会計士の履歴書
三冨 正博

株式会社バリュークリエイト

代表取締役

三冨 正博

みとみ まさひろ

「ダメ元」を大切に人生をワクワクと切り開く

1964年2月13日生まれ(62歳) 神奈川県出身 東京都在住

青山学院大学 経営学部 卒業

三冨 正博

01

キャリアサマリー

1987 年

アーサーアンダーセン東京オフィス入社 監査部門でスタッフとして働く

1991 年

アーサーアンダーセンサンフランシスコオフィスへ転勤 監査部門でシニアとして働く

1994 年

アーサーアンダーセンシアトルオフィスへ転勤 監査部門でマネージャーとして働く

1996 年

アーサーアンダーセンアトランタオフィスへ転勤 監査部門でシニアマネージャーとして働く

2000 年

アーサーアンダーセンを退職し、日本に帰国してベンチャー企業へCFOとして参画する

2001

株式会社バリュークリエイトを創業し代表取締役として現在に至る

2009 年

慶應義塾大学ビジネススクール非常勤講師に就任する(現任)

2014 年

株式会社SUMCO社外取締役に就任する(現任)

2017 年

株式会社大塚家具社外取締役に就任する(2019年まで)

大学卒業後は外資系会計事務所に入り、日本で4年の経験を経て、アメリカに渡り9年会計士として活動。その後日本に戻りベンチャー企業CFOとして半年参画、その後に仲間と会社を創業して今年で19年になります。なぜこのようなキャリアを歩むことになったのか。それは会計士の資格を取ろうと思ったきっかけでもあり、この点が僕の人生において一番大切なことなので以下で触れたいと思います。

小学生の頃は素直で天真爛漫な少年で、正直あまり勉強をした記憶もなく、毎日サッカーに明け暮れていました。

ところが、中学、高校と進むにつれて、この素直さが危険な方向に進んでしまいました。

「素直である」ということは、良いことのように思われますが、実際のところ全くそんなことはなく、僕の場合は自分の考えや感情よりも親、学校、社会の考えを優先させるようになり、だんだん親、学校、社会の規範、期待に沿って考え動くようになっていました。

簡単に言えば「いい大学に入っていい会社に入る、それがいい人生である」というような思考でしょうか。

この思考自体は悪いとは思っておらず、ある意味親として子供に期待する当然の願望だと思っていました。

ところが、このような方向に進めば進むほど日常はどんよりとし、勉強にも身が入らず成績も上がりませんでした。そして成績が上がらないことにがっかりしながらもやる気のない勉強をし、当然成績は上がらず、という袋小路に入ってしまったのでした。

中学、高校と全くパッとしない人生を歩んでいましたが、疑問を持つこともなく、人生とはそんなものだろうと諦めている自分もいました。

そして、結果として大学受験は失敗に終わりました。

当時の自分はこの失敗を受けて「いい大学に行けなかったので、いい会社に入れず、いい人生は歩めない」と思ったのでした。

今から思えば大した挫折ではありませんが、当時はかなり落ち込みました。

そう、人生に絶望したのでした。

そしてこの絶望から僕のキャリアはスタートします。

なぜならこの時の絶望から全てのその後の意思決定は始まったからです。

大学受験失敗の経験から学んだことは、自分の気持ちを無視して親や学校や社会の期待に沿って動いても、成果が出ないと誰も助けてくれないし、逆に避けられる存在になるということでした。

そこでどうしたか?

僕はこれからの人生においては、親や学校や社会の規範は尊重するといえども、なによりも自分の気持ちに素直に考え行動しようと決意しました。より具体的には、自分のワクワクするような気持ちに沿って行動しようと決意したのです。決意と言ってもなかなかそれまでの思考を変えることは難しいわけですが、まず僕は決意をしてそれから歩んでいこうと思いました。

