2監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ
何度もキャリア選択しているため、話せば長くなる。
①子育てとキャリアの間で監査法人内の部署を転々
監査法人に入社した当初は銀行・信用金庫等金融、メーカー、不動産を中心に監査していた。
1996年出産時、周囲にワーキングマザーが一人もいなかった。出張や残業ができず、「マミートラック」。出張や残業ができないというだけで、居づらい雰囲気があり、評価も下がった。法人内で研修講師をしたのがきっかけで、研修部に誘われた。大学時代に塾講師をしていたので、講師が板についていたのかもしれない。海外提携先の研修を取り入れるのに人員が必要とのこと。
研修部では、入社1-3年目の新人を中心に多くの研修を企画立案し、講師をした。講師の仕事が好きだった。しかし、監査現場を離れている間に、会計基準が大きく変わった。「一般論しか語れないのでは教育研修は限界、現場に近い会計が知りたい」と、業務管理部に異動したが、直後にエンロン事件が起きる。裏方でKPMGとの統合手続の事務作業を務めることになり、「現場」が遠くなった。
➁事業会社でも子育てとキャリアの間でもがく
1)外資系損保日本法人の経理財務責任者
長女が小学校にあがる2003年、「現場での会計基準キャッチアップ」と「USSOX」を求めて米国の事業会社に転職。当時、転職市場は冷え込み、募集があるのは保険業くらい。一般企業に転進する会計士も少なかったが、もともと独立心の強い変わり者なので、そんなことは関係なかった。
外資では、財務責任者として経営に参画、リスク管理委員長も務め、USSOXを導入、会社全体を一望できた。
2005年頃の保険毎日新聞に保険会計の「IFRS」影響が連載されていた。子会社の会計は米国親会社の指示で動く。親会社からのインストラクションが重要だ。「会計と商法(会社法)が変わる。子会社じゃなく親会社で、自分が全子会社に指示を出したい。その時は、保険業ではなく、普通の業種で親会社として指示を出してみたい」。
「早く女性のVice Presidentを」と期待されるなか、2006年に日系の連結チームリーダーに。
2)日系連結チームのリーダー、わずか10か月で転進
FRでは連結パッケージを作り直し、連結・単体の会計システム導入を経験した。システム導入前はエクセルでの連結作業だったこともあり、単体と連結の会計システムの連動がよくわかった。チームメンバーに恵まれ、仕事は楽しかったが、当時小学生の娘を家に残して祝日出勤することが辛かった。また、子会社決算も支援していたが、2月期の連結決算発表の準備をしながら3月の子会社の月次を締める。決算するなら同じ月の数字に集中したかった。「FRが嫌なわけではない。祝日は自宅にいられて、決算が早い転進先を、ゆっくり気長に探そう」と思った矢先に、転職エージェントから2週間で68社の連結決算を発表するH社を紹介される。連結グループを立ち上げるから、そこのリーダーはどうか、と。
10か月での転進は、履歴書上、美しくない。また、FRが水に合わなかったようにも見えてしまう。当時、FRとH社で売上が4,000億円程度で同規模、営業利益までは同水準なのに、残る最終利益が全く異なる。FRでは子会社20社弱の連結決算に45日かかっていた。どうやったら2週間で連結子会社68社の連結決算を締められるのか、どうしたら最終利益を増やせるのか。この興味が10か月転進の世間体より強かった。
退職前の最後の引継ぎをしている中、次の転進先が経営統合を発表する。転進先で待っているのは大規模な統合と激務…。採用の面談ではそんな話は出たことがない(会社からすれば言えるはずもない)…。これも運命、と直進する。
3)立ち上げたばかりのH社連結グループのリーダーに。4つミッション、我武者羅に働く。
激務は覚悟しての入社だったが、予想以上だった。ミッションは経営統合、IFRS導入、JSOX、連結決算体制の構築、の4つ。
名刺もできあがらないうちに統合準備委員会に参加。連結決算体制を整えながら、日本でまだほとんど前例のないIFRSの導入と、同時並行のJSOX。入社して半年も働いていないときに10年分働いたような濃厚な年月だった。
