会計士の履歴書
田邊 るみ子

田邊公認会計士事務所

代表

田邊 るみ子

たなべ るみこ

実務経験、分析能力、当事者意識を強みに経理財務人材の底上げを目指す

1969年12月5日生まれ(56歳) 愛知県出身 東京都在住

一橋大学 商学部/早稲田大学大学院 経営管理研究科 卒業

田邊 るみ子

01

キャリアサマリー

1991

朝日親和会計社(現 有限責任あずさ監査法人)入社 (翌年常勤)

2003

米系(AIG)損保日本法人の財務責任者/コントローラー後任として入社

2006

ファーストリテイリング(FR)グループ経理財務部 連結チームリーダー

2007

HOYA(H社)本社財務部連結グループリーダー

2014

同 財務Accountingゼネラルマネジャー

2018

HOYAビジョンケアカンパニー グローバル本部 ファイナンス シニアマネジャー兼 子会社監査役

2020

大学院修了(MBA)

田邊公認会計士事務所(現任)

社外役員(現任) Fast Fitness Japan取締役 監査等委員(2020-22), クレジットエンジン・グループ常勤監査役(2020-23), テクノプロ・ホールディングス 監査役/監査等委員(2020-現在), イオンモール監査役 (2023-25) TSIホールディングス 社外(監査役2023-25、取締役25-現在) フジクラ 取締役 監査等委員(2025-現在)

人生100年時代、折り返した2020年から2024年にかけて、5つの卒業を迎えた。

①娘の大学卒業/就職、➁育児も卒業、③私自身の大学院卒業(MBA取得)、④17年半の事業会社執行側を卒業し独立、そして、⑤家族が旅立ち、主婦業も卒業した。

これまでの道のりは、仕事と育児/介護/看病等のプライベートに悩み苦しんだ結果。「もうダメだ、方向転換するなら今しかない!」と思ったとき、監査法人から事業会社に、財務統括からリーダーに、本社から事業部に、スクールの講師から生徒に。肩書や昇進にはこだわらない。これらも、家族や周囲の理解と協力なしにはできない。「運」、「縁」と「恩」に恵まれて今がある。

5つの卒業を振り返ると、順風満帆というより、苦しいことや行き詰りの連続だったが、無駄な経験は一切ない。監査する側/される側、連結する親会社/される子会社、コーポレート/事業の立場、予算/見込と財務会計(IFRS導入を含む)、SOX構築(米国・日本)、M&Aの買う側/売る側の裏方、ボードに説明する側/される側、内部監査と監査役監査、すべて血となり肉となっている。

02

監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ

友人が「貴女の行動にはいつも驚かされる」と言う。心当たりがある。人生の選択に悩んだ時に、ハードな選択肢を選ぶ悪い癖があると。

1) 監査法人で会計監査、研修講師等を経て、「変化の先へ」

銀行・信用金庫、メーカー、不動産を中心に監査に従事した。当時の上司の口癖「あの会計士は付加価値を提供した、と言われるような改善提案をせよ。」を胸に、問題の指摘だけではなく改善提案まで沢山した。
 法人内で研修講師をした縁で、研修部に誘われ異動。多くの研修を自分で企画し、講師をした。教えるのが好きだった。難関は提携先の2週間の研修。英文教材は段ボール2箱。1年かけて和製化し、実行しマネジャーに昇格。時は、会計ビッグバン、品質管理の部門に誘われて異動するが、SOX法成立の契機となった企業会計スキャンダル群により、提携先が解散。
 会計もSOXも、日本は米国の後追いだ。「変化の先」に行けば、いつか追いつけるのではないか。損保の経験も知識もないのに、米系への転身に踏み切った。

2) 米系損保でボードに参加、米国基準・管理会計・PMIに奮闘

AIGでは予算・四半期見込の提出先がRegionで英語に苦労した。買収資金をNYから調達し、撤退先に頻繁に通いPMI。リスク管理委員長を拝命し、ボード、人事委員会にも参加した。システムで米国基準/日本/税務と3つの帳簿体系を持つ仕組みや勘定科目等のコーディング、移転価格を考慮した業績評価の仕組み、月次予算データベース、マトリックス組織の各機能の報告パッケージ、決算早期化・USSOXなど、基礎は一通りAIGで学んだ。
 PMIが落ち着いた2005年頃、保険毎日新聞に「IFRS」関連が連載されていた。子会社の会計は本社の指示で動く。「IFRSが来る。会計と商法が変わる。子会社ではなく本社で、自分が指示を出したい。」