その時の気持ちは「ダメ元」。

もともとうまくいかない絶望からのスタートなので「失敗したっていいじゃないか!」という感じでしょうか。

そして、もう一つ決意したことがあります。

いい大学に行けず、いい会社にも入れないと思ったので、手に職をつけようと思い会計士の資格を「ダメ元」で取ろうと思ったのです。

当時会計士の試験はとても難しく、親をはじめ僕の周りの人々は受からないだろうと思っていました。

ところが、僕はそれらの意見を気にしなくなっていました。

もともとダメな自分なのですから、別に合格しなくたって失うものはなにもありません。

そしたらなんと合格することができました。

会計士になってからのキャリアはすでに書いた通りです。

02

監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ

1987年当時、監査法人の選択は国内系と外資系があり、多くの方は国内系を選択していましたが、僕は海外に行きたいという想いから外資系を志望しました。
事務所の選択にあたっては、僕はお会いする方に二つの質問をしました。
「どの会計事務所に行ったらいいか?」と「どの会計事務所は絶対いかない方がいいか?」の二つです。
いろいろな会計士の方に聞いてみると、みなさん「どの会計事務所に行ったらいいか?」という質問については「うちの会計事務所に来い」ということでした。ところが不思議なことに「どの会計事務所は絶対いかない方がいいか?」との質問に偶然にも全ての方が同じ会計事務所の名を挙げました。
「アーサーアンダーセンだけは絶対いかない方がいい」というのでした。
その理由を聞くと、「アーサーアンダーセンは仕事が半端なく厳しくすぐクビになるから」ということでした。
そして僕はアーサーアンダーセンに入ることを「ダメ元」で決めました。
なぜなら、どうせ入るなら一番厳しい会計事務所に入って鍛えていただいた方がいいだろうと思ったからです。

実際に海外に行ったのは入社4年後の1991年で、サンフランシスコにトレイニーとして行ける機会がやってきました。
この時、東京事務所長からは「アメリカのアーサーアンダーセンは本当に厳しいところだが君は大丈夫なのか?」と聞かれましたが、僕の回答は「ダメならクビにしてください、もともと『ダメ元』なんですから」というもの。そう、このときも「ダメ元」でした。

アメリカでは、サンフランシスコオフィスの次にシアトルオフィスで働きました。本来このぐらいになるとそろそろ日本に戻るべきだったのですが、僕は自分のワクワクを優先していましたので、東京に戻らずシアトルに赴任しました。
そしてシアトルから次へ進むことになりました。この時は、東京、サンフランシスコ、メキシコシティー、トロント、そしてアトランタが候補として挙がりました。そして最終的にはアトランタにしました。既にサンフランシスコとシアトルと西海岸を2箇所経験していたこと、また海外を転々としていきたいということで、それなら次は南東部がいいだろうとの判断でした。
シアトルのアメリカ人の事務所長に「次はどこを選んだのか?」と聞かれてので、「アトランタ事務所に行く」というと、彼は目を見開いてとてもびっくりした表情でこう言いました。
「君は知らないのか、アトランタオフィスは全米でも一番仕事が厳しい事務所だぞ、そんなオフィスを選ぶとはどうなっても知らないぞ」というものでした。ちなみにここで「どうなっても知らないぞ」ということは「クビになっても知らないぞ」ということです。
僕はその時初めてアトランタオフィスが全米で一番厳しいオフィスだということを知ったわけですが、その時の僕の気持ちはまたも「ダメ元」。もともと「ダメ元」でスタートしているのですからクビにしたいなら勝手にすればいいという感じでした。
そして、実際にアトランタオフィスに行って働いてみると。

なんとそこが僕にとっては一番働きやすい環境で、本当に水を得た魚のように楽しく仕事を行うことができたから不思議です。確かに仕事は厳しいですが、それはただ単に「仕事の基準が高い」ということでしかありません。野球をやっているなら速い球を投げたいということと同じです。プロフェッショナルとして仕事をしているのですから、常に高い基準で働くことにまさにワクワクしていました。
当時は意識していませんでしたが、今から振り返ると僕の思考がアーサーアンダーセンの文化とマッチしていたのだと思います。

そうであれば、このままアメリカにいるという選択が正しく思えるところですが、後の「仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間」で説明するのでここでは省略しますが、日本に帰ってくることを決めて「ダメ元」で日本に帰ってきました。

日本に帰ってきて、たまたま知り合いの紹介からベンチャー企業に入ってみましたが、社長と考え方が合わずビックリしました。それまでの13年間とても楽しく働いてきて、ある意味それを当然のことと思っていましたが、実際にベンチャーに入ってみて、それまでいたアーサーアンダーセンという組織がとてつもなく自分に合っており、思う存分実力を発揮できる環境であったのだと痛感しました。そして、この経験が当時一緒のベンチャーで働いていた相棒である佐藤と会社を始めようと思ったきっかけでした。

三冨 正博さん

03

今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス

バリュークリエイトという会社を2001年に佐藤と設立して2020年5月で19年になリます。佐藤はもともと野村証券のトップアナリスト、一方僕は外資系会計事務所の会計士。そう、二人とも数字にとても強いのです。この二人は見た目も性格も全く違い、多くの方はなぜこの二人が一緒に会社をやっているのかと不思議がっていますし、実際に起業した当初は多くの方から「この二人が一緒にビジネスをしてもうまくいかない」と言われました。そして今回も「ダメ元」で起業したわけですが、二人にはある共通点があります。

