会計士の履歴書
須能 玲奈

Ernst & Young ニューヨーク事務所

日系企業部 監査部門 マネージャー

須能 玲奈

すのう れな

英語力と監査経験でニューヨーク移住の夢を実現。既成概念にとらわれずやりたいキャリアに進む

東京都出身 ニューヨーク在住

慶応義塾大学 経済学部 卒業

須能 玲奈

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キャリアサマリー

大学卒業から1年半後に会計士試験に合格し、あずさ監査法人に入所。国際部で、上場日系企業の監査や外資系企業のリファーラル監査に従事。4年半勤務した後に、大学時代から憧れていたニューヨークで働くことを夢見て単身渡米。現地の語学学校に通って英語の勉強をしながら手探りで就職活動を続け、渡米から1年後に、東京に本社を構えるDOWAホールディングスのニューヨーク支社で経理・総務の職に就き、念願の就労ビザを取得。その1年後、米系企業でアメリカ人に囲まれて仕事をするという渡米当初の夢を叶えるため、BDO監査法人のニューヨーク事務所に転職。監査部門では日本人ただ一人という環境の中で、言葉や文化の壁に直面しながらも、刺激的な2年間を送る。その後、日本とより関わりのある仕事を求めて、Ernst & Youngニューヨーク事務所の日系企業部の監査部門に転職し、日系企業や外資系企業のリファーラル監査に従事している。

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監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ

私は小学生の頃から英語の響きが大好きで、ラジオの基礎英語を聞いたり、オーストラリア人の先生に英会話を習ったりしていました。見た目だけでなく、生き方や考え方も異なる海外の人たちとの交流を通して、小さい時から、英語が話せるようになったら、自分の世界が大きく広がるのではないかという漠然とした思いがありました。そんなことから、将来は世界のどんなところに行っても働ける仕事につきたいと思い、大学入学と同時に知った会計士という資格に興味を持ち、勉強を始めました。

その後、3度目の挑戦でなんとか会計士試験に合格し、海外へのつながりを求めて入った監査法人の国際部で、会計士としてのキャリアをスタートさせました。当時の私の部署は他の部署に比べて小規模で、年次を超えてのつながりも深く、良い同期たちにも恵まれて充実した日々でしたが、入所から3年目に最後の試験が終わって会計士補から会計士へとなった時に、将来どうしたいかを真剣に考えました。その時に、「ニューヨーク」への思いがどんどん大きくなっていることに気が付きました。

私とニューヨークの出会いは、大学1年生の夏休みに遡ります。友人と初めてニューヨークを旅した時に、この世の中にこんなに楽しい街があるのかと衝撃を受けました。学生旅行なので、派手なことをしたわけでもなく、主要な観光名所を巡るだけの短い旅でしたが、この旅を通じて、様々な国の人たちが生き生きと暮らしていて活気溢れるニューヨークの街にいつか自分も住んでみたいという思いが強まりました。小さい頃から海外に住むことに憧れていたものの、それまで特に住んでみたいと思う街はありませんでしたが、ニューヨークと出会った時、私が住みたかったのはこの街だったのだと思ったのです。

帰国子女でもなく日本で勉強しただけの英語力しか持ち合わせていませんでしたが、自分に何か武器となるものがあれば、いつかニューヨークで働けるのではないかとの思いを頭の片隅に持ち続けながら、日本で会計監査の経験を積みました。そして、日本での仕事にもようやく慣れてきた頃に、日本で会計士としての安定したキャリアを歩む人生と、リスクはあるけれども長いこと憧れ続けたニューヨークの街で仕事をする人生を考えた時に、後者の選択をしなければ一生後悔することになると思い、あずさ監査法人を退職して渡米することを決意しました。ちょうど入所から4年半が経った2009年の夏のことでした。

須能 玲奈さん

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今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス

今は、Ernst & Youngニューヨーク事務所の日系企業部の監査部門に在籍しています。年間の半分は、日本で上場している親会社の監査チームからの指示で、アメリカにある日系企業の子会社の監査を行っています。そして、残りの半分は、所属部門を離れて、アメリカ人に混じって、ニューヨークにオフィスを構えている会社の監査を行っています。