3) 日系アパレル企業本社で連結・単体のシステム導入に奮闘

内定頂いた数社のうち、連結チームを立ち上げるという FR を選んだ。当初はエクセルでの連結だったが、連結・単体にERPを導入するプロジェクトがあり、担当する子会社2社のERPを入れ、連単の連動がよくわかった。
 Accounts Payable/Receivableの機能等、外資時代の業務も役立ち、組織や業務の時間軸・空間軸で立体的に見えるようになった。連結パッケージも作り直した。メンバーに恵まれ仕事は楽しかったし、今も交流する。が、当時、娘は10歳。祝日が通常出勤で、後ろ髪を引かれる思いがした。
 半年経ち、転職したことを知らないエージェントから連絡が入る「H社で新たに連結グループを作る。リーダー募集」。FR社は子会社20社の連結決算に45日かかるのに、68社もの子会社を2週間で連結して発表している。売上が同規模、営業利益は同水準なのに、残る最終利益が大きい。どうしたらそんなことができるのか。この興味で転進を決めた。
 FRで年度末決算を終え、退職前の最終引継ぎをしていた12月下旬、転身先が経営統合を発表する。採用面接でそんな話はない(会社からすれば言えるはずもない)…。転進先で待っているのは激務…。これも運命、と直進する。

4) 日系光学機器メーカー本社へ。入社早々に経営統合、重要ミッションに奮闘

激務を覚悟して入社したが、予想以上だった。立ち上げたばかりの連結のリーダーになり、経営統合、IFRS導入、連結決算体制構築と JSOXの4つのミッションに奮闘することに。
 入社数日で統合準備委員会に参加、株式交換比率を検証するため、自社もDDを受ける。事業部長や担当者の名前や顔、誰にコンタクトすべきかも解らない時期の、いきなりのDD対応で、事業や組織を短期総なめできた。これは幸運で、のちの事業部方針等の策定に大いに役立った。
 米欧亜の3地域を訪問し、自社のSBUの考え方やパッケージを説明した。複雑な合併統合と組織の解体は、先方にとっても当方にとっても相当の負荷だった。それと並行してのIFRSは重く、半年も働いていないのに10年分働いたような濃厚な年月だった。
 当時、IFRS連結財務諸表は日本の制度で認められていない時代。誰も受け取らない決算書でも、日本も含めてグローバルにIFRSに統一して決算する、という。経営統合があってもその優先順位は高いのだ、と。昼間は統合準備で時間がとれない。早朝と夕方以降、土日祝日がIFRSに充てられる時間だった。
 IFRS以上に統合と連結決算体制整備が大変だった。入社後9か月で子会社の数は100社を超えた。連結メンバーが合併処理の後、戦線離脱して採用活動の日々。監査人も変更、IFRS期首監査も振り出しに。
 1年ほど経過し、採用と監査人交代が落ち着いてきた頃、日本でIFRS任意適用の話が出始めた。着手が早かったH社は、日本で2番目、初度適用からのIFRS移行は実質1番目になった。グループの実績をIFRSという同じ物差しで測る、という当時のCFOのビジョンや先見の明に感服する。偶然、自分も「乗り遅れた変化に追いつきたい。日系本社で指示を出したい」という想いがあった。だからこそ、大変ななか4-5年IFRSに取り組めたのだと思う。
 任意適用2年後の2013年に有価証券報告書も株主総会の3週間前に提出し、以来、同部で継続中である。

