2監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ
四半期報告書や内部統制報告書の開示制度が始まり、公認会計士不足が危惧されたことから2007年、2008年に大量の合格者が監査法人に流入した。この時代に勉強を開始した私が合格したのは、蓋を開けたら人余り、合格と採用の門が閉じた2010年であった。
合格者のうち3割程しか監査法人に入れないという超就職氷河期時代であったが、運よく有限責任監査法人トーマツの名古屋事務所に採用していただけた。
採用されなかった方々と比べ何か優れた能力があったかと言われたら、特にはなかったと思う。強いてあげるとすれば、面接官との相性がよかった、それに尽きる。これまでは、決定的に不採用となる要素が無い限り採用していた監査法人が、突然人を絞る側に立ち、数十分話して人となりや能力が見極められるノウハウがあるとは到底思えない。
監査法人での経験。3年ほどの勤務で、監査とは何か、監査の何を学んだかなどと、何を書いてもかつての恩師から「お前は監査に触れてすらないぞ。」と横槍が入りそうである、それぐらい深い世界であると思う。何十年と監査をしているパートナーという役職の方ですら、日々進化する会計制度、監査技法に四苦八苦する世界である。(余談だが、前人未到の永世七冠を達成した棋士、羽生善治先生ですら、将棋そのものを本質的に分かっていないとおっしゃっており、どの業界でも究めたということは無いのかもしれない。)
一番大きく感じているのは、やはり最難関と言われる試験を突破した人のみで構成された集団であるからであろうか、監査法人という組織が一般の組織よりも能力が高く、かつプライドの高い人の割合が非常に高い集団だったということである。クライアント1社につき、年間通して膨大な作業と調書が必要となるため、のんびり仕事をしていたのでは到底終えられない。PC操作や調べものの速度感、決算数値に対する嗅覚など、1人からでも社会人として学べることは山ほどあった。
決算数値に対する嗅覚という点で、いまだに心に残っていることが2つある。
1点目。入社1年目の2011年春、東日本大震災の際、決算の監査でクライアントの会議室にいた。大きく揺れるビルの中で「東北支店に連絡して在庫と建物の被害状況聞いて。その状況によっては後発事象になりうる。経理にはその影響額を算出してもらって。」と当時の主査(現場責任者)に的確な指示を受けたとき、地震怖い、程度しか思っていなかった私は衝撃を受けるとともに、すべての事実が会計に関する情報になり得ることを、身をもって体験した。
2点目は異常値への嗅覚である。基本的に監査実務上、決算数値の増減分析で説明できない増減がある場合は虚偽表示である可能性が高い。前期と比べ売上が伸びた理由は説明がつく一方で、売上商品の運賃が同程度である理由の説明がつかない。なぜ売上が増えても運賃が増えないのか詳細を検討しにいくとやはり会社は1か月分の運賃の計上を漏らしていたということがあった。勘定科目はどこかで連動している。決算数値の増減の異常を見抜く力は監査法人時代に培ったものであり、今の税務業務でもかなり役に立っている。
ただ、残念ながら監査法人時代に自分が理想とするキャリアモデルを見つけることは叶わなかった。面倒見がよく、いつも私のことを気にかけてくれた先輩は毎日終電帰宅であった。効果的・効率的な監査、を合言葉に年々作らなければならない調書は増えている。監査に愛や情熱を感じていなければ仕事へのモチベーションを維持することは難しい業界であると感じた。
繰り返すが、私自身監査の本質に触れたと思っていない以上、監査はつまらない、などと言うつもりはないし、言う権利もない。監査法人とクライアントは敵対的関係ではなく、適正な開示を共に目指すパートナーであり、やり遂げればクライアントから感謝もされるであろうしやりがいも見つかると思う。
しかしそれ以上に、唐突ではあるが、自分のためだけに時間とお金を使える最後のチャンスであると感じていた27歳という年齢を加味し、留学したい、海外に住んでみたいという昔からの好奇心が監査への愛や情熱を3年で上回ってしまい、半ば飛び出す形で退職した。
3今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス
監査法人退職後からのキャリアパスが、今現在の仕事に直接影響してきているので、退職後の生活についてまず記載したいと思う。
半ば飛び出す形で監査法人を退職後、1か月半後には片道航空券を購入してイギリスのロンドンに降り立った。到着したのは極寒の2月、土砂降りの夜。大変なことをしてしまったとその日は思ったが、留学ビザが有効な半年間で徹底的に英語力を鍛えようと思った。ただ、このときの英語に対する姿勢は、好奇心のみであった。元々旅行が好きだったこともあり、世界中どこへ行っても英語が話せたら人生楽しいかな、といった程度であり、仕事に活かそうとは考えていなかった。