私のいる日系企業部門は、お客さまと日本語で会話をする機会もあることから、会計の知識があって日本語で会話できることが最低限の入社条件となっています。ニューヨークという土地柄、最近では日本人だけでなく、日本語が流暢な中国人や韓国人、さらにはモンゴル人も在籍していました。彼らは、父親の仕事の関係で幼少時に日本に住んでいたことがあったり、日本に憧れて日本の大学を卒業していたりと日本と深いつながりがあるだけでなく、英語や会計も熱心に勉強していてとても優秀です。また、人手が足りない時には、アメリカ人にチームに加わってもらうこともあります。そのため、所属部署の監査の仕事では、日系企業の仕事であっても、チームメンバーが全員日本人ということは珍しく、常に様々な国の人たちと仕事をする機会に恵まれています。

私の部署が担当する日系企業は、日本の親会社の監査チームから見てある程度の規模があり監査のスコープに入ってくる会社なので、クライアントは日本で名が知れた会社ばかりです。ものづくりが得意な日本企業の特徴を反映して、業種は製造業が多いです。
日系企業部門はアメリカの中でも限られた都市にしかないので、私の部署ではアメリカの東海岸、さらにはテキサスやフロリダにあるクライアントも担当しています。製造業という業種柄、クライアントがニューヨークにあることは少なく、旅行では絶対に行かないような田舎まで出向くこともあります。
日本に住んでいた時には、日本が製造業の盛んな国ということをあまり実感する機会はありませんでした。けれども、アメリカに渡ってから、日本企業が自ら建設した工場を上手に経営していたり、アメリカ企業を買収してものづくりを進めたりしている現場を目の当たりにし、日本企業の底力に驚かされることが多いです。

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あなた独自の強みと今現在の仕事との関係性

日本で働いていたら、敬語がきちんと使えて日本のビジネスマナーを理解しているということは当然のことですが、アメリカで働いている日本人の中には、日本の高校を出た後にアメリカの大学に留学し、そのままアメリカに残って働いている人や、幼少の頃からアメリカで育ったために日本での就労経験がない人が多く、日本語でビジネスメールが書けなかったり、敬語が使えなかったりする人が意外とたくさんいます。また、会計用語も、英語では分かるけれども、日本語で表現できないという人がほとんどです。そのため、きちんとした日本語が使えて日米のビジネスマナーが分かり、日本語と英語で会計に対応できる人は、日本で考えられている以上に貴重な存在であることに渡米してから気が付きました。また、アメリカで働く時には、英語でコミュニケーションがとれることだけでなく、アメリカ流のビジネスのやり方を理解してアメリカ人と働く時にはアメリカのやり方に倣うことが重要だと思います。けれども、これは誰かが教えてくれることではないので、色々な場面を経験しながら、自分で掴んでいかなければいけません。今の部署は日系企業部門で日本人がある程度在籍しているので、渡米してすぐに今の会社に入っていたらアメリカ流のビジネスマナーは身につかなかったかもしれません。BDO監査法人時代に毎日アメリカ人と仕事をしていたおかげで、様々な状況への対応の仕方がなんとなく分かるようになり、それは、今でもとても役立っています。

アメリカで事業展開を行っている日系企業の子会社は現地化が進んでいることが多く、社員のほとんどは現地の人で一部の要職に日本から駐在員が送り込まれているケースがほとんどです。私は幸い日本での就労経験があるので、クライアント先の日本人駐在員の方の対応もでき、英語はまだまだ修行中でありながらも現地の社員ともコミュニケーションがとれます。また、親会社の監査チームの人たちとは日本語で会計監査の話ができるので、そうしたことが思わぬ強みになっています。

須能 玲奈さん

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仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間

今の会社は、監査の計画時の会議をとても重視していて、チームメンバー全員が参加して、対面で監査の基本方針を議論します。ある大きな監査チームに入った時に、ロンドンの親会社チームが、世界中の監査チームの主要メンバーをロンドンに呼んで行った監査の計画段階の会議に参加する機会に恵まれました。中国、ロシア、カナダ、スペイン、イタリア等、世界各地から監査チームのメンバーが一同に会したのですが、こうした国際色豊かな会に早い段階で参加することができたのは、ニューヨークに渡ったからこそで、今でも良い思い出です。飛行機に乗り遅れてしまったと堂々と遅刻してくるイタリア人のパートナーがいる一方で、10分ほどの休み時間でもメールや電話に追われているニューヨークのパートナーがいたりと、色々な国の人が集まるとそれぞれのお国柄も如実に出るので、面白いです。

