中村友香(なかむらゆか) | ページ 2 | 会計士の履歴書 | 活躍する会計士たちの仕事やキャリアを紹介

NPO法人日本セルフメンテナンス協会

発起人/理事

中村 友香 なかむら ゆか

たった一度の人生を思う存分味わい尽くす。自分のUSPを作り、打ち出していくことが自分らしい生き方に繋がる
チームビルダータイプ
チームビルダータイプ

40代
神奈川県出身 ・ 東京都在住
慶應義塾大学 商学部 卒業

4あなた独自の強みと今現在の仕事との関係性

理論的な「左脳」の考え方から、感覚的な「右脳」の考え方まで、幅広く考えられることです。現代においては、ペーパーテストのような一つの答えが求められることはまずありません。
様々な環境やステークホルダー等、混沌としている外部環境に対して、自分の持っている知識やノウハウ、社内資源で解決する。そのためには、理論的な考えだけでも足りないし、直観のみで決めてもいけません。自分の持っている経験・知識・感性・ひらめきを融合させて、解決に進んでいけることは自分の強みであると考えています。

この強みが生まれるには、監査法人を退職して一番最初に関与した会社の存在が大きかったです。
当時、スポーツ用品のメーカーで経営に関与していました。そこで、ビジネスの現場の大切さを身をもって体感しました。

経営企画・財務として参画し、当時は会社の業績はあまり芳しいものではありませんでした。会計はあくまでも最終プロセスであって、売上自体が悪く、会計上の売上をいくら分析しても売上・利益は向上しません。
損益分岐点がいくらであるとか、分析して正しいことは言えるが、いくら正しいことを行っても会計数値の現れる前の工程を改善しないことには、ビジネスもうまく回りません。

当初、「損益分岐点がここだから、来月の売上・収益はこのくらいにならないと厳しいです。」と言っても誰にも響きませんでした。
会社が求めているのは「正しい分析結果」ではなく、「ビジネスがうまくいくには
どうすれば良いのか」です。
当時、正しい答えを真剣に考えていたものの、社内の人は私の言葉では誰も動きませんでした。会社の最前線で働いている従業員の方には、何も伝えられていなかったと思います。いわゆる「総スカン状態」でした。
どうしたら全社一丸となって業績向上につながるのか、毎日真剣に悩みました。
なぜ、自分の言葉は従業員に響かないのか。
それは「現場と同じ目線で苦労していない」からでした。
そこで、「数字だけではない、ビジネスの本質は現場にある」と思い、正論だけを言うのは止めました。教科書通りでないからこそ、どの会社も苦労しているし、会計数値に表れないビジネスの本質があると実感しました。
そこからは、マーケティング、営業、広報、人事、システムなど、会社の業務全てを引き受けました。ビジネスの現場では、日々大事にはならないけれども、うまくいかない問題が多発しています。
その問題一つひとつに向き合うことを決意しました。
業績向上やビジネスが回るためには、足りないものを全て同時に行う必要がありました。営業・広報・生産管理・人事・システムの全てを担当しました。

例えば、営業でいえば、自ら百貨店に営業を行い、自社製品を売り込みに行きました。百貨店に入れる前はスポーツジムや介護施設に商品を卸していましたが、より裾野の広い百貨店やネット販売に卸して行けば、ブランドも構築でき売上向上につながるのではないかと、販路拡大に乗り出し、百貨店に目をつけました。
全国の百貨店に自社商品を置いてもらうには、信頼獲得のため、百貨店に売り込む必要があります。他の店舗の営業にも広がることを計算し、自ら出向きました。当時の営業部長の協力もあり、1~2年をかけて無事日本全国の百貨店に導入することができました。

売上=マーケティング×セールスです。
企業のビジネスモデルとしては、BtoBtoCでしたので、伊勢丹に入れて終わり、ではなく、toC向けに、商品の認知を高める必要がありました。
そのために、広報に力を入れ、広報のリリースも書いて記事や新聞に掲載してもらいました。ニュースとなるようなフックを見つけて、PR会社にも協力を仰ぎ、自らリリースも書きました。トップオブトップのアスリートに商品を着てもらい、ブランドも高めつつ最終顧客に届くような広報戦略も同時並行で実行しました。

上記のような活動を行うことによって、ようやくセールスとマーケティングの両立ができてきました。
また、在庫管理も行いました。当時、発注数と在庫管理の体制が整備されておらず、担当者の「勘と経験」を頼りに発注数が決められていました。
マーチャンダイジングの体制を整備し、消費者の欲求・要求に適う商品を、適切な数量、適切な価格、適切なタイミング等で提供し、在庫が圧縮できる体制を整えました。マーチャンダイジングと生産管理のために工場も直接回りました。
マーチャンダイジングを始め、在庫を約半分に圧縮したことによって、ようやくキャッシュが回り始めました。

この頃から従業員に話す言葉も変わりました。
「在庫を圧縮しましょう」ではなく、「商品を統合しましょう」や「売れない在庫は少なくしましょう」など、具体的な行動につながる言葉で伝えられるようになりました。
新ブランドの開発にも着手できるようになり、コンセプト立案やロゴの作成など、0からの開発に携わりました。その経験は、自分のブランドでもある「yucasii TOKYO」につながりました。

