会計スキルと人脈で会社を導く!クラウド型コミュニケーションサービス会社の本部長に求められるキャリアは
株式会社ブイキューブ / 乾 隆一
会計スキルと人脈で会社を導く!クラウド型コミュニケーションサービス会社の本部長に求められるキャリアは
株式会社ブイキューブ / 乾 隆一
中央監査法人から独立し、TAC株式会社公認会計士講座専任講師、東京実務補習所運営委員・副委員長を経て、クラウド型ビジュアルコミュニケーションサービスを提供する株式会社ブイキューブに経営企画本部本部長として参画された、乾隆一(いぬい りゅういち)さんをご紹介します。東証1部上場企業の本部長に求められるものは何か。監査法人から事業会社に転職するためのキャリアパスをお聞きします。
株式会社ブイキューブ
業務内容は、クラウド型を中心としたビジュアルコミュニケーションサービスの提供。インターネットを通じて、会議の参加者同士が、お互いの顔を見ながら資料を共有し、双方向のコミュニケーションを取ることのできるWeb会議サービスやオンラインセミナー等のサービスを提供している。主に企業・教育機関・官公庁等向けに業績を拡大。東京証券取引所市場第一部上場。従業員数488名(平成30年1月時点の連結ベース)。東京都目黒区上目黒に本社があり、グループ会社は国内1社、海外はシンガポールをはじめ7社。平成10年10月設立。
キャリアサマリー
1975年東京都目黒区生まれ。慶應義塾大学商学部に進学卒業。
卒業1年目で公認会計士試験に合格し、中央監査法人国内部に入所。
約4年間監査法人に勤務したのち慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程に進む。同時に乾公認会計士事務所を設立し所長に就任(現任)。
2002年からTAC株式会社の公認会計士講座専任講師を兼任し、講師・テキスト作成・後輩講師の指導など10年に渡り携わる。
その後2012年に株式会社クロスマーケティングで事業会社の実務を経験し、2013年より株式会社ブイキューブに入社し執行役員となる。2017年より経営企画本部長に就任(現任)。また、株式会社ブイキューブの社内事業からカーブアウトして設立された、株式会社ブイキューブロボティクスの取締役に2016年に就任(現任)。
2005年より日本公認会計士協会東京実務補習所及び一般財団法人会計教育研修機構東京実務補習所の運営委員、2009年から2015年までは同副委員長を勤め、後進の育成に力を注ぐ。
著書
・『これだけは知っておきたい!!「会計」の基本と常識 社会人として最低限知っておきたい「会社のしくみ」がわかる』(出版社名:フォレスト出版、出版年月2007年12月)
・『会計基準の過去・現在・未来 第1巻』(出版社名:TAC出版、出版年月:2009年7月1日)など。
日本管理会計学会、日本ディスクロージャー研究学会会員。
目次
監査法人での経験をお聞かせください。
1998年10月に公認会計士第2次試験に合格し、中央監査法人の国内部に入所しました。今でこそ合格者は毎年1,000名を超えていますが、私が合格した1998年は受験者数約1万人に対して合格者が700人弱と少ない時代でした。
まだ合格者が少なかったので、国内上場企業、非上場企業、学校法人、上場準備など幅広く監査等の業務を行うことができ、将来につながる経験ができました。
その当時と今とでは、監査法人に違いはありますか?
当時は人が少なかったので、短期間で濃厚な経験が積めたのだと思います。
私の場合は、入所2年目でインチャージを任されました。J1のときから行っていた上場準備会社があったのですが、そこのインチャージをしていたマネージャーがパートナーに昇格することになり「インチャージをやらないか」と声を掛けてもらいました。マネージャーの次にメインで行っていたので会社のことは分かっていましたが、J2という若さでインチャージを任されたことには驚きました。その会社では店頭登録(IPO)も経験できて、年次が浅いながらも色々と経験が積めました。
他には、一部上場企業、そのグループ子会社、業界最大手のメーカーなど大小様々な企業や組織に往査に行き、そのうちの数社はインチャージとして関わることもできました。監査法人にいたのは約4年間でしたが、非常に濃厚な時間を過ごすことができたと思っています。
監査法人時代の忘れられない経験はありますか?
忘れられないというより、ショックを受けたと言った方が良いかもしれません。
小学校から中学・高校、そして大学や会計受験生時代と色々なバックグランドを持った人々と出会ってきました。ところが監査法人に入ると、当然のことながら先輩も同期も会計士で優秀な人ばかり。社会人経験がある同期も多くいたので、社会人1日目にして「自分は同期の中で下から数えた方が早いだろう」と感じました。正直、かなりショックでした。
また、同じ監査チームには優秀な先輩がひしめきあっていて、さらに超優秀な先輩もいたりするわけで、監査法人に入ってからショック続きでしたね(笑)。
具体的にどのようなところが優秀だと感じたのでしょうか?
