会計士の履歴書
相澤 祐介

SCS国際会計事務所

台湾事務所 董事長(台湾)

相澤 祐介

あいざわ ゆうすけ

単身渡航で中国語をマスター。現地経営者と同じ目線で仕事をする海外起業家型会計士

1986年9月21日生まれ(40歳) 秋田県出身 台湾在住

東北大学 経済学部経営学科 卒業 2008年合格

相澤 祐介

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キャリアサマリー

東北大学在学中の2008年に公認会計士試験に合格。大学卒業後は監査法人トーマツ東京事務所にて財務諸表監査、株式公開支援業務等に従事。その後アメリカ、台湾などに渡り、2013年にSCSへ参画。シンガポール及び香港で専門業務に当たりながら、台湾法人の設立を担当。設立と同時に台湾へ拠点を移し、現在は現地代表として会計、税務、監査等の専門サービスの提供を行う。

02

監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ

監査法人選考の際に各社の面接を受けていく中で、会計士の仕事の一つに株式公開支援があることを知った。監査業務よりも、より顧客に寄り添った仕事をしたいという思いからトーマツ東京オフィスの株式公開支援部門(TS1)に入所した。しかし、私が入所した2009年から数年はリーマンショックの影響で、上場案件が底をついていたこともあり、結局ほとんど監査ばかりやっていた。加えて、自分の一年上の年次のスタッフの数が非常に多く、なかなか仕事が回ってこなかった。

そのような環境で、「なにか会計士として武器を持たないと、埋没してしまう」という危機感を感じ、中国語に目を付けた。英語を話せる会計士はいても、中国語を使いこなせる人は周囲に見当たらなかったためである。語学習得は現地で生活しながら学ぶのが最も効率的だと考えたが、当時のトーマツには入社2年目で対象になる駐在プログラムがなかったこともあり、悩んだ結果、2年半で退職して、中国語の勉強のために単身で台湾に飛ぶことにした。

台湾での半年間の語学留学を経て中国語が一定のレベルに達したので、これをフルに使ってこのまま台湾で仕事をしたいと考えた。生意気にも、もう人の下で働きたくないという思いから、「海外に展開しているけど台湾事務所がないアカウンティングファームを見つけて、台湾事務所の立ち上げ責任者をやらせてもらおう」と決意。そこで出会ったのが、現在私が加盟しているSCSグループである。SCSはシンガポールにグループ本部を構え、アジアをはじめ世界各国に自社拠点を構える中堅のアカウンティングファームだ。そのSCSに台湾拠点がないことを知り、単身シンガポールに乗り込み、少徳代表に台湾進出を直談判した。グループの戦略としては台湾進出は先の話だったが、本部で働きながらベトナム設立を担当し、そこで結果を出せたら台湾行きの切符をもらうということでオファーをもらった。

ベトナムもシンガポールも面白そうだし、代表の人柄にも惚れたので、2013年にグループに参画した。入社後に社内プレゼンが認められたことや、立ち上げたばかりのベトナム事務所責任者の後継がスムーズに決まったことも幸いし、わずか3か月で台湾進出を任せられることになった。

相澤 祐介さん

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今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス

現在はSCSの台湾事務所の代表として、おもに日系企業を中心に、台湾進出に関する設立から撤退までの会計・税務・労務のサービスを提供している。

台湾事務所設立当初はクライアントが一社もなく、私自身も台湾の会計や税法に対する知識が乏しかったので、朝と夜は基準や税法を読み漁り、日中はさまざまな方法で営業を行った。台湾では、日本でいうところの税理士、社労士、行政書士、会計士の仕事は、すべて会計事務所の仕事になる。最初の1年間は現地スタッフがいなかったこともあり、税務局や保険局など、あらゆる機関に直接足を延ばして勉強した。

立上げ後5年が経過し、現在では顧客やスタッフ(2018年6月12日現在で9名、今年グループに加入した監査法人を含めると50名超)に恵まれ、非常に充実した日々を過ごしている。顧客のニーズに合わせて最適な進出スキームを策定し、設立登記実務を代行。設立後は月次の記帳代行と給与計算、年度末に監査、税務申告を行うのが現在の主な業務内容である。その他にもクロスボーダーの買収案件や、日本コンテンツの展覧会のサポートなど、新しい領域の業務にも次々とチャレンジしている。

