2監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ
会計士試験を目指したのは、子供の頃からコンサルタントに憧れていた思いがあり、大学の生協で会計士がコンサルタントの最高峰の資格と謳った専門学校のパンフレットを見たことがきっかけでした。その為、会計士に合格した後は、まずは監査法人にて会計士として一通りのことを経験しようと思い、その中でも最も厳しく鍛えられると言われていた有限責任監査法人トーマツに入所しました。所属は国内監査部門でしたが、自ら手を上げて、通常の国内大手企業以外に様々な会社の初度監査、大手外資系アパレルの日本法人、金融機関の会計監査や自己査定業務、債権デューデリジェンス、バルクセールのアドバイザリー、更には入所1年目代表として採用説明会のプレゼンテーションや海外研修への参加など様々な社内プロジェクトも経験させて頂きました。
監査法人は、他の会社よりも早い段階でチームリーダーとしてチームビルディングやクライアントリレーションを経験できるのが1つの特徴だと思っています。私も、入社4年目で一部上場会社の監査の現場主任を担当させて頂く機会がありました。担当時点では、当該クライアントから監査法人への評価が低く、監査チームメンバーもチームとしてはバラバラな状態で、新たな担当社員と現場主任で改善をしていこうという中で抜擢して頂きました。その為、担当社員と一緒に少しでも会社のプラスになるよう監査以外の付加価値を生み出すことに注力し、同時にクライアントとチームが上手く回るよう様々なコミュニケーションを図り、クライアントコミュニケーションとチームビルディングの改善を徹底しました。その結果、監査報酬を増額して頂くほどまでクライアントからの評価が改善し、またチームメンバーも当該クライアントの業務に関わるのが楽しいと言ってくれるようにまで改善しました。なお当時から10年以上経った今でも、そのクライアントの方やチームメンバーとは交流が続いています。
しかしながら、エンロン事件などによって監査業務とコンサルティング業務が分離していく流れが起きて、監査法人でのコンサルティング業務に限界を感じ始め、またマネージャーに昇格したことで監査業務については一通りの経験は出来たという自負もあって転職を考えるようになりました。
コンサルタントの中でも戦略系コンサルタントを志向したのは、経営の中で最下流である会計数値からの改善提案ではどうしても事後的であることから改善範囲に限界があり、最も上流である戦略策定時点から参画していく必要があることを痛感していたためです。また、当時、産業再生機構などで経営コンサルタントが活躍していたこともあり、戦略コンサルティングという職業に憧れたというのも1つの理由です。
株式会社コーポレイトディレクション(CDI)では、戦略立案、業務改革、組織改善、事業再生、各種デューデリジェンス、M&Aなど、様々な業種においてコンサルティング業務を経験しました。転職した際に、転職エージェントから戦略コンサルティングは1年の経験が3年の経験になると言われましたが、まさにCDIでは1年で3年に匹敵する質的にも量的にも大きな経験をさせて頂きました。例えば、クライアントから依頼された内容に対していきなり答えを求めにいく訳ではなく、そもそもクライアントの市場や競合や自社状況など踏まえて本当にその依頼が本当にクライアントにとって解決すべき課題なのかどうかを検証するところからスタートします。特に、CDIは過去から蓄積されたナレッジを使いまわすということはなく、また特定の専門領域を作らないことから、常に案件ごとにゼロベースから思考していくスタイルであり、非常に辛く大変な思いをしました。しかし、この経験をしたことでかなりの成長実感を得られた上、一緒に大変な思いを乗り越えたことでかけがえのない仲間もできました。
入社から3年半程度が経過した時点で、会計士×コンサルティングという自分の強みをより活かしていきたいという思いと報酬を頂いてクライアントと関わる性質上、短期的になりがちなクライアントとの関係性をより長期で関わっていきたいという思いが段々と芽生えてきました。その様な中で、このどちらの思いも叶うということで投資会社ACAのパートナーから誘いを受け、ACAに転職することを決意しました。
ACAでは、入社2カ月程度してから株式会社ホットランドへの投資することが決まり、グローバル展開やIPO準備を常駐のハンズオンで支援できる人員を探しており、たまたま会計士だった自分に白羽の矢がたちました。自分としてもハンズオンでの支援はいつか経験したいと思っていたものでしたので、出向を決意しました。出向時、経理財務部長として現場に入りましたが、管理体制としては脆弱でこれを1から作る必要があり、また本社を石巻に移転させるなど震災支援をしていた関係もあり、資金繰りも非常に厳しい状態でした。これらに対応する為に、10数行に及ぶ金融機関と交渉・調整して、数十億円のシンジケートローンを組成してIPOまでの資金繰りに目途を付けると同時に、監査法人にいた信頼できる後輩に経理部長として入社して貰うなど、まずは財務及び会計を盤石とすることに奔走しました。
その後、IPO準備に入りますが、子会社も多く、店舗数も500店程度、従業員数も2000人程度と規模が大きく、不採算子会社の整理、規程やマニュアルなど社内管理体制の整備や労務などのコンプライアンス対応など想像以上に苦労しました。その中で志向性や立場の違いから社長と夜に電話で激しく討論することもしばしばありました。またIPO準備以外にも、海外展開の責任者として、タイ、韓国などの国々でフランチャイズ契約を締結して店舗展開を加速させると共に、国内で同業他社を買収するなど、事業戦略の幅を広げることにも注力しました。この様な中で社内IPO準備メンバー、証券会社・監査法人が非常に強い結束で結ばれ、そのメンバーで粘り強く1つ1つ課題に対処することで何とかIPO審査を通ることが出来ました。IPO時には、社長含めたこのメンバーで泣くほどに喜べたのは、大きな財産となっています。
ホットランドのIPO後は、非常勤取締役として引き続きホットランドを支援すると同時に、国内IT会社のスクイーズアウト、国内IT会社の買収・バリューアップ・売却、インドネシアのアパレル企業のバリューアップ支援などを経験しました。
その頃に、Rettyから声を掛けて頂きました。当時は、ACAでの業務が非常に楽しく、転職することなどを考えたこともなかったのですが、代表の武田和也氏やその他のメンバーにも会っていくうちに、日本の素晴らしい食という分野で生まれたサービスを世界に広げていこうというビジョンと圧倒的な熱量に感化されていき、一緒に面白い会社を作りあげていきたいと思うようになり、最終的にRettyに入社を決めました。
これまでの転職判断を総じて言うと、日本をより良くしていきたいという思いが自分の根底にあると思っています。子供の頃にインドや中国に住んだ経験などから相対的な日本の素晴らしさを実感しており、日本人としてより日本を良くしていきたいという強い思いを昔から持ち続けています。具体的には、CDIに転職を決意したのも日本出自の唯一の戦略系コンサルティングという事を自負していたこと、ACAに転職したのも日本の良いコンテンツをアジア中心に広げていこうという思想であったこと、Rettyは『食を通じて世界中の人々をHappyに』というビジョンを掲げ、日本の素晴らしい食という分野で生まれたサービスを世界に広げていこうという理念を持っていたことが大きな決め手となっています。