一方、社内では、売掛金の回収も漏れており、回収作業の徹底や、社内のシステム化を進めるなど、内部統制も整備・運用しました。
また、売上向上に対応するため、100人規模での採用面接や、社内の教育環境も整えました。
もちろん、資金繰りのため補助金申請、資金調達、事業計画立案なども行いました。
自分自身が、日々ビジネスの現場で生じる多数の問題に取り組んだことによって、百貨店への商品の販売が始まるなど業績も向上し始め、ようやく認められた気がしました。

その結果、会社の業績は見事にV字回復し、今も大きく成長を続けています。

5仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間

業績向上は果たしたものの、人間関係を犠牲にせざるをえない場面を体験しました。
社長には感謝されましたが、自分の行った「効率的な経営」が本当に正しいと言えるのか、疑問に感じることもありました。

今は、人の感情や、一見無駄に思えることにエッセンスが詰まっていると感じています。
例えば、人を感化させ、どれだけ巻き込めるかは、目に見えないものではありますが、経営にとってとても重要です。

例えば、コストの安さだけで海外生産を進めても、問題が生じた時にそれを解決する知恵は海外にはありません。問題が起きても「できません」で終わってしまいます。
そんな時に、日常の信頼関係のある職人の知恵が生きてくる、といったことは、経営にとって大切な資源になります。
「アメリカ的経営が日本をダメにした」と言う言葉がありますが、「やってもらったら、やる」という関係性が大切であると思います。
「人」や「信頼」といった日本的経営は、現代であるからこそ見つめ直されるべきものであると感じています。

「知恵」や「信頼」のないものは、状況の変化が起きた際には途端にもろくなって
しまいます。どんな状況でも勝ち残っていける会社には、一見無駄なものがたくさん詰まっているように感じます。
日本企業が100年続くのは、日本はムリ・ムダ・ムラを楽しむから、そこに知恵が生まれるのではないでしょうか。潜在的な知恵やノウハウのような暗黙知が必要になるのかもしれません。そのためには、やはり働く人の「感情」がポイントになります。機械としての扱いではなく、感情を持つからこそのコミュニケーションは欠かすことのできないものです。

賛否両論あるかもしれませんが、私は「飲みニケーション」は大切だと考えています。
家族みたいになればなるほど、阿吽の呼吸になって、表面的なものの背景が見えてきて、効率化されてきます。そのような関係で「信頼」が生まれれば、コミュニケーションが増え、他人の「知恵」が自分のものとしてお互いに活用できるようになります。

6公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと、それをどのように乗り越えたか

前述したスポーツ用品メーカーに加え、介護施設や養豚、酒蔵等、10数社の中小企業支援や立ち上げを行い、実感したのは、No.2としてできることの限界です。

業績が向上し、自分の会社への貢献は肌で感じることができました。
しかし、No.2としての判断は、時にはドライな判断を求められることもあります。より現実的な判断を求められることも多いです。コストを削減することが、全体最適には繋がらないのではと思うこともありました。
社長からは感謝されていましたが、自分の中では整理がつかないこともあり、また、自分が描く経営戦略と社長が描く経営戦略が異なることもあります。そんな中、自分で経営がしたいと思うようになりました。何をやろうかと感じた時に、自分で会計事務所を立ち上げる道もありましたが、会計士として間接的にビジネスに関わるのではなく、ビジネスに直接向き合いたいと思いました、そのため、もともと興味のあったファッションの会社を立ち上げることにしました。
もともと美大に行きたかったことと、VENEXがスポーツウェアという会社であったことから、生産管理を学んだこともあり、どのようにしてものを作れば良いか、自分のアイデアをぶつけることもできました。ようやく、2014年春に「yucasii TOKYO」というファッションの会社を立ち上げました。

その頃、知人が立ち上げたジーリーメディアグループが成長し始めたこともあり、経営に参画し始めました。
やはり、社長の構想を戦略に落とし込み、実行に移すことは得意分野であり、事業も成長しました。海外のセレクトショップや、国内と海外のポップアップショップにもつながり、この辺りからジーリーメディアグループの取締役になります。
また、自分がやりたいものがやりたいという思いから、2017年9月にアガベリアを設立しました。
このように、No.2として会社を支える立場と、自分で経営を行うことを両立して気づいた点もあります。それは、「意思決定の重み」です。
No.2として会社を支えていた際には、理論的に考えられていたものが、自分自身が経営すると、必ずしも理論的な判断が正しいとは限りません。No.2は現場よりも社長に近いと思っていたが、自分がいざ代表になると、最終責任を全て負うNo.1としての意思決定はとても孤独で、No.2は意思決定での責任の重みが全く異なることに気づきました。
自分で最終責任を負う状態での情報収集・提案・判断は全く異なり、ロジックではAだけども、感覚的にはBが正しいと感じることもあります。

自分が経営することによって、より人との距離の近い仕事がしたくなりました。
自分の服を自分で作って売ることや、テキーラの美味しさを伝えることは、toC向けのビジネスだからこそ顧客からの反応が直接返ってきて、自分の作った0から1の価値が感じられます。
自分で経営を行うようになって、ビジネスの本質は人と人とのつながりであるということに気づきました。

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