5) 50歳直前に大学院へ。社会人と学生の二足の草鞋生活に奮闘

IFRS導入後、問い合わせや講演依頼が殺到する。全部に対応できない。代わりに『週刊経営財務』に『IFRSを導入したわが社の取り組み』をCFOのチェックを経て匿名で掲載した。匿名?会社の顔は社長。CFOすら顔出ししていないのに、一社員が名前や顔を出す訳にはいかない。
 取材も基本お断り、知り合いの依頼のみ数件受けた。その中に、大学院のゲスト講師があった。教授は監査法人、事業会社CFOを経た会計士だった。どうしたら教授のようになれるのか質問したところ、「論文の心得が必要。夜間でもよいから修士、できれば博士をとれ」と助言を受け、大学院を探し始めた。働きながら夜間で修士号をとれるのはビジネススクールだった。
 ベテランのCFOと部長が退き、新体制下で部長になった。管掌範囲にERPや内部統制が増え、新たに経営基盤強化プロジェクトも拝命する。10以上ある事業部のKPIや予実を財管一致で一望できる仕組みの構築。KPIや予実管理の仕組みは事業部毎に異なる。事業部ごとにヒアリング、時間がかかる。その間もM&A案件やトラブル、決算があり、進まない。
 自分のグランドビジョンがないからだ、一旦頭を冷やしたい、と退職を願い出て、事業部への異動を打診された。異動先から近い夜間学校なら通えるかも知れない…。願書締切間際に2日で研究計画書を書き、論文試験を受けた。計画書のテーマは管理会計だったが、1 年間授業を受けた中で最もハードな課題を出した先生に師事するのが一番成長しそうな気がした。戦略ゼミだった。修士号や博士号を取りやすい会計を選ぶべきで、戦略は素人。自分の悪い癖(成長できそうだと思うハードな選択肢を選ぶ)が出てしまう。博士に進めなくても今、この先生から学びたい…。
 本社から異動し、各国や地域のCFOを支援しながら内部監査と子会社の監査役を担当した。数年前に買収した子会社は赤字続き、CEOからも直接メールが入る。「ビジネスの重病人。どうしたら健康体になれるかという視点で監査せよ」。大学院の研究テーマに設定し、子会社社長の了解も取り、データを直接入手。製品・顧客・活動別に仮説を検証し、仕事と研究の区別なく取り組んだ。なお、極秘情報を含む研究論文は非公開だ。

6)大学院を修了後、ベンチャーに転身

2020年3月に卒業、翌4月に博士を勧めてくれた教授から 3 年ぶりの電話があり、監査役の会社を紹介された。これまでにIFRSパネル登壇は3回だけ、依頼が殺到してから受けたのは 1 回だけ、偶然そこでパネルをご一緒した会社だった。縁を感じた。程なくもう1社非常勤が決まった。
 ビジネススクール修了後、起業する学友が多い。自分は起業まではできないが、小さな会社の常勤監査役なら経営も傍で見られるし、監査役をやるなら初めに徹底的にやる方が覚えられる。「2社の非常勤役員をしながらの常勤は無理」と書類選考で落とされることが多かったが、ベンチャーが常勤として受け入れてくれた。常勤をやるなら今しかない…。
 上場している非常勤先を参考にしながら、監査役監査体制をゼロから作った。コロナ禍で出社しなくても社内の会議録や会話、会計帳簿、決裁資料はツールでほぼ全て見ることができ、監査はやりやすかった。証券審査では、当初「非常勤2社を兼務する監査役の常勤性」を問題視されたが、週5(2時間の日もある)の活動を調書に残し、黙らせた。内部監査も一巡するまで伴走し、自走できるようにした。
 意思決定やアクションの速さ等、大企業にない発見も多かった。監査調書体系と手法は、非常勤先にも勧めている。

03

今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス

現在、上場会社2社の非常勤役員をしている。2023年までベンチャーの常勤監査役をしていたが、家族の看病のため退いている。メインの柱を失う寂しさもあるが、非常勤で家族の食事の世話や病院に付き添えたのは有難かった。
 2025年から、監査をしない取締役に就任し、監査役等と純粋社外取締役の立場の違いを意識している。スリムなボードでは、社外の1票が重い。指名報酬諮問委員の活動の他、投資家との面談もある。
 2020年、ある会社の役員就任初日、同社の社外役員から日経新聞の記事『社外役員の働き方改革「常勤」「委員長」で責任感』のコピーを渡された。2017年の記事で「非常勤でも年400時間働く」という内容だ。非常勤でも予算会議や重要子会社の会議等、気になる会議は傍聴し、直接話を聴ける機会が多い。非公開化を決定した会社では、非公開化プロセスにおける利益相反や企業価値評価等、短期間で大量の文書を確認する。
 数字の専門家としての責任は重い。善管注意義務も問われ、色々なところにアンテナを張る。
 時に「耳の痛いこと」を言う。あるべき論の言いっ放しでは、会社が前に進めない。目詰まりを起こした箇所を突き止めて、実行できるよう背中を押す。実行に移され前進すると、実務家としても嬉しい。
 非常勤先1社につき月5回ほど会議や面談がある。日程変更/調整も多い。資料の読み込みや議事録の確認もある。事前だけでなく事後にも時間をかける。戦略、事業部、ブランド、製品、技術等、一度に頭に入らないから、資料を何度も読み直す。1つ1つ丁寧に理解し、対処したい。このため、個人の業務は講師業やコンサル業務等、土日や夕方等、スケジュール調整しやすい業務を中心に引き受けている。
 キャリアパス?諸々の卒業直後で、今はまだ、次を描けない。社内外の取締役の殆どは60歳で現役バリバリだった筈で、自分も何か考えたいとは思っている。