当時、日本ではIFRSでの連結財務諸表は有価証券報告書でも認められていない時代。採用面接時にCFOからIFRSの話があったので、実務対応報告第18号に添って海外子会社にIFRSを導入する話だと思って入社したのだが、誰も受け取らない決算書でも、日本も含めてIFRSで決算し、グローバルにIFRSに統一して決算する、という。統合があっても、JSOXがあっても。昼間は統合準備の打合せと連結決算で時間がとれない。早朝と夕方以降、土日祝日がIFRSに充てられる時間だった。IFRS以上に統合と連結決算体制整備が大変だった。68社だった子会社の数は入社後9か月で100社を超える。連結メンバーが戦線離脱し、採用活動の日々。監査法人の変更。1年くらい経過し、採用と監査が落ち着いてきたころ、日本でIFRS任意適用の話が出始め、着手の早かったH社は日本で2番目に早くIFRSを導入した会社となった。
IFRSで統一して、グループの実績を同じ物差しで、という当時のCFOのビジョンや先見の明に感服する。偶然にも、外資の経理財務責任者から日系の連結リーダーになったとき、自分自身も「日系親会社でIFRS決算の指示を出したい」という想いがあった。だからこそ、統合と連結決算体制整備が大変な中、金融庁も東証も受け取らないIFRS決算書をここまで進めてこられたのだと思う。
・子育てと介護
「早朝深夜、土日祝日も働き、家事・育児は?」、とよく聞かれる。マミートラックから始まった私だが、一般事業会社では、仕事は男性以上。子育ては良く言えば「放任主義」。娘の保育園時代は義母と同居、小中学生時代の平日夕飯は義母にお世話になった。受験を終えた娘に「勉強しろと言う親でなくて良かった」と言われた。娘の勉強に口出しする時間はなかったし、成績表は見たことがない。
義母の助けがなければIFRS導入はできなかった。導入後、これまでのお礼に、義母と家族そろって日光に温泉旅行に行ったとき、認知症の兆候に気づいた。義母へこれまでの恩返しをしたかった。味噌汁の冷めない距離に互いの家がある。今度は自分が夕食を作り、毎朝、義母の家まで運び、様子を伺ってから会社に出勤する。娘が義母の家で夕食。夜は夫が義母の家に寝泊まりし、翌朝、自宅に帰ってくる。週末は義母の家で夕飯を囲んだ。要介護認定が進み、介護施設に入るまでこれを続けた。料理は好きなので、仕事のストレス発散に料理をしていた。
毎日の料理を傍で見ていた娘は、就活後に家事支援に回ってくれた。これがなければ修論を書けなかったと思う。育児は義母に、介護は夫に、家事は娘に、助けられたのだと思う。
・IFRS導入をきっかけに再び、講演やビジネススクールのゲスト講師をし、「生徒」を意識する
IFRS導入後、問い合わせや面談依頼が殺到する。全部に対応できないため、代わりに週刊経営財務に連載の形で、何にどう対応したのか、を匿名で掲載した。面談依頼や講演会は基本的にお断りし、知合いの依頼のみ、ポツポツと講演会を引き受けていた。その中にビジネススクールのゲスト講師があった。教授が持つ15コマの授業の1コマだが、ビジネススクールの教壇に立った。平日夜間と土曜日に勉強している学生の年齢層が多様だったため、自分が生徒になる選択肢を意識し始めた。教授からも、「講師をやるなら少なくとも修士、できれば博士をとるべきだ」と。ちょうどその頃、大学受験を控える娘と一緒にマーケティングの公開授業を受け、「私も、もう一度大学にいきたい」。
4)管理会計プロジェクトで行き詰り、ビジネススクールの生徒になる
IFRS導入後、業務では管理会計のプロジェクトを兼務した。10個以上ある事業部に共通の管理会計プラットフォームを構築するのに、1事業部ずつ実態を把握するだけで時間がかかる。管理会計実務は別の部署が担当、私自身は財務会計の仕事に毎月半分以上の時間をとられる。システムの入替えを想定した大がかりなプロジェクトだが、決算やM&A関連業務も多く、兼務でやれるものではなかった。進捗報告ばかり求められ、プロジェクトの進め方にも裁量がなく、IFRS導入プロジェクトのように伸び伸びとプロジェクトを進められずに行き詰ってしまう。
