1キャリアサマリー
- 1992年
- 公認会計士二次試験合格
- 1994年
- 太田昭和監査法人(現:EY新日本有限責任監査法人) 監査第4部→監査第1部兼金融部
- 2000年
- 株式会社シンプレクス・テクノロジー(現:シンプレクス株式会社) 執行役員CFO
- 2002年
- 同社 IPO(JASDAQ上場)
- 2005年
- 同社 東証一部上場
- 2013年
- 同社MBOにより上場廃止。同時に退職
- 2014年
- 株式会社サンウッド 取締役管理本部長(現任)
高校が附属高校だったこともあり、大学進学時の学部選択において、公認会計士を目指すことを念頭に経済学部に進学。大学1年生の終わりからTACに通い、公認会計士の受験勉強をスタートする。
大学3年で会計士試験に合格し、大学卒業後、太田昭和監査法人(現:EY新日本有限責任監査法人)に入社。
監査法人では、上場企業の監査を担当するとともに、IPOの仕事を経験。クライアント数社を上場に導く。
その後、部門ローテーション制度で金融部に移動するが、金融ビックバンの波に飲まれ、最大のクライアントを合併で失う。このタイミングで、これまでの仕事の中で一番面白かったことを次のキャリアにしようと考え、「それはIPOにかかわる仕事だ!」と結論付け、IPO準備のベンチャー企業(金融システム開発のシンプレクス・テクノロジー)に転職した。
シンプレクス・テクノロジーでは、執行役員CFOとしてIPOを実現し、その後東証一部に上場。13年間にわたって上場企業のCFOを務めた。在籍13年間で、売上高/営業利益ともに10倍以上(売上14億円→166億円、営業利益2億円→25億円)に成長させた。
2013年に同社がMBOにより上場廃止することとなり、同社を退職、半年間ニートとして充電期間。
2014年からは、経営再建中だったジャスダック上場のマンションデベロッパーであるサンウッド(8903JQ)の取締役管理本部長として、CFO業務を中心に、経営に携わっている。
サンウッドでは約6年で、入社時点で売上80億円前後、営業利益2億円前後の企業が、現在では売上110億円を超え、営業利益5億円前後を計上できるようになってきており、企業再建に手ごたえを感じている。
2監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ
1994年~1998年 EY新日本有限責任監査法人 監査第4部
最初の5年はいわゆる国内監査部門にいました。大手製造業の上場企業の会計監査が仕事の中心でしたが、当時は部門が業種別や機能別にわかれていない時代だったこともあって、中小企業や公益法人なども含めて幅広い仕事を経験させてもらいました。
たまたま当時の上司が、IPOの仕事をよく取ってきていました。新しい仕事を取ってくると、自分のチームから人を出して進めていくのですが、直属の上司ということもあって、ショートレビューやその後のIPO準備の仕事などにかかわる機会に恵まれました。
IPOの仕事はとても楽しかったです。監査の仕事は、「最終的には監査証明をつけて財務諸表の適正性を証明するという社会的な意義のある仕事」ではあるのですが、個別の作業はどうしても粗探し的な面があり、「これ間違ってますよね!」というような仕事になりがちです。審判的な要素が強くて、思いっきり仕事をすればするほどクライアントからは煙たい存在になってしまうというもどかしさがあり、気持ちの中では少し引っかかりがありました。
一方で、IPOの仕事は、成果を出せばクライアントであるお客様が素直に喜んでくださいます。また、クライアントがどんどん成長していくという過程を見ることもあります。この点でとてもやりがいを感じられる仕事でした。
IPOの仕事は、決してルーティン業務ではないし、いろいろなことも勉強しなければならない。会社によっては、中がぐちゃぐちゃで残高が常に合わないといった尋常でない苦労も経験します。会計士としての馬力を試される局面が多くてしんどいことも多いのですが、クライアントに喜んで頂ける楽しみは他では得られない満足感がありました。
1998年~2000年 EY新日本有限責任監査法人 監査第1部(兼金融部)
当時は、ある一定程度の年次になると部門ローテーションがあり、1998年に金融系の部門(翌年に金融部として分離)に移りました。当時のメインのクライアントはメガバンクだったのですが、ちょうど金融ビックバンの波で、合併によってメインのクライアントを失うことがほぼ確実な状況になりました。担当していた最大のクライアントを失うと、短期的には社内失業のような状況になるし、将来にも不安が生じてきました。そんなこともあり将来の方向性を考えるきっかけとなりました。