ニューヨークの監査チームは多国籍で、パキスタン人のシニア、アメリカ人と中国人のスタッフと一緒に半年ほど働いたことがあります。育った環境も年齢もバラバラで、共通点は同じ会社に勤務していることぐらいしかありませんでした。それでも、とても仲が良いチームで、アメリカ人の女の子はアメリカに住んでいないと知り得ないアメリカ文化を教えてくれ、パキスタン人の男の子は午後になるとパキスタンの美味しい紅茶を分けてくれ、中国人の女の子は日本のことが好きで、よく私の話を聞いてくれました。プロのモダンダンサーとしてのキャリアをやり切った後に第二の人生として会計士の道を歩み始めたばかりのアメリカ人の女の子。いまだに小学校は青空教室という貧しい国で猛勉強してアメリカへの大学院留学を果たしたパキスタン人の男の子。大学時代をアメリカで過ごし、自由な国アメリカが気に入って、中国に帰りたくないからと仕事に精を出す中国人の女の子。日本の監査法人に勤務していた時には、皆似たような経歴や考えの人たちばかりでしたが、ニューヨークでは、育った国も、信じる宗教も、毎日食べるものも全く違う人たちに囲まれ、世界の広さを実感する毎日です。海外で働くことに憧れていた時には、英語を使って働くことしか思い浮かべていませんでしたが、実際の仕事現場は毎日がドラマのようで、日本に住んでいた時には想像もしなかった世界が日本の外には広がっていて、特に世界の縮図とも言われるニューヨークにいるからこそ体験できることも多いです。チームをまとめることは日本にいた時以上に大変で、英語にハンディがある分、アメリカ人以上に努力することが必要ですが、会計や監査の知識を相手にきちんと示すこと、相手の話をよく聞いて常に全力で対応することを実践すれば、時間はかかっても、アメリカ人に理解、評価してもらえることを学びました。

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公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと、それをどのように乗り越えたか

人生のステージは数年ごとに変化すると思うのですが、その度に自分の将来の方向性を色々考えています。これは、会計士という職業にかかわらず、生きている限り変わらないのではないかと思います。

私が日本で勤めていたあずさ監査法人の国際部には意欲的な先輩たちが多く、最後の試験が終わって会計士になった入社3年目を過ぎた頃に転職をして、会計士としての資格を生かしつつ、監査の道を離れてコンサル業界等に進む人が多かったです。私たちの同期も、入社3年目の頃にはよく、監査法人に残るか残らないか、といった話をしていました。私自身はその時にニューヨークへ渡るという選択をしましたが、今の環境に残るのか、別の場所へ移るのかという選択をする時に重要なことは、今の環境が嫌だから違うところへ行くという消去法的な発想ではなく、自分が本当にやりたいことが今の環境で実現できるのかどうかを考えることだと思います。私の場合、ニューヨークのアメリカ企業で働くという夢は日本にいる限りは実現できなかったので、無職の学生に戻って見つかるかどうか分からない仕事探しをするためにニューヨークへ渡ることへの不安は全くありませんでした。いまだに「よく思い切ったことをしたね」と言われることもありますが、ニューヨークでの生活は仕事以外の部分でも学ぶことや刺激を受けることがたくさんあって、最初は大変なことも多かったですが、大好きな街ニューヨークで暮らせていることに日々感謝しています。

今は、ニューヨークでの暮らしや仕事にもだいぶ慣れてきたので、自身のキャリアについて色々と考える日々です。ニューヨークでは、自分がやりたいことに貪欲に取り組みながら生き生きと輝いている人が多いです。日本ではまだまだ、社会が敷いたレールの上を歩んでいくことが良しとされるような風潮や、人と違ったことをすることに対して抵抗を感じる人が多いように思います。多様な価値観や生き方が存在し、日本での常識が時には非常識となってしまうこともあるようなニューヨークでの暮らしが長くなるにつれ、どんな時でも自分の人生の舵取りは自分でとっていきたいという気持ちが強くなりました。ニューヨークでは、一人ひとりが違い過ぎて正解が存在しないので、日本での固定観念に囚われずに物事を考えることができます。また、たとえ無謀に見えるようなことであっても、情熱を持って取り組んでいれば、応援してくれる人は必ずいて、チャンスは思わぬ形でやってきます。一つやりたいことが達成できると、また別のやりたいことが出てくるので、自分の心の声に耳を傾けながら、自分が本当に求めている姿にどうやったら近づけるかを、最近はよく考えています。ニューヨークは、世界中から自らの夢を追いかけてやって来る人が集まる街です。全く違う業界でも、着実に目標達成をして前へ進んでいる友人たちからは良い刺激を受けています。

