今村公彦(いまむらきみひこ) | 会計士の履歴書 | 活躍する会計士たちの仕事やキャリアを紹介

ジャパンエレベーターサービスホールディングス株式会社

経営管理本部

取締役副社長 執行役員CFO 経営管理本部長

今村 公彦 いまむら きみひこ

すべての人が安心してエレベーターを利用できる社会を築くことが使命。理想と戦略を併せ持つ経営者タイプの会計士
チャレンジャータイプ
チャレンジャータイプ

1978年6月18日生まれ(41歳)
岡山県出身 ・ 東京都在住
香川大学 卒業

会計士データ
  • 年齢
    30代
    回答者全体の
    68.1%
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  • 役職
    取締役
    回答者全体の
    18.9%
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  • 企業種別
    事業会社
    回答者全体の
    44.3%
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  • 出身
    中国
    回答者全体の
    1.6%
    一覧へ
チャレンジャータイプの特徴
  • 内向的
  • 臨機応変型
  • 大局タイプ
  • 個人主義
  • 伝統型
  • 外向的
  • 計画管理型
  • こだわりタイプ
  • 集団主義
  • 革新型
  • 30
  • 20
  • 10
  • 0
  • 10
  • 20
  • 30
  • このタイプの割合
    回答者全体の
  • 5.4%

社交的で、周囲と積極的に関わりながら仕事を進めることができる。
またルールや固定概念に縛られることなく物事を捉えることができるため、積極的に新しい考えを取り入れたり、自分と違う意見に耳を傾けたりすることができる。
主体性を持って仕事に取り組むが、細かなところで注意力が散漫になることも少なくない。
ストレス耐性があり感情をうまくコントロールできるため、周囲からはタフな印象を持たれる傾向にある

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1キャリアサマリー

岡山白陵高等学校中退後、大検を受けて20歳のときに香川大学に入学し卒業。大学卒業後はしばらく音楽活動をしていたが、その後一念発起し、28歳の時に会計士受験。

2006年
有限責任あずさ監査法人東京事務所国際部に入所。
2013年
デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム株式会社(DAC)に入社。2014年より経営管理本部グループ経理財務部長、2016年より経営管理本部副本部長に就任。
2017年
ジャパンエレベーターサービスホールディングス株式会社に転職し、経理財務部担当部長に就任。同年4月より専務執行役員経理財務本部長、同年6月に取締役就任し、2018年4月から、取締役副社長執行役員CFO 経営管理本部長に就任。
2監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ

2006年。公認会計士試験に合格したため岡山から初めて東京に出てきて、あずさ監査法人東京事務所国際部に入所した。最初の3週間は研修で、1か月目から徐々に内部統制の検討を始めたり確認状の作業を事務所でやったりするのが、一般的なJ1(入社1年目)のスケジュールだった。ところが日程表を見ると、自分は12月最終週から3月までずっと1社しか入っておらず現場にアサインされていた。同期は事務所にいるのに何か様子がおかしい。

アサイン先は売上2兆円規模のSEC登録企業のため、米国会計基準に基づく監査が必要なうえに、その年はUS-SOXの導入初年度でもあった。日本の監査法人にとってもクライアントにとっても、初めての内部統制だった。US-SOX監査は、会計士試験で学んだわけでもないし、日本に事例もなかったので、何をどこまでやればOKなのか見当がつかなかった。とりあえず訳も分からずハンコの有無を確認した。社会人1年目の新人だったが、業務記述書やRCM(リスク・コントロール・マトリックス)で気になったところを講評会で偉そうに指摘した。業務遂行に関する情報がない上に、US-SOX初年度はプロセスの検討対象がJ-SOXと比べ物にならないほど多く、1人で1週間に何プロセスも見なければならないこともあった。ほぼやっつけで仕事をしているところにマネージャーやパートナーが来て「ここは大丈夫なのか、今村君」と聞いてきたので、「そのプロセスはまだ見てません」と言うと、「そんなことで意見が出せると思っているのか」とめちゃくちゃに怒られた。このころは、東京のサラリーマンは大変なんだなと毎日思っていた。

内部統制よりもさらに大変だったのが、USGAAPに基づく連結決算監査だった。当時のJ1は12月1日に入社して1月から仕事を開始するのが通例だった。日本基準では四半期決算が導入されてない時代だったので、1月はみんな事務所で確認状の送付といった事務作業をしていた。ところがSECクライアントは四半期決算が必要であったため、私はさっそく現場にアサインされた。現場に出て初めての仕事は「会社が国内のグループ企業を再編して10社合併するから、USGAAPで連結の影響を検討しておくように」というものだった。「検討しろ」と言われても、“検討”の意味も分からなければ参考にする前期調書もない。公認会計士試験で組織再編に関する基準は対象外だし、USGAAPで確認しろと言われてもどうすれば良いのだろうと途方にくれたが、当時は「なるほど。これが現場で覚えるってやつか」と思いながら業務に取り組み始めた。

