4あなた独自の強みと今現在の仕事との関係性
僕の独自の強みって何だろうと思ったとき、それは良くも悪くも、あまり変化を恐れないことではないかと思っている。今まで経験した変化は数えたらきりがない。最初は理工学部から会計士を目指したとき。ボート部をやめてウィンドサーフィンに転向したとき。金融部からホノルルを志望したとき。そしてまた、日本から現地採用でシドニーに行ったとき。会計事務所で油が乗ってきたと思った30代中盤で退職し、不動産業に転向したとき。それから、会計士としても独立したいと思ったとき。その時々で、環境やそれまでのキャリアを多少でも変えることを、結果として選んできた。
今年40歳を迎えるにあたり、今までのキャリアで出会った先輩、同期や後輩、新卒で選んだ会社で腰を据えてキャリアをつんできた方々とも交差する機会が増え、一つの組織でじっくりと皆の応援を受けながらキャリアを醸成していくことはおそらく一番正しいのかなと思うことがよくある。組織人として、仲間との歴史、企業の歴史、社内や社外でのネットワークどれをとっても、一つのところで同じ業界でがんばっていくことが最適解であり、かつ効率も良いだろう。
正直に言うと環境が変わって最初の2年間は常に後悔していた。転身というとかっこいいかもしれないが、仕事も知識もネットワークも一から作り上げなければならないし、実質的には新人からのスタートになる。ましてや年齢を重ねてくると、新しいことをやることや新しい仲間と関係を作っていくことは、難しくなる場合もある。
でも振り返ってみると、環境を変えてきたからこそできた経験、出現した新たな機会や、出会った仲間もいて、後悔する以上に自分にとっては真なのだ。3歩下がって6歩前進すればいいんだと嘘ぶいているが、あながち外れてもいないのかなと思っている。
会計士としても、自営業者としても、日本人としても、やってみたいことや目指したいことはいっぱいある。今は何もかもが中等半端で悪あがきしている感じもするが、悪あがきしてるときが一番楽しいと思えるようになってきた不惑である。
5仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間
監査で感動して泣けてきたことは、仕事そのものの中にある。といっても、日々の実務でいえば、感動して泣いたことよりも、パニックに陥ったりできなくて泣けてきたことが多い。終わっているはずの監査調書を確認したら去年のファイルのままで締め切りに間に合わなかったりと、ドキドキすることのほうが多かったように思う。
真面目な話で言えば、やはりチームである程度まとまった期間、監査部屋という名実ともに密集した空間に閉じ込められて、同じ空気を吸い同じ書類に苛まれることによって培われる仲間意識、いわば同じ釜の飯的な友達ができたことが財産になった。
また、公的な仕事で南半球のサモアという島の病院の会計監査の仕事をしたことがあったのだが、島全体がひどい洪水を受けた直後で、帳簿も会計証憑も水浸しになってしまった。適正な決算書が提出できなければ政府の補助金がおりずに、島民の方が頼りにしている病院が稼働しないかもしれないということもあり、島の人々に大変よく手伝ってもらいながらなんとか帳簿を復元していった仕事は今でも良い思い出になっている。
6公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと、それをどのように乗り越えたか
僕が最初に就職し、かつ一番長く職業として過ごした公認会計士という仕事は、やはり難しい仕事だと思う。難しいというのは、仕事の内容そのものがということではない。正直仕事の内容でみれば保険数理やITエンジニア、アプリの開発のようなものの方が、僕には非常に難しいもののように思える。
監査業務という独占業務を行う会計士という存在は、顧客(お客様)から選定され、報酬をもらい、評価を受ける立場にありながら、監査手続きを実施し、監査差異を指摘し、時によっては顧客に改善事項、あるいは会社に実質的に致命的な影響を与えかねない不適正意見を出さないといけない。そこが難しいと思うのだ。
10年以上監査に携わってきた中で、個人的には、経理部の責任者や担当者に膨大な書類の準備や監査サンプルを依頼したり、忙しそうなときに質問をしたりすることは正直申し訳ないと思ってしまうことがよくあった。もちろん監査としてやることをやり、間違ったことははっきり伝えるというスタンスなのは当たり前だし、監査担当者とも良好な関係であることがほとんどで、今でも個人的にお付き合いしている方も多くいる。
ただ、それなりに長年監査に関与していると、監査が結果として機能しなかったというようなことにも出くわすこともある。具体的には、ニュースに出る出ないは別として、監査をして適正意見を表明したが、数年たって数字に誤りがあったということが判明することがある。そして、その時に思うことがある。果たして、監査チームあるいは担当監査法人は、その誤謬ないし不正を見抜くことがその当時できたのかと。あるいはその誤謬ないし不正を決算発表前に指摘し、意見表明を変えることはできたのかと。
そして言ってはいけないことを百も承知のうえだが、非常に難しいのでは、と思うのである。その理由として、これは財務経理部の立場を経験してから特に顕著に思うことなのであるが、監査人に提供される情報(文書・口頭含め)はときとして部分的なものであり、社内の方が知っている情報量と比較すると圧倒的に情報が限られているということなのだ。例えば、メールや非公式な打ち合わせで非常に重要な経理処理が決められていることが多く、残念ながら監査人はこういった情報に無制限にアクセスできるわけではない。基本的には、監査クライアントが監査人に提出すると決めた書類しか見ることができないのである。
また、時間的な制約も大きい。問題となりそうな会計事案は適宜に相談してくれたとしても、決算処理が終わったあとにしか決算において締まった数字を見ることはできない。つまり、監査人は決算日が終わり、経理部が数字と格闘して帳簿を締めたあとで、初めて本当の意味での最終報告数値を検証できるのだ。でも、適時開示が求められ、決算短信、決算報告の日程が短縮されてきている中、検証が始まってから結論を求められるまでの時間が短いため、特に大企業の膨大な書類量、情報量を部外者として理解、咀嚼そして適正性を判断するのはかなり難しいのが現実ではなかろうか。
仮に、非常に優秀な監査スタッフが根本的な問題を発見して責任者に報告できたとして、その後どうなるのか。修正を決算報告の締め切りに間に合わせられるのか。考えだすと改めて難しい仕事だと思う。
僕にその答えはまだ分からないし、監査法人で監査業務に専従したいと正直思えないのも、それが理由の一つかもしれない。おそらく、システムの発達、AIの活用、データマイニングといった監査テクノロジーの進歩が突破口になるのかもしれないと期待している。