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人生の目的と公認会計士という資格

公認会計士という資格は、日本では監査法人に勤める道や企業内会計士として一般企業に勤める道が一般的かもしれません。ただ、それ以上に、自分自身の経験から、会計士の資格は人生の可能性を広げてくれるものだと私は思っています。

傍から見たら一見無謀なように見えたニューヨークで働くという私の10年越しの夢が叶ったのは、私が会計士の資格を持ち、監査法人での勤務経験があったからでした。渡米前にはニューヨークへの思いが強すぎてあまり気にしていなかったのですが、私が渡米した2009年はリーマンショックの尾を引いてアメリカの景気は低迷していて、企業はリストラも行っていた時期。アメリカでの就労経験のない人を就労ビザのサポートをしてまで雇おうという会社はまずなく、人材紹介会社に行っても門前払いで、ニューヨークでの就職活動は難航しました。私と同じようなキャリアを歩んでいる人も周りにいなかったので、ニューヨークに住む人が書いていたブログで見つけた情報等を頼りに、手探りで就職活動を行いました。

アメリカでは、大学を卒業するとOPTというアメリカで1年間就労する権利をもらえます。通常は、OPT時代に研修を行った会社から就労ビザを出してもらうという流れですが、語学学校しか行っていない私はOPTも持っていなかったので会社は最初から私を正社員として採用しなければいけないというリスクがあり、多くの人に「OPTがない人のアメリカでの就職は難しい」と言われ続けました。それでも、なんとか日系企業のニューヨーク子会社で最初の仕事に就くことができ、その後も、英語がネイティブでない私が日本人のいないアメリカの監査法人に就職することができたのは、全てあずさ監査法人での経験があったからでした。アメリカでの就労経験はないけれども、日本のKPMGで4年半働いてきた人であるならば雇ってもいいかなと思ってもらえたのです。アメリカの監査法人では他の会社と同様にリストラが行われることもあるので、国は違っても4年半も勤めていたならばと思ってくれたアメリカ人もいたようです。

会計士の資格があったからこそ叶えられた、ニューヨークで働くという私の長年の夢。そして、渡米丸2年で手にしたアメリカ企業で働くという夢。英語が拙いのは部署内で私だけ、というBDO監査法人での2年間を支えてくれたのは、あずさ監査法人での会計監査の経験でした。英語でのコミュニケーションが下手でも、監査調書は日本で習った通りに作っていたので、内容を理解して仕事はしていると周りは思ってくれていたようです。やっと手にしたアメリカ企業での仕事でしたが、BDO監査法人では入社初日から英語の壁が高すぎて、お金をもらって逆に毎日英語を勉強させてもらっているという感じでした。英語はあくまでコミュニケーションの手段にしか過ぎず、できて当たり前という世界なので、アメリカでは英語ができないということは、基本的能力が欠けていて、時には知能も劣っていると見られかねません。そのため、毎日届くメールや同僚の会話の中で知らない単語があればこっそり調べたり、同僚のビジネスメールで参考になる表現があれば真似してみたりといったことをやり続けた2年間でした。大変だったけれども、逆に、アメリカ人しかいない環境だったので、アメリカ人の仕事の仕方や交渉の仕方、電話での話し方や上司との付き合い方、さらには、ユダヤ教徒の同僚も多かったので、ユダヤ教徒の習慣といった本では絶対に学べないようなことを経験することができ、それは今でも私がアメリカで仕事をする上での土台になっています。

須能 玲奈さん

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これから成し遂げたい事、将来の夢

最初はただただニューヨークに住んで働きたいとの思いで渡米しましたが、ニューヨークでアメリカ流の働き方や価値観に触れ、社会の枠や年齢のしがらみに囚われずに自分のやりたいことを追求しているニューヨーカーを見て、私もこの街でもっと色々なことをしたいと思うようになりました。日本人はアメリカへの憧れが強く、政治や経済、音楽、映画等アメリカのことは日本のメディアでよく報道されていますが、その半面、アメリカで日本の話題を耳にすることはほとんどありません。ニューヨークに渡ってすぐにそのことに気がついて、あまりの温度差の違いに衝撃を受けました。また、日本では欧米のものを好きな人が多く、日本が長い年月をかけて育んできた日本の伝統文化や日本ならではの美徳は、最近はあまり大切にされていないように思います。日本の外に出て初めて、そういった日本の良さを再認識すると同時に、自分自身が日本のことを他国の人に説明できるほどに知らないことを恥じるようになりました。そんなことから、プライベートではアーティストの友人たちと一緒に日本の伝統文化を紹介するJ-Collabo(https://www.j-collabo.org)というNPOを立ち上げました。私自身は文章を書くことが趣味なので、左官職人、画家、書道家等多くの方にインタビューを行い、記事を発信しています。引退後に自分が生まれ育った日本のことをもっと知ろうと日本全国を旅して回った中田英寿さんにもインタビューをさせてもらいました。学生時代はサッカー観戦が大好きで、会計士の受験時代に中田選手の試合を見ていつも勇気づけられていた私にとって夢のような時間で、どんな夢でも強く願い続ければその夢は思わぬ形で叶うのだと思いました。