まずは組織再編の基準を調べようと思い監査六法を開いていたら、「USGAAPなんだからこっちで調べろ」と英語でタイトルが書かれた分厚い白い本を渡された。本を開くと中も全部英語だった。「これで調べろ」と言われてもどこの章に何が書いてあるのかも分からくて、USGAAPを調べることは諦めた。でも東京は怖いところだから、これができないとクビかもしれないと思い、とりあえず日本基準で調べて論点整理を行った。調書のようなものを見よう見真似で作り、インチャージ(現場責任者)に提出すると、「よし、マネージャーのところに持っていこう」と中身も見ないでマネージャーのところに連れていかれた。マネージャーは見るなり「これさあ、“リテンドアーニングス”合わないよね」、「消えちゃってるね」、「どこ行っちゃったのかな」と宇宙語のような意味の分からない言葉で話し始めた。「“リテンドアーニングス”どこ行ったの。今村?」と聞かれても何を話しているのかさっぱり分からない。後から調べて“リテンドアーニングス”が利益剰余金のことだと分かった。当時はその1社にしか行っておらず同期と話す機会もなかったので、これが東京の監査の普通の水準なのだと思っていた。

そのクライアントには優秀な人材が集まっていたが、人の出入りが激しかった。本社の監査担当の残業は毎月100時間を超えていた。辛かったが使えないと判断されると容赦なく放り出されるため、毎日必死に働いていた。後で考えるとそんなことはないのだが、その頃はこのクライアントから放り出されるとクビになると思っていたので、とにかく社畜として働き続けた。会計士受験の勉強をしていたころは、会計士というのは、監査が忙しい時期は頑張るけど、早く帰れる日は早く帰って華麗なアフターファイブを過ごしたり、休みをとって海外で過ごしたり、優雅な生活を送れるものだと夢見ていた。実際会計士になってみると、優雅な生活とは全く無縁の世界だった。そんな生活にも人間は慣れるもので、J3(入社3年目)くらいになると、先輩も抜け単体チームで一番の古株になったので、かなり自由に仕事をしていた。成果も上がり始め、このチームにずっといたいと思うようになり始めていた。

監査法人で5、6年目にもなるとシニアとしてインチャージを多く経験した。やりがいを感じてもいたが、燃え尽き始めた時期でもあった。日本を代表する一流企業のインチャージも経験し、受嘱のサポートや、監査報酬交渉など、マネージャー、パートナー業務にも携わり、もうあとは同じことを永遠と繰り返す日々になるのだなと思ったとき、急速に監査法人でのキャリア熱が冷め始めた。ちょうど監査法人で早期退職勧奨が始まったタイミングと重なった。

当時は早期希望退職した会計士が市場に溢れており、退職勧奨対象の先輩はかなり苦労して転職活動をしていた。私は年次的に対象ではなかったものの、果たしてどのくらい厳しいのか自分で感じてみようと思い、履歴書を作って紹介会社に登録してみた。当時は事業会社経験がなく監査法人経験のみの会計士はほぼ採用しないという状況ではあったが、たまたま1社だけ上場企業の面接を受けることになった。面接官はその当時の経理部長で、あずさ監査法人出身の会計士の方だった。妙に意気投合して、当時としては破格の待遇で、上場子会社の経理副部長というオファーをしてくださった。当初は監査法人を辞める気はなかったのだが、ためしに面接を受けたおかげで、自分が監査法人の仕事に飽きが来ていて似たような仕事を何十年も繰り返すことは厳しいと思っていることに気が付いた。もちろん、報酬や将来のキャリアを考えると残ったほうが得だとは思ったが、まあ、死ぬわけではないし、この機会を逃すと二度と外にでるチャンスはないという気持ちが背中を押し、転職を決意した。

3今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス

現在の会社に経理財務本部長として転職したが、CEOや他の役員、部下に恵まれ、昨年、専務に昇格させていただいた。この春からは取締役副社長CFOとして、経営企画、経理、財務、総務人事、システムを管掌している。本部のルーティンのオペレーションはある程度、副本部長、各部署長に任せており、最近は特に管理の側面から、副社長としてCEOを支える業務を中心に遂行している。

転職して1年半ほど経過したが、ここまでは何とか順調に業務遂行できていると感じている。2017年のIPO(新規上場)株式90社の中で株価の上昇率第1位を獲得でき、日本経済新聞にも取り上げていただいた。時価総額も当初の数十億円から、1年間で約8倍以上も上昇した。素晴らしいビジネスモデルを持つ会社であったことが一番の要因ではあるが、これまでの知識と経験をフル活用しつつ、綿密な経営戦略を立案できたことが奏功したと感じている。

徹底した予算管理、営業戦略との連携、生産性の向上、無駄なコストの抑制に取り組んだ結果、前年の営業利益から200%以上の増益を達成し、純利益においては前年比300%を達成し、すべての段階損益で過去最高益を更新できた。

また、人事制度の見直しにも取り組んだ。改革のコンセプトは、“やった人を評価する差のつく人事制度”と“現場の社員が長く安心して働けるような人事制度”を両立させることだった。相反する課題を同時に解決するのは大変であったが、両方を実現する制度が作れたと感じている。

システムでは、主としてRPA(ロボテック・プロセス・オートメーション)を用いた業務自動化による生産性向上を推進している。でき得る限りすべての事務作業はロボットに実行させ、現場のエンジニアにはエレベーターメンテナンスのプロフェッショナルスキルを高めてもらうとともに、付加価値が高く代替困難なメンテナンス業務を中心に生産性を高めていきたいと考えている。

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