横山和夫(よこやまかずお) | 会計士の履歴書 | 活躍する会計士たちの仕事やキャリアを紹介

横山公認会計士事務所

会長

横山 和夫 よこやま かずお

一生青春 一生勉強 多くの人に支えられ
感謝の念を忘れず、自分の道を歩み終えたい。
リーダータイプ
リーダータイプ

1937年1月18日生まれ(83歳)
愛知県出身 ・ 千葉県在住
目白大学大学院経営学研究科経営学専攻 博士後期課程修了 博士(経営学)

会計士データ
  • 年齢
    60代以上
    回答者全体の
    1.4%
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  • 役職
    代表取締役
    回答者全体の
    36.2%
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  • 企業種別
    会計事務所
    回答者全体の
    5.5%
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  • 出身
    中部
    回答者全体の
    15.1%
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リーダータイプの特徴
  • 内向的
  • 臨機応変型
  • 大局タイプ
  • 個人主義
  • 伝統型
  • 外向的
  • 計画管理型
  • こだわりタイプ
  • 集団主義
  • 革新型
  • 30
  • 20
  • 10
  • 0
  • 10
  • 20
  • 30
  • このタイプの割合
    回答者全体の
  • 16.5%

人とコミュニケーションをとることが好きで、新しい価値観や知識の吸収に貪欲である。
協調性も高く、相手に対して思いやりを持って接することができるため周囲から頼りにされやすい。
自身の仕事に対しても責任感を持って誠実に取り組むことができるが、予想外のトラブルや問題が起こった時には動揺したりイライラしたりすることもある。
上昇志向があるため内にこもらず積極的に物事に挑戦していく傾向にある。

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1キャリアサマリー
1958年12月
税理士試験 簿記論・財務諸表論2科目受験、合格
1959年12月
税理士試験 法人税法・事業税法・固定資産税法3科目受験、合格 (合格証書番号第1970号)
1960年3月
日本大学商学部(第二部) 卒業
1960年4月
私立中央商業高等学校教諭として奉職
1960年9月
公認会計士第二次試験合格 (合格証書番号第1900号)
1961年4月
磯部公認会計士事務所入所
(所長 磯部秀夫先生は、現 EY新日本有限責任監査法人の創立者の一人)
1963年12月
公認会計士第三次試験合格 (合格証書番号第1165号)
1964年1月
横山公認会計士事務所開設 (現在に至る)
1985年4月
朝日大学経営学部教授 (1991年3月迄)
税理士試験委員(財務諸表論担当)(1987年12月迄)
1991年4月
東京理科大学工学部教授 (2012年3月迄)
同非常勤講師 (2017年3月迄)

雑貨卸小売業の丁稚小僧として働きながら愛知県立刈谷商業家庭高等学校(現 刈谷北高等学校)定時制商業課程を修了、小企業の事務員として働きながら中央商科短期大学(夜間)、日本大学商学部(第二部)を卒業という、働きながら学ぶという二足の草鞋を履く生活でした。商業高校時代に、日本商工会議所 簿記検定試験(以下、日商簿 記検定試験) 初級(現3級)・中級(現2級)、全国商業高等学校校長協会 簿記検定3級・2級に挑戦し合格したこともあって、大学に入ってからも独学で日商簿記検定試験上級(現1級)に挑戦しましたが、3回連続不合格となってしまいました。しかし、あきらめず4回目でやっと合格することができました。このように上に向かって前進あるのみという私の意志は、必然的に税理士試験に結び付き、大学3年次に初めて挑戦した簿記論と財務諸表論の2科目ともに合格できました。このことは、何事にも諦めないという信念を持ち続けたことへのご褒美であり、その後の私の進む道への大きな力となりました。
翌年、昼間の勤務を辞め、最小限度のアルバイトはしたものの、14か月間は中央大学経理研究所の公認会計士第二次試験と税理士試験の法人税法・事業税法・固定資産税法3科目受験のためのコースを受講することと、大学の学業に専念することができました。そしてその年の第九回税理士試験に合格することができました。合格者464名のうち3科目に合格したのは37名であったことを知り、力づけられ、翌年7月の公認会計士第二次試験は受験者2,427名のうちの合格者216名(合格率8.1%)の中に入ることができました。受験仲間6名(全員 税理士試験合格者)も同時に合格しました。良き受験仲間に恵まれたことも合格への大きな力となっていました。このうち3名は他界しましたが残りの3名はまだ実務に就いています。
1963年11月の公認会計士第三次試験は、1年前から公認会計士協会のCPAセミナーに参加していたこともあり、受験者651名、合格者43名(合格率6.6%)の中に私の名前がありました。3年前の二次試験合格者216名のうち合格したのは、わずか21名でした。今では考えられない厳しい道程でした。
 ただ、私の夢は教師になることでした。1968年4月から日本大学商学部(1987年3月迄)、横浜国立大学経営学部(2000年3月迄)で非常勤講師として教壇に立つことができました。その後、運輸省運輸研修所、大蔵省財政金融研究所などの国家機関などでも講師として勤め、二足の草鞋を履き続け、1985年4月には朝日大学、1991年には東京理科大学へ教授として招聘され、18歳のときの教師となる夢は、最高学府で叶えられました。これも学歴の不十分な私に公認会計士、税理士という国家資格がそれを補い、また一流学者の先生方の教導があったことと感謝して人生を歩み続けています。







