花房幸範(はなふさゆきのり) | 会計士の履歴書 | 活躍する会計士たちの仕事やキャリアを紹介

アカウンティングワークス株式会社

代表取締役

花房 幸範 はなふさ ゆきのり

後悔しない選択を導く会計士
起業家タイプ
起業家タイプ

1975年5月10日生まれ(49歳)
鳥取県出身 ・ 東京都在住
中央大学商学部会計学科

起業家タイプの特徴
  • 内向的
  • 臨機応変型
  • 大局タイプ
  • 個人主義
  • 伝統型
  • 外向的
  • 計画管理型
  • こだわりタイプ
  • 集団主義
  • 革新型
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  • このタイプの割合
    回答者全体の
  • 2.5%

チャレンジングで活動的。
上昇志向を持ち積極的に外部と関わり、周りの意見を貪欲に吸収する傾向にある。
想像力が豊かで慣習にとらわれないため、自由で柔軟な印象を与える。
そのため仕事に対しても枠にとらわれることなく、臨機応変な対応ができる。
しかし場合によっては、場当たり的な行動をとったり状況に気分が左右されたりすることも。
コミュニケーション上手だが、自己主張が強い傾向にある。

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1キャリアサマリー
1993年
公認会計士という職業があることを知り、会計士を目指そうと思う。
1994年
国立、私学で商学部に絞って受験し、中央大学商学部会計学科入学
1997年
公認会計士二次試験合格、青山監査法人で働き始める
1998年4月
大学卒業、青山監査法人入所
2002年12月
日本アジアホールディングス株式会社 入社
2007年7月
株式会社会計工房 入社
2009年8月
アカウンティングワークス㈱設立、代表取締役就任(現在に至る)

私が公認会計士を志したのは、高校2年の時、たまたま学校の教室に置いてあった職業紹介の雑誌で、この職業を知ったことがきっかけです。地方にいると、学校の先生、公務員、医者のどれになるか、という話をされたりするのですが、自分自身は怠け者で、学校も遅刻していましたし、そもそも組織に向かない性格だろうと昔から思っていました。実家が商売をやっていたため、いわゆるサラリーマンのイメージもなかったんです。そんなときに公認会計士を知り、元々数字が得意だったこともあって、自分に向いた職業ではないかと感じました。そこで、大学の先生の助言のもと進学先を商学部に絞って、中央大学に合格し、簿記3級、2級、1級を取得後、大学の経理研究所で公認会計士の受験勉強を始めました。大学3年時、短答式に受かるも論述式(現在の論文式)で落ちてしまい、資格の予備校に通学して大学4年時、2度目の受験で合格。青山監査法人に就職を決めました。学生なので正式入社は卒業後となりましたが、合格後からフルタイムで働き始めました。
監査法人で5年間働いた後、先輩の口利きで投資会社に、財務経理のコントローラーとして転職することになりました。5年間、財務経理の責任者として、IFRSでの連結決算実務、金融機関からの資金調達、上場準備のための業務も経験できました。監査法人では得られなかった一般社会の常識的な慣行を学ぶことができ、ある意味新鮮でしたし、異業種の方と交わることの面白さを知ったと思います。
その後、中小の会計事務所に転職します。そこでは2年間、上場会社や上場準備会社、非上場会社の様々なコンサルティングでの支援を経験しました。
そして2009年、地元鳥取に貢献できないか、そして多くの中小企業経営者の知恵袋的な存在としてサポートできないかという思いで独立しました。