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あなた独自の強みと今現在の仕事との関係性

SCSに入った当初は中国語こそ自分の強みだと思っていたが、今は、言語はあくまでツールであり、それを使って学んだことや経験したことの中身で差別化していくことが重要だと考えている。

例えば台湾の会計は、記帳が中国語でなされるという点を除いては日本と大きな違いはない。IFRSも2015年から導入されている。つまり、IFRSの知識と優秀な通訳がいれば台湾で会計の業務は回していけるので、台湾の会計を知っていることでは差別化は図れない。一方税務では、統一発票という公共領収書に基づき独特の処理がなされるため、最初は慣れずに苦労した。しかし、この領域にかかる深い専門知識を有している日本人会計士は自分をおいて他にはいないという自負があり、差別化できるポイントの一つだと思っている。

また、これは自分に限ったことではなく、独立して事業を立ち上げた会計士に共通した強みになるが、自分でゼロから会社を立ち上げて、資金繰りやスタッフの採用など24時間365日悩んで実行して失敗してという経験を繰り返してきたことが、自信の根幹となっている。台湾事務所については、自己資本ではないが、法定の最低資本金(約150万円)だけSCSグループから投資をしてもらい、それ以降は借入も追加投資も受けていない。自分の給与が出なくて家賃が払えなくなるかもしれないという不安と隣り合わせの状況から、異国の地で事業を一定規模まで成長させた自負がある。それは大きな組織で毎月給与をもらっている立場では経験できない“経営者としての経験”であり、これこそが自分が周囲と差別化できる強みであると考える。

よく我々の業界で「経営者の目線に立て」と教えられるが、監査法人で働いているときは教えの本質がまったく分かっていなかった。親の気持ちは自分が親の立場になってようやく分かるのと同じで、自分で経営をして初めて経営者(=顧客)の目線に立った仕事ができるのだと思う。

相澤 祐介さん

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仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間

事業を立ち上げて間もないころ、とある見込み顧客を訪問して顧問業務の提案をしたのだが、「うちは会計事務所には特に困ってないし、今の事務所でそれなりに回っている。見積りもそこと大差ないのであればわざわざ変更するメリットがないので、お引き取り下さい」と門前払いされた。帰り際に、「せめて今度一度お食事だけでも」となんとか次回のアポイントを取り付けた。数週間後二人で会食し、そこで台湾に来た経緯や、台湾での自分の状況をお話させてもらった。

数日して、その方から会計事務所を変更するという連絡をいただいた。「相澤さんに変更することにしました。自分も台湾拠点の責任者として赴任して、慣れない環境で悩むことも多いが、相澤さんの頑張っている姿を見て応援したいと思ったし、一緒に成長していきたいと思いました」ということだった。そして、取引先に対しても「いい会計事務所があります」と弊所を紹介してくれた。出会いから5年間、そのクライアントは毎期増収増益で、社員総数も当時3名だったのが今では30人以上になっている。弊社の成長はこのクライアントと共にあると言っても過言ではないし、弊社の事業拡大はこの方の存在失くしては語れない。

他にも、設立当初のつらい時期を支えてくれた顧客の皆さまには本当に感謝しかないし、この人たちのために知恵を絞って考えて、「やっぱり相澤さんにお願いしてよかった」と言われたときの感激はこの上ない。

06

公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと、それをどのように乗り越えたか

私は新卒でいきなり監査業務についたため、基準や監査マニュアルの通りに監査を実施するだけで、監査される側の立場や気持ちにまで理解が及ばない状態でやっていた。野球をやったことのない人間が、ルールブックだけを見て野球の審判をやっているようなものだ。クライアントの立場に立って指摘をするように教わったが、クライアント側の経験をしたことがないため、想像が及ばない。指摘やアドバイスをしても、「お前に何がわかるんだ」という相手の心の声がひしひしと聞こえてくるのだ。監査法人時代はこの構図に深く悩み、自分の仕事は誰の役に立っているのだろうと疑念を持ちながら仕事をしていた。

自分は監査法人在職中にこの壁を乗り越えることはできなかった。監査法人の外に出て自分自身が経営者としての経験を積み、外部の監査を受けてはじめて、クライアントの目線に立って仕事ができるようになった。このような悩みを乗り越えたおかげで、クライアントとの信頼も深まっている。