2監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ

監査法人が認められたのは1967年であり、私が第二次試験に合格した1960年には、実務従事をするには個人事務所しかありませんでした。第二次試験合格時には、私立中央商業高等学校の教諭として奉職しており、とりあえず中央大学実務補修所に入門して、1年間の実務補修を受講することとし、翌年3月に教諭を辞して、就職活動を行いました。当時は就職難でしたが、やっと3か所目で主として東芝関係を監査している磯部公認会計士事務所で非常勤職員として採用していただけました。
先輩職員は福島大学、法政大学、一橋大学などの著名大学の卒業生であり、そのうち2人の一橋大学卒業生の先輩の補助者として監査に従事し、見様見真似の実務従事でしたが、自分で考えて自主的な監査を行うことを勧められたことが、その後の自分にとって有意義なことでした。

 1960年3月に横山税務会計事務所を開設(登録番号10985号)し、細々と税理士業務を行っていましたが、1963年4月に妻の父が経営していた職員10名の篠原税務会計事務所を継承することとなり、職員12名の生活を保証することが必要となりました。そこで磯部公認会計士事務所の監査業務を辞し、横山公認会計士事務所の経営に専念することとなりました。

3今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス

18歳の私の夢は教師になることでしたが、当時の私の生活環境から友人らはその夢は夢で終わるだろうと信じてもらえませんでした。
公認会計士第二次試験の受験仲間のグループ全員合格が税務経理協会の大坪半吾社長、永井清昭編集長の目に止まり、受験雑誌「税経セミナー」(2013年10月休刊)に特集記事の執筆を依頼され、その後毎月のように簿記論、財務諸表論に関する記事の執筆を続け、また当時試験委員であった大阪大学教授 木内佳市先生(財務諸表論)の講義を担当し、さらに参考書の出版など受験指導の教育者としての活躍の場を与えられ、もう一つの教師の夢が叶いました。また、受験指導校の税経学院において、税理士試験の簿記論を担当しておられた横浜国立大学教授 沼田嘉穂先生(簿記論)の一番弟子の同大学教授 大藪俊哉先生(簿記論)に目をかけていただき、横浜国立大学経営学部への非常勤講師へ推挙していただきました。また一橋大学教授 中村忠先生(財務諸表論)の紹介を受け、両先生によって学会発表などの指導を受けることとなり大学教員への道を歩むこととなりました。教師の夢で残すは専任教授のみとなりましたが、これも1985年4月横浜国立大学教授 大山政雄先生(管理会計論)の推挙で岐阜にある朝日大学経営学部の教授へ就任、そして受験指導者としては例を見なかった税理士試験委員への就任と、夢以上の栄光への懸け橋を一気にかけ登ることができました。運が良かったと言えばその通りですが、その夢をかなえるためには、私の人生は「忍耐」「努力」「継続」「信頼」を分子に、分母は「感謝」でした。そして公認会計士・税理士という国家資格が私を保証してくれたものと思っています。

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