2監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ

学生時代ほとんどアルバイトをしたことがなかったので、社会人として初めて働くことが面白く、監査法人ではどんな仕事でも積極的に引き受けていました。特に当時は、監査部にいるから監査の仕事だけということはなく、日本でもまだ黎明期であった財務デューデリジェンスや、上場支援の仕事にも携わることができました。監査法人で培われた実務の方法論やExcelの知識は、今でも仕事のベースとして役立っています。経理担当者向けのExcelの本を書いたのですが、ある人からは「今までで1番役に立つ本だった」とお褒めの言葉を頂きました。この本がきっかけで、後に80名規模のExcel研修の講師の依頼もいただきました。
監査法人には5年しか在籍しませんでしたが、かなり密度の濃い、仕事に注力した時期でした。忙しく働いて、10年分ぐらい経験したのではないでしょうか。厳しいところに身を置いたのが良かったですね。
財務デューデリジェンスは独立してからも行っていますが、監査部門から、財務デューデリジェンスの専門部署への転籍を考えている時期もありました。デューデリジェンスはより深彫りして、ダイレクトに会社の意思決定に寄与している実感があり、仕事として面白かったからです。しかし、先に独立していた先輩の口利きで香港資本の投資会社(日本アジアホールディングス㈱)を紹介していただき、結果としてそちらにご縁を感じて転職しました。香港の親会社が香港上場を目指していたタイミングで、かつ、日本の事業規模が非常に大きかったのですが、IFRSベースの連結財務諸表を作れる人がいない。そこで僕が、財務経理部長として入ることになったんです。いざ入社してみると水が合う環境で、初めての事業会社の経理の仕事はやりがいもありました。他にも、IPO準備や買収した子会社の業務システムの統合・連携に必要なアレンジや、パッケージの作成・指導、資金調達も累計で300億円ほどするなど、財務経理に絡むことをひととおり経験でき、大変勉強になりました。
この会社に入社した2002年は、ITバブル崩壊直後で、株価が低迷し、証券会社のPBRも0.5以下という時代でした。その地場証券をたくさん買っている会社が、まさに僕が入社した会社でした。たくさん買ったら今度はスリム化して利益体制にしていく、というビジネスモデルですね。当時まだ投資会社が世の中的にメジャーではなかったですが、「東大出たら官僚」だったのが、ゴールドマン・サックスや、外資系投資銀行へ行く、というように変化するほど、投資銀行が脚光を浴び、有名な「ハゲタカ」という本がドラマ化され…。そういうダイナミズムをまさに真横で見れたのは、刺激的でした。
この会社は傘下に日本アジア証券や亜細亜証券印刷(現在のプロネクサス)があり、出向で来ている人も多かったため、同期や先輩含め、「営業っ気」のある人など、面白くて個性的な人が多かったです。皆、非常に良くしてくれて、「監査法人での常識が世間では非常識」という学びもありました。日経新聞の読み方ではないですが、新入社員が教わるようなことをそこで学び、非常に勉強になった5年間でした。また、香港に親会社があった関係で、仕事で香港やシンガポールに出張できたことも、自分自身の見聞を広める良い経験になりました。

3今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス

2009年にアカウンティングワークス株式会社を設立して15年になります。前半の7年程は1人で会計コンサルティングを行うことがメインの業務でした。具体的には上場会社の決算開示支援、連結決算支援、業務改善コンサルティング、財務デューデリジェンス、株価算定等の業務です。8年程前に常駐型の会計BPO事業をスタートし、現在では20数名の組織となりました。BPO事業と並行して税理士法人も設立し、企業の顧問税理士の仕事も少しずつ増えています。小規模ながらも、会計のお困りごとに対して総合的にソリューションを提供できるようにしていきたいと考えています。
また、独立してから上場会社の社外役員(現在は3社)を拝命する機会も頂いています。「なんでそんなに社外役員をやっているんですか?」とよく聞かれるのですが、基本的にすべてご縁で、「出会い」と「相性」だと思っています。自分では、自分自身を売り込んでいるつもりはなく、色々な人と接点を持つ中で、相性が良ければお声をかけていただけるのではないでしょうか。誰も強慢な人に頼もうとは思わないので、謙虚であること、そして、杓子定規に物事を考えず、本当の意味で合理的な判断をすることを心がけているつもりです。なんでも杓子定規にリスクを回避するのでなく、 挑戦すべきことは挑戦するいう姿勢を大事にしています。「損して得取れ」という言葉も好きですね。こういった姿勢が評価されて役員に選んでいただいたのなら、良い「出会い」であり、「相性」が良かったということだと思っています。

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