それは数字、つまり財務諸表に表れる価値(それを僕らは「見える資産」と呼んでいます)も大切ではあるが、財務諸表に表れない価値(同様に『見えない資産』と呼んでいます)が大切であること。つまり、「見えない資産」と「見える資産」の両者から企業価値は創造されているという信念を持っていることでした。
特に創業した2001年当時、日本はITバブルの後遺症で公開企業の株価は大変低い水準になっていました。それに輪をかけて心無いアナリストは企業の経営者にあるはずの「見えない資産」には全く触れず、短期的な利益を追求することを求めていましたので、企業の経営者も自信を失くしているように見えました。そこにもともとある「見えない資産」を意識し「見える資産」へ結びつけることを通じて企業価値を高めていくアドバイスのニーズがあると思い、それが当たりました。

2009年には広告代理店出身の岡部がバリュークリエイトに参画し、バリュークリエイトはデザイン会社に進化しています。
当時「バリュークリエイトはデザイン会社になります!」というと、多くの方から「意味がわからない」とご批判をいただきましたが、「ダメ元」でやってみたところ、現在社員30名のうち約半数は美大やデザイン学校出身のデザイナーであり、名実ともにデザイン会社となっています。

さらには、2018年に韓国人、2019年にスペイン人、そして今年(2020年)にはインドネシア人と中国人とアイルランド人が入社して国籍もグローバル化してきています。岡部と佐藤と僕のバリュークリエイトの経営陣は社員の半数を日本人ではない方にしたいと思っていますので、今後もこの方向性は変わりません。

04

あなた独自の強みと今現在の仕事との関係性

19歳以降の僕の意思決定が常に「ダメ元」だったのは、これまで説明した通りです。そして、この「ダメ元」こそ僕の独自な強みを形成する源泉だったのだと思っています。
自分がワクワクすることに出会う→「ダメ元」でチャレンジする→できるようになって成長を実感する→そのうち退屈する→次に自分がワクワクするテーマに出会う→「ダメ元」でチャレンジする・・・、という一連の経験を20代の後半から30代そして40代とすることで自分に独自の強みが醸成されてきました。

このような強みはどのように図で表すことができるのでしょうか?
縦軸にワクワク軸、横軸に強み軸を取ると、「ワクワクとできる」の2軸のマッピングという図になります。この中で図の第二象限(左上)は、ワクワクしているけど、できない領域です。第二象限から第一象限(右上)へ向かうことで人間は成長を実感することができます。第一象限はワクワクしていてできる領域で、ある意味理想的な領域ですが、人間はそれでは物足りなくなり、そのうちに退屈してきます。これは図では第一象限(右上)から第四象限(右下)へ向かうことを意味しています。第四象限は、ワクワクしていないけどできる領域ですが、もしこの領域にいることに物足りなさを感じてくると、その領域を離れる決意を問われ、僕はそれを「ダメ元」と言っています。つまり今までできていたことを捨て、新たなワクワクするけどできない領域に飛び出すことを意味します。
これは勇気が必要となります。実際その多くは失敗するからです。幸い僕の場合は絶望からスタートしていますので「ダメ元」へ振り切ることができました。これは図では第四象限(右下)から第二象限(左上)へ向かうことを意味しています。そしてまた第二象限(左上)から第一象限(右上)に向かうという流れになります。
ここまでくると図の中に三角形が出来上がることに気づきます。つまり第二象限(左上)から第一象限(右上)、第四象限(右下)、そして第二象限を結ぶ三角形です。この三角形を意識して動いていくことが自分のワクワクを大切にしながら独自の強みを形成していく秘訣だと思っています。
これを僕は「個人の価値創造のフレームワーク」と呼んでいます。バリュークリエイトでは創業からずっと半年に一度全社員がこの「ワクワクとできる」をアップデイトし、みなで共有し、各人のプロフェッショナルとしての成長をサポートするツールとして活用しています。また僕がキャリア相談に乗る際にも活用しています。

三冨 正博さん

05

仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間

「仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間」なんてあったかな〜とふつふつと考えていて、「自分の方向性を大きく変えた決断」という意味で一つ思い出したことがあります。

先に書いたように僕はもともと海外が大好きで実際にアメリカに赴任してからもアメリカの拠点を転々としていました。アーサーアンダーセンはグローバルな会計事務所で世界中に拠点がありました。ですから僕は漠然とアトランタの次はニューヨークあたりに転勤する。そのあとはヨーロッパの拠点をどこか行ってみてもいいな。そしてそのあとはアジアの拠点を転々としてみたら面白いかもしれない、なんていう考えを半分冗談ででも半分は本気で思っていました。