アメリカの中でも感度の高い人が多く住むニューヨークには、日本文化に造詣が深いアメリカ人もいて、趣味で自宅に本格的なお茶室を作ってしまうような人や、カウンターで高級なお寿司のおまかせコースを楽しむ人もいます。ただ、そうした人たちはニューヨークでもまだごく一握りに過ぎず、日本が誇る伝統工芸や文化、食材はまだまだアメリカには浸透していません。その一方で、日本には自社製品の海外展開を目指して様々な取り組みを行っている会社が多いことをここ数年感じています。日本の技術水準はとても高くて品質も確かなので、適切な戦略を立てて海外展開をすれば、海外でも成功する商品は数多くあると思います。将来的には、ニューヨークへの進出を目指す日本の中小企業のビジネスや会計のお手伝いをし、日米の架け橋となるようなことを行いたいと思っています。

また、日本にいた時には周りに私のような形で渡米を考えている人がいなかったので、一人で情報収集を行っていましたが、ニューヨークに来てから、日本でキャリアを積んだ後に自力で渡米し、ニューヨークで活躍している数多くの方々と知り合い、刺激を受けました。日本では、良い大学を出て一流企業に就職することが勝ち組のように言われることもありますが、人生の選択肢はそれだけではないと思います。ニューヨークで自分の夢を叶えて生き生きと暮らしている人たちの価値観や生き方は、日本で暮らす人たちにとって何かヒントとなることもたくさんあると思いますので、そうしたことを何らかの形で日本へもっと発信していきたいという思いも最近は強いです。

須能 玲奈さん

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キャリアを模索する会計士、会計士受験生へのアドバイス

長い人生、遠い先のことは考えられないかもしれませんが、いつの時代も自分の夢や目標を持ち続けることは大切だと思います。最終的に自分が本当に幸せを感じられるのは、特定の肩書やお給料を得た時ではなく、自分の夢や目標が叶った時だからです。まずは、1年後、3年後、5年後の夢を書き出してみて、そこから逆算して、それらの夢を叶えるためには今何をすべきかということを考えて行動してみたら良いかもしれません。夢が分からないという場合は、自分が何をしている時が楽しいか、どんなことをしている時に自分が生き生きとしているかを考えてみることが、自分の夢や目標を探す大きなヒントになると思います。また、自分の夢を考える時に、既成概念に囚われないことが重要です。「周りからどう思われるか」「こんなことは実現不可能ではないか」といったことを考えて自分の行動や思考に制限をかけてしまうと、自分が本当にやりたいことは見えてこないからです。日本の外の世界に目を向けてみることも自分の人生を考える上で、大きなヒントになるかもしれません。私自身は、ニューヨークに住んでいた方が自分らしく生きられるので、ニューヨークに住むという選択をしていますが、長期で住むわけではなくても日本とは違う国をふらっと旅行してみて、現地の人と交流し、そうした人たちの生き方や考え方を知ることで、新たに生きるヒントや自分がやりたいことが見えてくることもあると思います。

最近よく思うのですが、会計を知っていることは、どんな仕事をする上でも基本だと思います。ビジネスの現状は全て数字に現れてくるからです。日本の会計士業界には優秀な人が多く、私はいつも周りの人に教えてもらったり助けてもらったりする日々でした。アメリカの監査法人で働いて、日本の会計士のレベルの高さを再認識しています。数字への感度が高いだけでなく、物事を深く考えることができるのは、日本人の大きな強みだと思います。日本にいると周りが皆そうなのでそうしたことを感じることはあまりないかもしれませんが、これは自信を持って良いことだと思います。また、目標に向かってこつこつと努力することができるのも、日本人の大きな強みです。そんなことから、会計士の資格はどんな道を歩む上でも自分を支えてくれるものだと思いますし、自分の夢を叶える大きな武器になると私は思っています。