実は、会計士試験の勉強をスタートした時からこの頃まで、将来のキャリアをちゃんと考えたことがなく、監査法人でずっとやっていくんだろうくらいに思っていました。
改めて自分の将来のキャリアパスを見直した時、自分は何をやりたいのだろうと真剣に悩みました。その結果、これまでの仕事の中で一番面白かったこと「それはIPOにかかわる仕事だ!」という結論に行きつきました。
会計監査の仕事は、野球で言えば「審判」のような立場の仕事です。また、IPOの仕事は面白かったのですが、コンサルタントとして外部の立場から関わるのでは「応援団」であり、「プレイヤー」ではないのです。だんだんと「プレイヤーとして自社のIPOを実現し、会社のメンバーと一緒にあの感動を共有したい」という夢を持つようになりました。その結果、IPOを目指す事業会社へ転職しようという決意を固めました。
2000年~2013年 株式会社シンプレクス・テクノロジー(現:シンプレクス。以下「シンプレクス」)
転職先は、シンプレクス・テクノロジーという社員40名ほどの金融系システムのベンチャー企業です。私の組織内会計士としてのキャリアはここから始まりました。
日経新聞の広告で、「IPO準備責任者を募集」とシンプレクスが募集広告を出しているのを見て、(一応WEBサイトも見て)何となくこの会社面白そうだなと思い応募し、採用されました。友人からは今でも奇跡だと言われています(笑)。
当時はベンチャー企業に公認会計士が転職した事例はほぼ無くて、周囲からも随分と心配されましたが、3年やってダメなら監査法人に戻れば良いかと考え、思い切って転職をしました。
入社後、最初の仕事はIPOの実現です。利益は上場基準に達していたものの、内部管理体制はほとんど構築されていない状況でした。監査法人時代の経験でなんとかできるのではないかと思っていましたが、外部からアドバイスするのと、実際に中に入って仕事をするのでは大きく異なっていました。
なにが異なるのか。例えば、監査法人時代のクライアントは、内部管理体制が弱いものの、データは社内にあることが前提で、アウトプットされたデータをどう加工するかの問題でした。
しかし実際に自分で組織内会計士としてIPOを目指すと、そもそものデータが無いのです。まずこのデータをどうやって収集するかという仕組みの点から考えていかなければなりません。自分自身の勉強不足を痛感しました。が、必死にキャッチアップし、1年半後には無事にIPOを実現することができました。
シンプレクスは入社後大きく成長し、2002年にIPOを実現してジャスダックに上場、2005年には東証一部に上場することができました。シンプレクスには、約13年間お世話になりましたが、この間に売上高は14億円から166億円、営業利益は2億円から25億円と10倍以上に成長し、東証一部上場企業のCFOとして本当に貴重な経験をさせてもらいました。
企業が成長すると様々な問題に直面します。またIR、M&A、海外進出、人事制度改革、新規事業など新しい知見を得るチャンスも増えます。
僕は30代前半で、上場企業のCFOとして、そして経営陣の一員として多くの経験ができたことは本当にありがたい経験をさせてもらえたと感謝しています。そしてこの体験が現在の大きな礎となっています。
2013年、同社はMBOをして上場廃止することとなり、このタイミングで私は退職しました。
2014年~ 株式会社サンウッド
半年ほどの充電期間の後、再就職したのはサンウッドというジャスダックに上場するマンションデベロッパーでした。
サンウッドは、都内を中心に高級新築マンションを開発販売している会社ですが、リーマンショックにより、会社の業績は大きなダメージを受けていました。
シンプレクスではIPOを経験し、その後の企業の急成長に立ち会うことができたので、サンウッドでは、業種もIT→不動産業と大きく異なり、急成長企業→企業再建という全く異なるステージの企業でチャレンジしてみたいと考えました。
サンウッドでは約6年仕事をして、入社時点で売上80億円前後、営業利益2億円前後の企業が、現在では売上110億円を超え、営業利益5億円前後を計上できる体質になり、企業としてのステージが一段上がってきており、企業再建に手ごたえを感じているところです。