ところが東京から数えて4拠点目のアトランタでの仕事も3年が過ぎてくるとそろそろまた他の拠点に転勤してみてもいいなというワクワクが動き始めました。でもその時はワクワクを感じながら何か違うな〜と思っている自分がいました。
さらに月日が経った1999年のある日のこと。いつものオフィスで働いてふと考えている自分がいました。

そして突然「東京に帰ろう!」という気分になりました。自分でも意外でした。なんていっても日本を離れて海外の生活を謳歌していました。子供もアメリカで生まれ、現地の学校に行き楽しく遊び学び現地の生活に溶け込んでいる。家は大きな一軒家で、グリーンカードも会社に取っていただき何不自由なことはない生活を送っていたのですから。

ところが「このような生活を送っている自分が最大のリスクに違いない」という気持ちになったのです。
さらには「いま世界で一番面白い国は日本に違いない。これから日本は大きく変わっていくのでこのタイミングで日本に帰らないなんてありえない」とさえ思いました。

これまでの方向性とはまったく違う方向性に向かうとは自分でも思っていなかったので正直自分でもビックリです。でもいつもと同じように自分のワクワクする気持ちに素直にこの決断を「ダメ元」でしてしまったのです。

36歳のあの時に「自分の将来の方向性を変える」決断をしたからこそ、その20年後の今の自分があるのですから不思議です。

06

公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと、それをどのように乗り越えたか

「公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと」は、特にないと思ったのですが、駆け出しの頃はかなり悩むことが多かったことを思い出しました。

僕が監査法人に入って最初の仕事は外資系の銀行の東京支店の監査でした。しかも初度監査。監査調書はパートナーがアメリカ人で日本語がわからないというので英語で書かないといけないということ。しかも現場のインチャージの方はインチャージになったばかりでとても厳しい方でした。銀行の財務諸表はよくわからない、初度監査なので過去の監査調書もなくどう書いたらいいのかわからない、しかもそれを英語で書かないといけない。インチャージに相談してもインチャージも忙しくそれどころではない、という環境が続いていく中で、僕は会計士という業界に心底自分が合っていないと感じるようになりました。またアンダーセンは仕事ができないと実際クビになるような事務所だったので、自分も早々にクビになるではないかと思う始末。まあ、でも「ダメ元」で入社したわけですからそれほど気にしていませんでした。このような苦労を入社当時はよくしていました。
たとえば、アーサーアンダーセンに入って3年目ぐらいになって、ある大企業の監査を担当していたときのことです。ここは1年目から担当していた会社でしたが、毎年担当する勘定科目が変わっていき難易度が上がっていました。そして、難易度が上がるたびによく悩みました。特に困ったのは、昨年の監査調書を参考にしたくても何をやっているのかよくわからないという始末だったことです。

ここで僕はそれまで自分はなんとなく仕事をしていたことに気づかされました。
そしてここでも思ったのは「ダメ元」。
まず自分で考える。大企業で大きな数字になると分かりにくので、シンプルは簡単なモデルに置き換え数字の関係性を考えました。またそれでも自分に自信が持てない場合には、上司のマネージャーに相談しました。正直恥ずかしかったですが、「ダメ元」で覚悟を決めていたのでそんなことを言っている場合ではありませんでした。そして学んだことをベースに仕事をし、自分が学んだことを翌年度やる自分の後輩が理解しやすいように図解を交えてメモにしていきました。そしてまたわからないことが出れば同じように行い上司に聞く。このようなことが日常になると上司も僕の扱いに慣れたもので、しかもこのような行動を通じて信頼していただけるようになったようです。後年になりますが、実際に僕の後に僕の作ったメモを参考に仕事をした方から「あのメモは本当に分かりやすかった」と言っていただいたことがありました。僕自身は既に忘れていましたが、嬉しい思い出です。

いくつかの事例を書きましたが、社会人としての最初の数年はこのような苦労が多かったです。そして、このような経験を乗り越えていく中で気づいたことがありました。

それは目の前の課題あるいは問題は、できたら目を背けたいのが正直なところですが、目を背けているとどこまでも同じ課題あるいは問題が起こり続けそれに悩まされるのです。また自分が成長して乗り越えてしまうと、そのレベルの同じ課題あるいは問題は二度と起こらないということに気づきました。
また自分の目の前の課題あるいは問題は、自分にとっては初めてで戸惑うことが多いものですが、社会人としての最初の数年で起こるような課題や問題は、おそらく既に先輩が同じような経験をして乗り越えているのでそうであれば、ある程度自分で考えれば、先輩の知見を積極的に取り入れることでより早くよりスムーズに成長することができるということです。

