会計士の履歴書
永松 友梓

外資系家電メーカー

財務本部 FP&Aグループ マネージャー

永松 友梓

ながまつ ゆき

資格を生かせているかどうかよりも、自分のやりたいことができているかどうかが自分にとって重要

1980年代生まれ 愛知県出身 東京都在住

慶応義塾大学 経済学部 卒業

永松 友梓

01

キャリアサマリー

2004

有限責任監査法人トーマツ東京事務所に入所。 国内上場企業やそのグループ会社を担当。

2008

カリフォルニア大学サンディエゴ校に1年間留学。

2009

サンディエゴにある日系の商社に入社。内部統制、経理及び管理部門を経験。

2011

ロサンゼルスにある日系の家電メーカーに入社。財務報告、予算管理、日本の親会社向けの対応等を担当。

2015

外資系家電メーカーに入社。グループ会社の財務分析、予算管理、内部統制等を担当。

「これからは女性も働く時代になるから、手に職をつけたほうがいい。会計士とか不動産鑑定士がいいんじゃないか?」という高校時代の父のアドバイスで公認会計士という職業を知りました。父は実家の仕事の関係で、税務や会計の専門家の先生とお話しする機会があったため勧めてくれたようです。大学は経済学部に進学しました。同級生らの影響もあって在学中に公認会計士の勉強を始めたものの、のんびりした性格が災いして大学卒業後に合格しました。

2004年に有限責任監査法人トーマツ東京事務所に入所し、国内企業向けの法定監査の実務経験を積み、2008年に公認会計士として登録しました。IFRS基準の監査をきっかけに英語の習得や海外生活に興味を持ち、2008年7月に留学のため退所しました。

2009年7月にアメリカにて電子基板を主に扱う商社に内部統制担当者として入社、2010年より管理部門責任者として経理財務業務全般を経験しました。また、2011年1月より日系の家電メーカーに勤務、財務報告を中心に予算管理、資金管理、内部統制等の業務に従事しました。

2015年7月に帰国し、外資系家電メーカーに勤務しています。内部統制、監査対応、財務報告等の業務を経て、グループ会社の地域統括部門に異動し、予算管理、財務分析、債権管理等を担当しています。

02

監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ

監査法人での経験は会計士としての知識や経験だけではなく、社会人としての基礎を学ばせていただき、また互いに励ましあえる同期という貴重な存在に出会うことができて、自分が働いていくうえでの大きな財産となりました。

実は公認会計士に合格した時点では英語には特に興味はなかったため、国内監査部門を希望して配属されました。広告、商社、IT、小売など、バラエティに富んだ業種の会社にアサインしていただき、個々のビジネスモデル、業界の商慣習や社風の違いなどを知りました。

その一つに、外資系の小売業の会社があり、英語のできる先輩方に囲まれて働く機会がありました。当時慕っていた女性の先輩の勧めでTOEICを受けてみたのが、大学以来サボっていた英語の学習を再開したきっかけになりました。入所2年目の後半だったと思います。英語学習が進むにつれて、独学では物足りなくなり、友人の勧めで早稲田大学の生涯学習のコースを週末受講しました。さらに学習を継続していくうちに、留学経験者の方たちと知り合い、その話を聞くうちに英語や海外生活に対する憧れが高まりすぎて、どうしても海外に住んでみたくなりました。また、会計基準のコンバージェンスやIFRSの任意適用が決まり、英語を身に付ければ役に立つ、そして英語が必要とされるスキルになると信じていました。

とはいえ、当時は試験制度の移行措置の影響で租税法と監査論という2つの試験と修了試験が待ち受けている身でしたので、すぐに留学はしませんでした。留学後に東京で英語と会計の知識を使う仕事に転職することを目標にして、会計士登録を終えてから海外に行くことにしました。正直それまではあまり勉強熱心ではなかったのですが、心を入れ替えて修了試験の勉強に励み、並行して少しずつお金を貯めて密かに留学準備を進めました。修了試験の合格発表の直後に恐る恐る退職の意向をマネージャーに伝えました。試験有給をしっかり頂いておいて恩知らずなスタッフだったと思います(苦笑)。しかし、英語を学びたいという意志を理解して頂いて、有難いことに快く送り出してもらえました。

そして1年後・・・留学生活は無事終えたのですが、まだまだ英語力は十分ではなく、またサンディエゴという魅力的な都市にもう少し住みたくなりました。そこで、予定を変更してダメ元でアメリカの日系企業を扱うエージェントを通じて転職活動を行い、ご縁があって電子基板を扱う日系の商社に内部統制の担当として入社しました。その時の転職活動を通じて就労ビザの取得の難しさや現地採用社員の求人の少なさを痛感しましたが、それから転職や転勤も経験して6年近くアメリカで働くことになるとは夢にも思いませんでした。