田邊 るみ子さん

04

あなた独自の強みと今現在の仕事との関係性

私の強みは、執行側 17 年半の実務経験。理論だけでなく、実務への当てはめを考えて、自ら手を動かしながら、陣頭指揮をとり、実行してきた。
 そして「当事者意識」。執行側が動きやすいよう、具体的に提案、発言する。会社から「教科書的でない、実務経験に裏打ちされた提案には、説得力がある」と言って頂けるのは嬉しい。

田邊 るみ子さん

05

仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間

心が大きく動いた瞬間は山ほどあるが、ベスト3を紹介する。

1)「帰りが遅くなってもよい。代わりに自分が早朝出勤して良いか?」(2004)

財務責任者昇格は、保険の包括移転契約締結と同時だった。家族に「昇格すると漏れなく統合で大変になりそうだけど、話を受けてよいか?」と聞いた時の反応が上記。夫が、早朝出勤して定刻退勤し、自身の実家に娘を迎えに行く。期間限定のつもりが、その後もずっと忙しく、その生活は5年以上続いた。

2)「鼻歌を歌いながらレンチンして弁当を詰めているよ、子供って逞しいね」(2009)

中学生の弁当作りが始まる2009年4月、母親は1週間で弁当が作れなくなった。会計監査のキックオフ時に、のれん減損を決める。時はリーマンショック。並行するIFRSでは、のれんが非償却になるため、経営陣も私も「減損し、できるだけ軽くしてIFRSに移行したい」。決算発表まで時間がなく、朝になっても会社にいた。その時の自宅からのメール。これを機に弁当作りは手抜き。おかずを多めに作り、娘自身で弁当箱に詰めてもらうことにした。

(※)子育てと介護/看病
 マミートラックから始まった私だが、事業会社での仕事は男性以上。娘の保育園時代は義母と同居、小中学生時代は味噌汁の冷めない距離で、平日夕飯は義母にお世話になった。父親が早朝出勤・夕方帰宅で、娘の相談相手は父親だった。
 IFRS 任意適用を終えた2011年頃、義母が認知症と分かる。今度は自分が恩返しする番だ。遅めに帰宅し、夕食を食べてすぐ翌日の分を作る。毎朝、義母の家まで運び、様子を伺ってから会社に出勤する。娘が義母と夕食、夜は夫が寝泊まりし、翌朝、自宅に帰ってくる。要介護認定が進み、介護施設に入るまで、これを続けた。
 小学低学年から育児の比重が父母逆転したが、きっかけは2000年、会社再生の仕事で父親が体調を崩したことだ。その後も崩すことがあり、介護の頃にはマイペースで働く道を選んでいた。
 義母と夫の、長年にわたる理解と協力がなければ、今の私はない。

3)「城を作るときは民を苦しめても、後にその地に人が訪れて潤う。そんな君主になりたい」

資本コストを意識したポートフォリオ経営や統一ERPは今でこそ当たり前だが、1990年代に陣頭指揮を執ってERPを統一、事業領域別・地域別にデイリー世界連結を構想し、事業部単位でEVAを計算する仕組を目指したCFOの言葉。伊藤レポートにも影響し、「CEOは外科の執刀医で、CFOは麻酔科医」と語った。見事な城だが、城作りの民は苦しかった。
 社外役員で経営経験を問われるようになった。経営経験という意味では外資で財務担当ボードメンバーを続けていた方が良かっただろうと思う。が、外資にいたらこの城は見られなかった。CFO退任時に「自分より優秀、三顧の礼。辞めないで」と言葉を頂いたことは光栄だが、自分はそのスケールには全く及ばない。
 次の城作りに行き詰って、退職願を出した私に、事業部への異動を打診して下さったのは次のCFO。受け入れて下さったのは事業部CFO。本部は海外だが、例外的に日本勤務、と配慮頂いた。日本の事業所は大学院まで電車で3駅、18時過ぎまで仕事して通学した。この配慮がなければ、大学院に通えなかった。感謝してもしきれない。

06

公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと、それをどのように乗り越えたか

「会計士」資格が邪魔をする

米系転身当初、何をしても「彼女は会計士で、何かあればすぐ転職できる。同じ船に乗っていない。」と言われて、巣作りに苦労した。名刺も当初は「会計士」不記載にしていた。PMIやUSSOX導入、決算早期化等、様々なプロジェクトで色々な部署と関わるなかで「誠意と熱意」が伝わったのか、各部から頼られるようになり、「名刺に資格を表記したら?」と。