平日は語学学校に通っていたのだが、実は(というか考えれば当然なのだが)語学学校には講師以外にイギリス人はいない。学校で友達を作って会話をしても、英語を話す訓練にはなるが正しい英語は学べない。
授業が終わってから週3程度、ロンドンでは頻繁に開催されている日英交流会に参加し、生きた正しい英語に触れるようにした。また楽で甘えてしまいそうなため、日本人の友達は作らないようにした。
その結果、2か月目から英語でなんとか相手に理解してもらえるようになり、最後の月には日常会話程度であれば問題なくできるようになった。
この留学中の時間に、冷静に自分の将来像を見つめることができた。
せっかく独立できる資格を取った以上、組織に属し、与えられた仕事をして毎月一定の給料をもらうよりも、独立して自分の会計事務所を持ち、自分のペースで自由に仕事をして報酬を得たい、と考えるようになった。
独立したとしても、自分の目と声が届かない数のお客様や従業員を抱えればサービスの品質を落としかねないため、大きくしても従業員10人規模としようと思った。その前提で帰国する前から同規模の経営を学べそうな会計事務所を探し始めていた。
実際に選んだ会計事務所がよかった。今考えると、あそこでなければ今の自分は全く違ったものになっていたか、もしくは数年独立が遅くなっていたと思う。面接時から、「数年で独立したいと考えており、迷惑をかけてしまうおそれがあるがよいか。」とあらかじめ伝えたのに対し、「それぐらいの意気込みで業務に臨んでほしい。」と返ってきたのも嬉しかった。
監査法人と会計事務所とでは、同じ会計を仕事としながらその内容は大きく異なる。
監査法人は主に、比較的大規模な企業に対して、出来上がっている決算書を明細に落とし込み、会社の行為が会計情報として適切に反映されているかどうかをチェックする仕事である。
一方で会計事務所は、中小企業や個人事業主に対して、経営者の行為をどう会計情報として反映させていくかの助言、時には代行をし、また給与計算や、税金計算など、より経営者に密接で経営を取り巻く日常的な仕事が多くなる。
監査法人での経験はあったものの、会計事務所の職員としての戦力はゼロに等しかった。
そんな私に対して、「負荷を与えてみるからどこまでこなせるかで今後の仕事の振り方を考える。」という言葉とともに、入所してすぐ20社程度の担当を割り当てられた。私の性格を見抜かれていたのかもしれない。会計士の意地とプライドがあったため、連日遅くまで残り、税務について必死に調べた。もちろん上席者のフォローもありつつ、なんとか1年間大きな問題なく回しきることができた。お客様からの信頼も少しずつ得られるようになってきた。毎日新しい業務の連続で、日々自分の成長を実感できた。
2年目になると、大半の業務が1年目の繰り返しになる。少しずつ気持ちや時間に余裕が生まれ始め、新たな仕事にも挑戦できるようになった。
最もありがたかったのは、従業員の挑戦に待ったをかけない事務所の方針であった。
会計事務所の中には、リスクが高い相続税は受けない、費用対効果の薄い○○円以下の個人事業主の仕事は受けない、などと業務の幅を絞っているところもある。もちろん不得意分野に手を出し、お客様の迷惑になることはあってはならないし、赤字での受注ばかりでは事務所経営が危ぶまれる。しかし、やってみなければいつまでも初心者であるし、成長の機会が失われてしまう。
リスクが高い案件も積極的にやらせてもらえた。相続財産である山をひとつ評価したこともある。
また、偶然にも外国人に対して英語で対応できる事務所にしてみたいという所長の思惑と、私の入所の時期が一致。インターネット上に英語サイトを開設し、積極的に外国人顧客も取りにいった。
名古屋という立地で、意外に英語対応可能な会計事務所を探している外国人が多くいることが分かった。
サイトを頼りにかなりの問い合わせがあり、話を聞いてみると、英語対応可能な会計事務所というと大手の会計事務所や税理士法人に限定され、費用がかなり高額になるケースが多く、中小規模の事業で依頼するには敷居が高い、とのことであった。
確かに、英語が使える小規模会計事務所は多くないのかもしれない。ニッチな市場に触れたいい機会であった。
2年間の会計事務所での格闘ののち、独立して自分でやっていけるという自信が湧いてきた。30歳になる節目の年でもあった。
現在は、この会計事務所での学びの延長で自分の会計事務所を運営している。
私も英語サイトを作成したところやはり問い合わせはあり、現在アメリカ、カナダ、ドイツ、フランス、パキスタンといった様々な国の方の税務顧問をしている。この履歴書を書いている最中ですら、日本在住のイタリア人から問い合わせが来た。
正直そこまで報酬を期待できるわけではないが、会計という得意分野の中で異文化に触れることができ、何よりも自分が楽しいということがモチベーションになっている。
岐阜という片田舎で、最も英語でやりとりをしている会計士であると自負している。