気づくと財務会計分野の経験が長くなっていた。管理会計実務に携わったのは外資の財務責任者の時のみ。事業部の管理指標は戦略と関連する。「コーポレート(本社)だけでは限界だ、事業部(戦略)を知らなければ」。連結リーダーから7年という年月を経て財務部長になったのに、事業部へ異動を希望する。異動先は問題の多い事業部、ポジション格下げで、しかも片道切符である。社内政治色が強く、離職率も高い。いつまで居られるかはわからない…。
異動話が進みそうな頃、「事業部での時間を無駄にしたくない。事業部で見聞きしたものを理論にフィードバックしながら、経営の視点を身につけたい」と、受験願書締切直前に、研究計画書を書いてビジネススクールの入試を受験する。
5)修士論文「戦略監査」の審査を終えた直後、社外役員を紹介される
大学院は1年後の2019年本格受験に向けての胆試しのつもりだった。受験予備校の体験コースを下見し、予備校に通うつもりだった。予備校下見段階の2018年に、運よく入学できた。下調べも覚悟もなく、勢いで入学した夜間のビジネススクールは、「入学後に」、「超大変だ」とわかった。レポートや試験が重なり、2年間、昼間の仕事に集中できなかった。勢いで受験・入学して良かった。下調べしていたら、受験する前に、仕事と学業の両立に尻込みしていたに違いない(笑)。修士での専攻は戦略。論文は管理会計やM&A、PMIの切り口も含め、事業会社での経験全てを総括する形で集大成させた。同時期に娘は、資本コストをテーマにした卒業論文を書いていた。私も大学院でファイナンス理論や資本コスト経営を学んだので、娘にも教えることができた。
大学院では長老の部類だったが、自分にはこのタイミングがベストだったと思っている。
娘の大学卒業、子育て卒業、私の大学院卒業と3つを同時に卒業した直後、社外役員を紹介され、会社勤務にピリオドを打つ。今後20年の方向性を、「監査役等+コンサルタント+育成(教員・講師)」に定める。
以上でほぼ全てを語ってしまったので、以降は軽めにさらりと触れる程度にする。
3今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス
今現在、3グループ会社(5社)の監査役・監査等委員の仕事をしている。また、個人で上場会社の内部統制強化等をコンサルしている。
メイン業務はフィンテック・ベンチャーの常勤監査役。働く場所と時間が自由なので、週4日程度の勤務を何とか確保。監査役等を担当している先の決算期は3・6・12月で、期末監査のピークが異なり、取締役会・監査役会等、内部監査連絡会等の会議時期が分散している。3グループ&コンサル先間の移動距離が短く、移動時間も短縮できる。オンライン会議なら掛け持ちし易い。他社からの気づきも多いので、相互にプラスがある。各社VPNやネットワークの仕組が違うので、PC3台を使い分けるのが目下の悩みだが、PCを切り替えることで会社モードも切り替わる。
これまで経験してきた事業会社は大企業ばかりで、ベンチャーは初めての経験だ。しかもテック。馴染みのない言葉も多い。DXの時代にテックのベンチャーに飛び込むことに意義があると考えている。また、監査役の仕事でも「社外」、「常勤」は初めてだ。「常勤」の立場が理解できてこそ、「非常勤監査役」の仕事も生きてくる。類似の仕事で集中的に取り組む方が、理解が早く、深い。そこで、監査役の仕事で、常勤・非常勤を組み合わせた。また、コンサルティングは執行側の仕事だが、現在の業務に近い内部統制・監査対応を中心に行うことで、自身の事業領域を隣地で固めている。
人生100年時代の折り返し地点で、今後20年を見据え、今しばらくは、勉強し直しだと思っている。ビジネススクールでの中年の学びは、使わないとすぐに忘れてしまう。そのためにも、経営に近いところで、色々な会社の戦略やガバナンスに触れ、学びを振り返る機会を増やしていきたいと考えている。様々な成長ステージの会社で、多くの人の話を聴き、経験を積んでいきたい。