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田邊公認会計士事務所

代表

田邊 るみ子 たなべ るみこ

実務経験、分析能力、当事者意識を強みに経理財務人材の底上げを目指す
冒険家タイプ
冒険家タイプ

1969年12月5日生まれ(55歳)
愛知県出身 ・ 東京都在住
一橋大学 商学部/早稲田大学大学院 経営管理研究科 卒業

4あなた独自の強みと今現在の仕事との関係性

 私の強みは、執行側 17 年半の実務経験。理論だけでなく、実務への当てはめを考えて、自ら手を動かしながら、陣頭指揮をとり、実行してきた。
 そして「当事者意識」。執行側が動きやすいよう、具体的に提案、発言する。会社から「教科書的でない、実務経験に裏打ちされた提案には、説得力がある」と言って頂けるのは嬉しい。

5仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間

心が大きく動いた瞬間は山ほどあるが、ベスト3を紹介する。

1)「帰りが遅くなってもよい。代わりに自分が早朝出勤して良いか?」(2004)

 財務責任者昇格は、保険の包括移転契約締結と同時だった。家族に「昇格すると漏れなく統合で大変になりそうだけど、話を受けてよいか?」と聞いた時の反応が上記。夫が、早朝出勤して定刻退勤し、自身の実家に娘を迎えに行く。期間限定のつもりが、その後もずっと忙しく、その生活は5年以上続いた。

2)「鼻歌を歌いながらレンチンして弁当を詰めているよ、子供って逞しいね」(2009)

 中学生の弁当作りが始まる2009年4月、母親は1週間で弁当が作れなくなった。会計監査のキックオフ時に、のれん減損を決める。時はリーマンショック。並行するIFRSでは、のれんが非償却になるため、経営陣も私も「減損し、できるだけ軽くしてIFRSに移行したい」。決算発表まで時間がなく、朝になっても会社にいた。その時の自宅からのメール。これを機に弁当作りは手抜き。おかずを多めに作り、娘自身で弁当箱に詰めてもらうことにした。

(※)子育てと介護/看病
 マミートラックから始まった私だが、事業会社での仕事は男性以上。娘の保育園時代は義母と同居、小中学生時代は味噌汁の冷めない距離で、平日夕飯は義母にお世話になった。父親が早朝出勤・夕方帰宅で、娘の相談相手は父親だった。
 IFRS 任意適用を終えた2011年頃、義母が認知症と分かる。今度は自分が恩返しする番だ。遅めに帰宅し、夕食を食べてすぐ翌日の分を作る。毎朝、義母の家まで運び、様子を伺ってから会社に出勤する。娘が義母と夕食、夜は夫が寝泊まりし、翌朝、自宅に帰ってくる。要介護認定が進み、介護施設に入るまで、これを続けた。
 小学低学年から育児の比重が父母逆転したが、きっかけは2000年、会社再生の仕事で父親が体調を崩したことだ。その後も崩すことがあり、介護の頃にはマイペースで働く道を選んでいた。
 義母と夫の、長年にわたる理解と協力がなければ、今の私はない。

3)「城を作るときは民を苦しめても、後にその地に人が訪れて潤う。そんな君主になりたい」

 資本コストを意識したポートフォリオ経営や統一ERPは今でこそ当たり前だが、1990年代に陣頭指揮を執ってERPを統一、事業領域別・地域別にデイリー世界連結を構想し、事業部単位でEVAを計算する仕組を目指したCFOの言葉。伊藤レポートにも影響し、「CEOは外科の執刀医で、CFOは麻酔科医」と語った。見事な城だが、城作りの民は苦しかった。
 社外役員で経営経験を問われるようになった。経営経験という意味では外資で財務担当ボードメンバーを続けていた方が良かっただろうと思う。が、外資にいたらこの城は見られなかった。CFO退任時に「自分より優秀、三顧の礼。辞めないで」と言葉を頂いたことは光栄だが、自分はそのスケールには全く及ばない。
 次の城作りに行き詰って、退職願を出した私に、事業部への異動を打診して下さったのは次のCFO。受け入れて下さったのは事業部CFO。本部は海外だが、例外的に日本勤務、と配慮頂いた。日本の事業所は大学院まで電車で3駅、18時過ぎまで仕事して通学した。この配慮がなければ、大学院に通えなかった。感謝してもしきれない。

6公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと、それをどのように乗り越えたか

「会計士」資格が邪魔をする

 米系転身当初、何をしても「彼女は会計士で、何かあればすぐ転職できる。同じ船に乗っていない。」と言われて、巣作りに苦労した。名刺も当初は「会計士」不記載にしていた。PMIやUSSOX導入、決算早期化等、様々なプロジェクトで色々な部署と関わるなかで「誠意と熱意」が伝わったのか、各部から頼られるようになり、「名刺に資格を表記したら?」と。

専門家からオーケストラの指揮者への切り替え

 財務責任者になるとき、上司から「あなたの仕事は専門家ではない。外部の専門家を上手く使って、会社を成長させること。オーケストラの指揮者たれ。」と言われた。監査法人から転職した直後は、この「専門家」から「指揮者」への切り替えができなかった。守備範囲が広い仕事をこなしていくうちに、「専門家」意識を捨てざるを得なくなったが、切り替えに2-3年かかったと思う。

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