永松 友梓さん

03

今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス

現在は東京にある外資系のメーカーの財務本部で働いています。グループ会社のための財務報告、分析や予算管理がメインの業務になります。東京にある外資系の会社といっても会社の成り立ちや社風は様々で、弊社は英語の苦手なメンバーもまだ多いです。そのため、海外にある親会社からの内部監査への対応やアジア地域のグループ会社との契約書締結など、英語が必要となる業務を担当することが多いです。また、財務本部内でリクエストがあればメールの翻訳や会議での通訳等のサポートも随時行っています。

特徴としては、親会社やグループ会社、CFOとのやりとりが基本的に英語である点かと思います。海外にいるメンバーとは普段はメールとSkypeでやりとりをし、必要に応じて電話会議を行っています。また、ファイナンシャルプランニングアンドアナリシスというグループでは予算、実績および見込みの策定や管理、主に営業活動に関連した分析などを行っており、経理とは違う面白さを感じています。

キャリアパスとしては、今後も事業会社で働くのであれば、財務経理の分野でステップアップを目指す、内部監査部門など公認会計士の資格を生かして別の分野にチャレンジする等が考えられると思います。また、個人的に日本に住みたいのでそういう選択はしませんが、再び海外でキャリアを積むことも不可能ではないかもしれません。

04

あなた独自の強みと今現在の仕事との関係性

公認会計士として会計・監査の基礎的な知識があることに加えて、アメリカ、メキシコ、中国、シンガポール、東南アジア等のバックグラウンドの異なる人々と働いた経験を通じてコミュニケーション能力を高めることができたことです。

今の職場環境は、日本語が話せる人、日本語と英語が話せる人、英語と(日本語ではない)母国語が話せる人、日本語と(英語ではない)母国語が話せる人、(英日以外の)母国語のみ話せる人、3か国語話せる人が同じグループの会社で働き、話し合う機会があります。そのような特殊な環境の下では、ルーティンワークはもちろん、特に非定型的な交渉などにおいてスムーズに話し合いが行えるビジネスレベルの英語能力が重宝されています。

言語面でのレベルの違いがコミュニケーションをとるうえでしばしば障害となりますが、英語力の維持と向上のほかに、誤解を生じさせない仕事の進め方をするよう気を遣っています。最低限伝えたい結論を最初に明確にして、分かりやすくシンプルに伝えること、また口頭での話し合いの結果は早めに文書で残す等を心がけています。

永松 友梓さん

05

仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間

アメリカで転職した2社目の会社は日系の家電メーカーでしたが、社員の8~9割ほどをアメリカ人が占めていました。これを心が大きく動いたと言っていいのか分かりませんが、出社1日目、定時ちょうどで経理財務部の同僚が一斉に消えたのにかなり驚きました。20時まで残業した翌日に、「昨日は遅くまで残業していたけど、大丈夫だった?」と同僚に声をかけてもらったこともあります。監査法人では残業時間が多いと言われていた部署に所属しており、そのギャップにかなり戸惑いました。

ゆったりした南カリフォルニアのカルチャーのせいでもあるのか、日本人以外で仕事漬けな人にはあまり出会いませんでした。家族や友人と過ごす時間を優先する同僚たちに影響されてライフとワークのバランスや自分がどのような働き方をしたいかを考えることが多くなりました。

最後の1年ほどはUSCPAのメキシコ系アメリカ人の女性が直属の上司でした。旦那さんと二人のお子さんがいて、毎日パワフルに相手を自分のペースに巻き込んで仕事をし、決算期以外はだいたい定時ごろに帰って家族と過ごし、必要があれば家で仕事をするというスタイルで働いていました。滞在時間は長くなくても確実に仕事で成果をあげて皆から一目置かれる存在でした。また、仕事の面だけではなく、職場の皆にドーナツやベーグルを差し入れしたり、帰任する日本人の駐在員のためにアルバムを準備したりという気遣いや優しさも忘れない人でした。私にとって、彼女の働き方が理想の働き方のひとつです。

06

公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと、それをどのように乗り越えたか

興味のある方面に進んだ結果、せっかく取得した資格をあまり生かせていないことについて悩みました。アメリカで転職したころの私は同じような道を歩んだ人を知らなかったため、選んだ道に対してこれでよかったのかどうか100%の確信はなかったです。アメリカの最初の転職は勢いでしたが、2度目の転職は途中で途切れるかもしれないけど簡単には引き返せない道で、苦しいときは本当に不安定な仕事に就いて良かったのか自分に問いかけることがありました。