専門家からオーケストラの指揮者への切り替え

財務責任者になるとき、上司から「あなたの仕事は専門家ではない。外部の専門家を上手く使って、会社を成長させること。オーケストラの指揮者たれ。」と言われた。監査法人から転職した直後は、この「専門家」から「指揮者」への切り替えができなかった。守備範囲が広い仕事をこなしていくうちに、「専門家」意識を捨てざるを得なくなったが、切り替えに2-3年かかったと思う。

07

人生の目的と公認会計士という資格

会計士資格があるからこそ、会計監査ができる。監査スキルは大事である。請求書、伝票、稟議書など、何気ない情報源から多くの情報を立体的に理解できる。また、それを支える体系的知識と分析能力、コミュニケーション力。これらは、監査法人時代に養われ、事業会社に転身して更に発展したものだと思う。

田邊 るみ子さん

08

これから成し遂げたい事、将来の夢

講師やコンサル先であれ、社外役員先であれ、何かの役に立てているのであれば嬉しい。
 監査法人を離れ、ピカピカの専門家でもない。執行側での現役も離れれば、1年また1年と劣化する。折り返し地点の大学院の学びも常にアップデートが必要だ。大学院修了後も、日々役員先でCaseを扱っているが、再度総括したいと思っている。

田邊 るみ子さん

09

キャリアを模索する会計士、会計士受験生へのアドバイス

キャリアを模索する会計士:事業会社で泥臭い仕事にもチャレンジしよう

監査法人での経験は貴重で、若くして全体を俯瞰できる。一般事業会社に新卒入社したらそのような経験はなかなかできない。私も監査法人からキャリアをスタートして良かったと思っている。しかし、事業会社に一歩踏み出してみると、色々な世界が広がる。会計や監査は財務情報の末端、合併や買収1つとっても会計処理だけではない。ロングリストから、PMIまで。財務会計だけでなく管理会計、ファイナンス、資本政策、組織、何より儲けること。執行を経験して付加価値向上に直接貢献しよう。本社も末端に近いから、事業部も経験したい。コーポレートでの事業の選別の前に、事業戦略をブラッシュアップする。事業部からの情報粒度が粗ければ、コーポレートはそれ以上にはできない。
 最近FP&AやCFO職が注目されている。これらは経理財務の延長線にないが、不祥事が後を絶たないなか、リスク管理やガバナンスも重要だ。財務会計、ERP等、会計監査/内部監査といった盤石な基盤があってこそのFP&Aだ。地道で泥臭い色々な作業を、現場の人と一緒に体感する。事業部のマーケティングや業務システム、人事の傍に座っていると本社で知り得なかった実態が分かる。見るもの聴くもの、感じ方が違ってくる。その後からCFOでも遅くはない。むしろ、その方が良いCFOになれるのではないか。私のように財務責任者からリーダーに下るより、リーダーから財務責任者に上がる方がよい。
 監査法人退職後、非常勤の社外役員を目指す人もいる。役員は厳しい判断と説明責任を伴う、覚悟のいる仕事。特に、経営陣との対話や株主との調整には、実務経験と信頼が不可欠だ。会社は生き物。丸ごと会社の息吹を感じられるのは、社員・社内役員・常勤監査役といった常勤だけ。常勤こそ企業の深い理解が得られる。
 一方で非常勤役員を兼務することにより比較できるメリットもある。ただ、若いうちに非常勤の社外役員ばかりやるのは、深まらないからお勧めしない。本業やメインの仕事に、支障のない範囲で副業(非常勤)がベストではないか。現場の意思決定や組織運営を肌で感じてほしい。その経験が、将来、非常勤の社外役員として、企業に真に貢献できる力になる。
 何事も、急がば回れ、である。

会計士受験生:勉強の足跡を残そう

できれば合格まで頑張ろう。色々な可能性やチャンスが広がるから、あきらめないでほしい。
 途中で就職する人もいると思う。でもそこまでの道のりで得たものは無駄ではない。勉強した人は、経理財務の共通言語が多い。監査、財規、財務会計、原価計算の話など、体系的に理解できていて、合格者でなくても、貴重な戦力だ。働きながらでいい、簿記1級かUSCPAなど「履歴書」に書ける「足跡」を残してほしい。これにより「差別化」できる。