同じ監査チームの先輩の話なのですが、J1の自分と1年しか年次が違わないはずなのに、もっと上の年次の先輩たちと何ら遜色なく仕事をしていて、しかも何でも知っていて考察が深いのです。その先輩は榎本さんという方で、現在は新日本有限責任監査法人の品質管理本部でパートナーをされています。
先輩と私には圧倒的な差があり、真似したところで簡単に身につけられない何かがありました。監査法人ではこういう人がパートナーになっていくのだろうと、自分の将来が心配になりました。
それでも2年目になれば私も同じレベルになれるかもしれないと、わずかな希望を持っていたのですが、J1から質問されたときに自分は同じようにはなれないと気づいてしまいました。ざわざわした不安が胸に広がりました。こんな人たちと比べられて監査の知識や経験で監査法人に残っていくことは自分には無理だし、特徴を生かして出世することも難しいということに気づきました。
優秀な人しかいない環境で比べられながら働くのは大変なことですね。
不安に突き動かされるように、つてを頼りながら監査法人以外のキャリアについて監査法人OBの人たちに相談しに行きました。
いまから考えても、かなり危機感を感じたのだと思います。しかし自分の場合は心が動かされて、2年目から監査法人以外の会計士の道を知るべく行動を起こしたからこそ、今につながる会計士としての道を進むことができたのだと思っています。
その後のキャリアはどのように選択したのでしょうか?
もともと大学院で勉強したいという気持ちがありましたので、「公認会計士第三次試験に合格したら、海外のMBAあるいは日本の大学院でビジネスセオリーを学んで専門性を養いたい。そのあとは金融機関で専門性の高い業務に関わるのもいいし、独立や学者の道もあるな」と考えていました。
そして監査法人の先輩や知人の紹介で、監査法人以外のフィールドで活躍している会計士の方に会い、自分の考えを深めていきました。
その結果、最終的には大学院に行きながら独立する道を選択して、監査法人を退所しました。
大学院時代の話をお聞かせください。
慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程に通い、2年間の修士課程を2回ずつ、合計4年間通いました。2回目は伊藤眞先生のゼミに入りなおして、金融商品会計や国際会計基準を勉強しました。
大学院で思う存分勉強に取り組めたことや、大学院で教授や院生たちと会計について議論したことで、会計に対してより深い知識や経験を持つことができるようになりました。大学院に行って身に付けたものは、今のキャリアに活かされています。
大学院に通うかたわら、お仕事もされていたそうですね。
監査法人退職後、ご縁があってTACの公認会計士講座の講師になりました。また独立して開業もしていました。独立した当初はバリエーションを主にしており、2004年頃からはIFRS導入コンサルも行うようになりました。
午前中は大学院で授業に参加し、午後は自分の事務所かクライアントに行き、平日夜と土日はTAC講師業を行うという、監査法人時代よりも多忙な日々を送ることになりました。といってもやりたい事を存分にやっていたので、毎日が充実していました。
東京実務補習所で運営委員を引き受けたきっかけはなんだったのでしょうか?
公認会計士会館にCPE研修を受けに行った時に、偶然、監査法人時代の先輩パートナーに会いました。当時、彼は会計士協会の常任理事をしていて、私に協会の委員会活動をやらないか、と声をかけてくれました。
会計士協会にはいろいろな委員会があるのですが、私の経験が活かせる委員会を探し、TAC講師の経験を活かせる補習所の運営委員になることを選択しました。
また、当時の東京実務補習所運営委員は、補習所で行われているいずれかの講義の担当講師になることになっていましたので、大学院で最先端を学び仕事でも活かした国際会計基準(当時はIAS、現在はIFRS)の講義を担当することになりました。
現在は、企業内会計士であることを活かした科目を担当しています。
運営委員と副委員長を合わせて10年以上務められたそうですね。
合格者が増えて補習所の班の数も増えていき、各班を2~3人の運営委員で担当するのですが、運営委員の数も足りなくなっていきました。そのため3年任期と聞いていましたが、補習所の事務局から任期延長を打診されました。
そしてその後、補習所の講義を担当していて気がついた点を補習所担当の常任理事に伝えたら、今度は「副委員長をやらないか」と誘っていただきました。
当時、副委員長は大手監査法人から選出される仕組みでした。監査法人所属ではない自分の椅子をわざわざ用意してくれたこともあり、副委員長をお引き受けすることになりました。
大学院が終わったあとのキャリアは、どうやって決めたのですか?
大学院が一区切りついて、その後の進路について会計士の先輩に相談したところ、「会社の中の論理を知っていると役立つ」と助言してもらいました。
当時は30代半ばだったので、「今の年齢なら事業会社に行けるから」と言われて、事業会社を経験してから独立しても遅くはないと決心しました。それで2012年に1社目の事業会社に入り、翌年2013年に現在所属しているブイキューブに入社することになりました。