このような経験を通じて、自分の仕事を常にプロセスで考えて継続的に改善していく、また自分が直面する課題や問題については自分で考えた上で、その分野に一番長けている人を見つけて教えを乞い、その知見を自分のものにするという習慣を身につけることに繋がりました。

07

人生の目的と公認会計士という資格

人生の目的と公認会計士という資格の間に僕は関係性を見つけることはできませんでした。

三冨 正博さん

08

これから成し遂げたい事、将来の夢

これから成し遂げたいこと、将来の夢については自分が20歳、30歳、40歳と年齢とともに変わってきていますのでそれを共有します。
まず20歳。自分のワクワクを追求すると決意しながらも相変わらずのローギヤーな感じだったことを記憶しています。
20歳の頃の将来の夢は10年後の30歳までには公認会計士の試験に受かっていたらありがたいなというもの。もし無理なら税理士の試験に受かって税理士になっていればいいな、と思っていました。

実際に30歳になってみると。
公認会計士の試験には合格しているし、海外で働いているし、さらには米国公認会計士の資格も取っていました。
僕はこのとき、30歳の自分の現状をどうこう思うよりも、20歳の時の自分の将来に対する目線の低さに愕然としたものです。そして、その時の経験から30歳の時にはもう少し高い目線になろうと思ったことを記憶しています。
そして、30歳の頃の将来の夢は既に書いたように、アーサーアンダーセンの世界中の拠点を渡り歩いていたらいいなというものでした。

実際に40歳になってみると。
これからは日本が面白くなると思って日本に帰ってきているし、仲間と起業しているし、とここでも全く違う道を歩んでいました。
僕はこのときも、あれほど高い目線を掲げようと思っていたにも関わらず、10年経ってみるとその目線の低さに愕然としたものです。そして、その時の経験から、このような目線の低さを感じないよう大きな夢というか野望を持とうと思いました。

それは、いろんな方が既に言っていますが、夢の大きさを数値で表現すると10の夢を描いて11達成するのもその方の生き方ですが、どうせ一回しかない人生であれば、ありえないぐらい大きなたとえば1000の夢を描いて結果として20達成できたなら、その方が楽しい人生であるという自分のワクワクです。

そこで、僕が40歳の時に立てた夢、僕はそれを野望と表現していますが、絶対達成できないぐらい大きなものにしようと思いました。それは「見える資産」と「見えない資産」の両者から企業価値は創造されるという考え方を世界の隅々まで広めるということです。またそれは同時に「進化した日本的経営」という考え方があるのですが、それがグローバルベストプラクティスだと確信しているので、それを世界中に広めることで、僕はそれを「世界制覇」と呼んでいます。

孔子は「50にして天命を知る」と言っていますが、自分のこの野望は50になっても変わらず、現在56歳の自分があと何年生きるのかはわかりませんが、残りの人生のテーマだと思っています。
このような考え方に共感していただける方は、ぜひバリュークリエイトにジョインしていただき一緒に世界を変えたいと思っています。

そして実際死ぬ時になって、この1000分の1も実現していなかったとしても、この野望を持って仲間と一緒に生きたことに僕は心の底から感謝するに違いないと思っています。笑

三冨 正博さん

09

キャリアを模索する会計士、会計士受験生へのアドバイス

僕は19歳からひたすら自分のワクワクを大切にしてこれまで生きてきましたが、そのきっかけは大学受験の失敗でした。
よって、今となっては本当に大学受験に失敗してよかったと思っています。さらに言えば、僕にこのような道に進ませるために大学受験の失敗があったのではないかとすら思っています。

人生100年時代と言われています。
また年金がおそらく破綻するでしょうから、そうなると我々はこれまでよりも長く働くことが必要となるでしょう。
多くの方は第四象限(右下)で生きています。ワクワクしないけどできることでお金をもらって生きています。そしてこれからもそうやっていくでしょう。

これを読んだ方にはぜひそこから抜け出して欲しいと僕は切に願っています。
つまりご自身のワクワクをどこまでもどこまで追求して欲しいと思っています。
そして公認会計士という資格はみなさんがご自身のワクワクを追求するための強みの一つとして活用することを期待しています。
キーワードは「ダメ元」。
ぜひ「ダメ元」を大切にご自身の人生をワクワクと切り開いていって欲しいです。