部門に誰も人がいない状況でした。ベンチャーCFOを目指していた私に上司が「この会社どう?管理人材探しているよ。会ってみたら?」と勧めてくれました。

そして、渋谷の道玄坂のオフィスに遊びに行き、社長と会うことになりました。実際にお会いしてみると、大学生の面影を残す若い社長で、正直「大丈夫かな?本当にこの人が社長?」と思いましたが、実際にお話してみると大変頭がよく、天性の起業家という印象を持ちました。「この人なら成功する!若い社長の下で自分も成長できる!」初めて会った時点で、入社を殆ど決めていました。社長をはじめ創業メンバーやスタッフは自分より10歳以上も離れており、また社会人経験もありませんでした。よく言えば、大学のサークルのような雰囲気で、勢いがすごくありました。そんな若い人達とやっていけるか不安ではありましたが、若いメンバーだからこそ30代の自分が行く意義があるかなと思い、入社を決意しました。そこから本格的なベンチャー人生がスタートしました。

3今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス

ベンチャーに入社して、最初の仕事は1年分の領収書を回収して決算を締めるところからスタートしました。1年間なにも記帳していない状態で、証票類を復元するところから始まりました。四苦八苦しましたが、顧問税理士の助けもあり、何とか決算が締まりました。また、他にも電話やインターネット接続が止まることもありました。調べてみると、引き落としになっておらず、請求書も紛失し誰も支払っていないことが判明。慌ててライフラインを復旧させることもありました。このような大小さまざまなトラブルを経験しました。決算が締まった後は、監査法人や証券会社の選定作業が始まり、いよいよIPOに向けて本格的にスタートすることになりました。

IPOに向けて「さあ、これから頑張るぞ」、と思った矢先に大手IT企業への売却が決まりました。自分としては少し残念な気持ちではありましたが、会社にとってそれが最善の選択だったと思います。バイアウト後は、オフィス移転作業だったり、親会社のバックオフィスとの統合作業に従事しました。親会社から次から次へと優秀な方達が送り込まれ、事業スピードもそれまで以上に加速していきました。入社当社は近くにいるような気がしていた社長でしたが、恐ろしいスピードで経営者として成長されアッという間に遠くに行ってしまいました。才気煥発な若い社長の下で働けたのはとても得難い経験でした。一方、自分としては再びIPOの目標を模索することにしました。

そんな中、元上司の紹介で知り合ったエンジェル投資家の方からIPOを目指している会社を紹介されました。プロ経営者としても活躍された方達から「津金君、とんでもなく伸びているすごい会社があるぞ。そこに行ってIPOを手伝ってくれないか」と言われ、この人たちが言うからにはすごい起業家なんだろうと思い、とりあえず会いに行くことにしました。

最初のベンチャーは女性向けメディアを運営しており、スタッフも若い女性が多く、きらきらしている感じでしたが、2社目は企業向けビジネスで、メンバーも全員大手企業で社会人経験があり落ち着いている印象でした。落ち着いた中にも「何かをやってやるぞ」という闘志を感じる会社で、自分には合っていると思い、入社を決めました。また、年齢も自分と近いというのも決め手の一つでした。

しかし、ここからが波乱の始まりでした。入社するまで「事業は伸びている」と聞いていましたが、実際に入社して試算表を確認すると「あれ?思った以上に伸びていないな」という印象でした。一方、人を急速に増やしオフィスも移転していたので、コストはすごい勢いで伸びていました。そこで、資金繰り予測を引いてみるとどう楽観的に見積もっても、遠くない将来資金繰りがタイトになることがわかりました。悲観的な予測だと3か月後に資金ショートするということもわかりました。資金調達に消極的な創業者達を説得し、資金調達に動き始めました。預金残高が日ごと減っていくことに次第に焦りを感じ、資金繰り表を日繰りで作成しました。夢の中でも資金繰りをしていた日もあります。「しまった、あの請求書をシートに書き込み忘れた!」と唸りながら目を覚ましたこともあります。

そして、実際に資金ショートしましたが、創業者や株主からのブリッジファイナンスで何とかつなぎこみ、1億円の資金調達に成功しました。資金繰りでタイトな中、フェアな条件で増資に応じてくれたVC(ベンチャーキャピタル)の人には今でも感謝の気持ちしかありません。そして、その出資が呼び水となり合計4億円の資金調達に成功するに至りました。資金繰りはタイトでも、将来への事業期待・優秀なメンバー、何よりも創業者の意気込みが評価された結果でした。自分としても最初の大きな仕事を取りまとめることが出来てほっとしました。

資金調達したはいいものの、やることは盛りだくさんでした。事業の再定義・プロダクトの強化・営業体制の構築等々。しかし、共同代表制だったため、共同代表同士で意見が分かれ、社内のリーダーシップが不在のまま、抜本的な対策が取られることなく時間だけが過ぎていきました。そうこうしているうちに、創業者同志の内紛・幹部職員の離反・離職・主力社員の退職等々、色んな事が起きていきました。言葉にすると簡単ですが、実にリアルな人間ドラマがありました。出来ればもう2度と経験したくない出来事でした。

自分としても選択が迫られていました。そんな矢先、海より深い事情により創業者が全員経営を退くことになりました。主要株主から、営業部長の同僚と管理担当の私に経営を一旦引き継いでほしい旨の要望がありました。「ちゃんとやればうまくいくはず」そう思い、株主からの要請を引き受けました。事業計画を引き直し、やるべきことをリストアップし、実行していきました。創業者が手を付けなかったことに踏み込んでいけば事業は好転するはずと目論んでいました。「損益分岐点までコストを下げれば、いったん資金繰りは改善する。その後の展開は黒字化してからゆっくり考えよう」そう思ってた矢先に、今度は大口クライアントから相次いで解約されてしまい、黒字化がさらに遠のきました。叩いても鼻血も出ないくらいコストを削っていたので、最後に残された手段として管理部門を最小限まで縮小し、自ら辞職する道を選びました。完全な実力不足でした。“事業に魂を入れ、メンバーの気持ちに火をつけ、勝ち戦となるような戦略を描き実行していく”そうゆう経営者像にあこがれていましたが、自分にはそんな能力はありませんでした。

気が付けば、監査法人を辞めて4年近い日が経っていました。当初思い描いたような結果を得ることは叶いませんでした。誰かに傷つけられたこともあれば傷付けたこともありますし、失望させられたこともあれば失望させたこともありました。すべては自分で選んで結果であり、誰も恨む気持ちはありませんでした。私に期待してチャンスを与えてくれた方々に結果で報いる事が出来なかったことが唯一の心残りでしたが、辞めることが自分にとっても会社にとっても良いことだと判断しました。

「次は何をやろうか?」、40歳手前で次の目標を改めて考えました。ありがたいことにいくつかの企業からCFOとしてオファーを頂きました。ですが、選んだ道は“独立”でした。“40代は自分らしく好きなことや出来ること・得意なことを大事にしていきたい”そう思うと、自然と“独立”という選択に行きつきました。

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