乗り越えられたのは、目の前の仕事をこなすうちに年々状況が変わっていき、徐々に大きな仕事を任されるようになり、生活が安定したころでしょうか。社外の人と交流し自分というものを客観的に見て、アドバイスをもらうことができました。自分が思っている自分と他人の視点から見た自分はまた違うものです。資格を生かせているかどうかよりも、自分のやりたいことができているかどうかが自分にとって重要だと気付きました。

07

人生の目的と公認会計士という資格

人生の目的と呼べるようなものはまだなく、これからも模索し続けると思います。自分の興味のある分野で誰かに喜んでもらえるような仕事がしたいです。どんな道を歩んでも自分が納得して満足することが大切だと考えています。

監査法人で働いていたころはもちろん、退所してからも公認会計士の資格に助けられてきました。転職の際には資格があることで面接や選考で有利に働きますし、会計や監査のバックグラウンドを持っていることで、担当できる業務の幅が広がり、より早く職場の戦力になることができました。また、同じ資格を持つ方とのネットワークもまた貴重な財産となりました。

私にとっての公認会計士という資格は、仕事の選択肢を広げてくれたツールであり、元の道に戻るという選択肢も与えてくれる保険でもありました。自費で留学したり、イチかバチかでアメリカで転職したり、タイミングを見計らって日本に引っ越したり、という少々リスクのある変化に満ちた道は、資格がなかったら歩むことはできませんでした。

ふたたび大きな目標が見つかった時、人生の目的が見つかった時、また資格が助けになることを確信しています。

永松 友梓さん

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これから成し遂げたい事、将来の夢

10年前の夢というか目標は、英語と会計の知識が生かせる仕事に就いて、マネージャーなど責任のあるポジションに将来的にステップアップすることでした。思いがけずアメリカでそれは叶い、キラキラしていた夢は良くも悪くも現実のものになりました。今でもその路線を走り小さな目標はありますが、次のゴールを見つけられずもがいている段階にいるかもしれません。海外とつながりのある仕事がしたいという点では今も昔も変わりません。また、キャリアとは直接関係ないですが、6年間住んだサンディエゴが忘れられず、もっと頻繁に行けるようになりたいです。

時は流れて、かつてのような根拠のない自信やリスクを顧みない無鉄砲さはもうないので、自分の強みを生かして人の役に立ち平和に過ごせることを望んでいます。しかしながら、変化の激しい昨今、今と同じ仕事は定年まで続くことはありえないでしょう。少し前にAIに代替されてなくなる職業についての研究結果が話題を呼んでいましたが、経理財務の仕事も10年後、20年後には様変わりしているでしょうね。紙とそろばんが電卓になり、それが会計システムやエクセルに代わり、この先は単純作業の自動化などが進んで行くのでしょうか。そのような時代の変化に最後までついていけるような会計士でありたいと思っています。

永松 友梓さん

09

キャリアを模索する会計士、会計士受験生へのアドバイス

私は立派なキャリアがあるわけではないのでアドバイスなどおこがましいのですが、もしもかつての私と同じように、海外に住んだ経験はないけど留学や就労をしてみたい方が読んでいたら、ぜひチャレンジしてみることをお勧めします。その理由は3つあります。

①英語の勉強は日本でもできるけど、話す力・聞く力は場数を踏んで何度も繰り返すうちに身につく部分も大きいと感じました。アメリカで転職したころ、流暢に英語が話せたわけではありません。会議中の発言では緊張しまくりで、休憩室で話しかけてくれるフレンドリーな同僚たちにも(嬉しいけど、ちゃんと受け答えできなかったらどうしようと)身構えてしまうほどでした。しかし、毎日業務上の必要な事項をなんとか伝え、同僚と世間話を続けるうちに、いつの間にか聞く・話すことが以前より楽になっている自分がいました。

②海外の方と一緒に勉強したり働いたりする際に必要なのは英語力だけではありません。相手の文化やコミュニケーションの方法に対する理解や積極的な姿勢が欠かせません。日本人からすると少々アグレッシブすぎるくらいで丁度いい温度感です。あとは、仕事上は自分の思ったように相手が動いてくれないことが多くて、忍耐力がつきました(苦笑)。海外に住むのはそれらを学ぶ絶好の機会になると思います。

③つたない言語能力で言いたいことを伝えられないもどかしさや焦り、見知らぬ土地で出会った人々の優しさ、当たり前のようにあったものが手に入らない不便さとその中でのささやかな楽しみ等、現地に行かないと味わえない体験が人生を豊かにしてくれました。仕事を失ったり、見知らぬ土地に馴染めず孤独を感じたり、しんどい時期も確かにありましたが、苦労して手に入れたものは他人がどう評価しようとも何物にも代えがたい価値があると思います。