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人生の目的と公認会計士という資格

学生時代、特にやりたい仕事や将来の目標がなかった。そもそも社会に出たことがない学生に、それを決めるのは無理難題だと思っていた。大学2年時に、親しい友人が会計士試験の勉強を始めたことがきっかけで、キャリアの選択肢を広げるために、大学卒業するまでに合格できなかったら諦めるというリミットを設定して会計士の資格を目指した。

資格を取得した後は、大勢に従うように監査法人に入社した。明確な目標をもっていたわけではないが、日々「自分はどうありたいか」自問しながら仕事をしていく中で、中国語を勉強しようと決意し、台湾に来た。そこで初めて、この国で人の役に立つ仕事がしたいという明確な目的ができた。

自分のこの経験からも、人生の目的は、キャリア形成前に急いで決めなくても、目の前の壁に必死に向き合い、アプローチを考えて乗り越えていく過程で見つかるものだと信じている。会計士資格という壁は、乗り越え甲斐のある、すばらしい資格だと思うが、期限を決めて挑戦するべきものだと思う。長期化してしまうと、逆にキャリアの選択肢を狭めることになりかねない。

相澤 祐介さん

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これから成し遂げたい事、将来の夢

野球を通じて日本と台湾の距離を縮めたいという夢を抱いている。

台湾の野球と言えば、2013年のWBCの日台戦が記憶に新しく、「台湾は野球強いよね」と言われることが多い。しかし、そんな台湾の野球界も苦境に立たされている。台湾のプロ野球は1980年に発足し90年代まで順調な発展を続け、多くの優秀な選手を輩出し、台湾人の娯楽として広く浸透し経済を支えた。2000年代に入り、八百長問題などが蔓延し、人気が低迷。経営に窮した球団が次々と撤退し、現在は4球団のみで構成されている。球団は大企業の広告塔としての存在で、球団経営はどこも赤字。台湾人は野球好きの人がとても多いが、「台湾リーグはつまらないから、日本や大リーグを見る」という人が多数だ。台湾でプロ野球選手になってもお金を稼ぐことができないし、いつリーグがなくなるか分からない不安もある。将来有望な選手は学生時代から海外に移民したり、早々に野球選手への道を諦める人が後を絶たない。

私は台湾が大好きだが、国民全体が熱狂できるようなスポーツがないこと、また、台湾経済が長年停滞していることに寂しさを感じている。高校まで野球部に所属していた自分にとって、野球は一番の趣味で人生の余暇の一番の時間を費やしているものだ。台湾での5年間で培った経験や人脈、知識を活かして、次は自分自身がなんらかの形で野球事業に参入し、台湾の野球界を盛り上げ、台湾全体を元気にしたいと考えている。

台湾リーグの底上げをし、日本や韓国とアジアリーグを形成し、それで年間のペナントレースを回す。野球を通じてアジアのヒト・モノ・カネの行き来を盛んにして、台湾と日本、ひいては世界の架け橋になりたいというのが私の夢だ。

相澤 祐介さん

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キャリアを模索する会計士、会計士受験生へのアドバイス

もし海外で働きたいなら、現地の言葉でコミュニケーションをとるのは必須だ。現地のお客さんや社員との距離がグンと縮まる。言語習得は欠かせない。

そして次に、生活そのものをローカライズすることが大切だ。日本人だけで日本人街で日本食ばかり食べていては、現地の人の気持ちはわからない。中には開き直って「中国語を話せなくても台湾では生きていける」と言っている人たちもいる。そういう姿勢で仕事をしていても、現地の顧客から契約は取れないし、現地のスタッフと信頼関係を築くことはできない。しかも、そういう人に限って「現地の社員は使えない」と愚痴をこぼす。「あなたとの信頼関係が無いから、あなたの指示に従わないだけだと思います」と指摘したいし、「使えないと切り捨てる前に、あなたはその社員たちと肩を並べて一緒に仕事したことがありますか?」と問いたい。

私はシンガポールで働いていた3か月間、マレーシア人、シンガポール人、ベトナム人、フィンランド人、香港人の同僚と一緒に仕事をしていたが、語学力はもちろん、自分の意見を主張する力や仕事への積極性に大いに刺激を受けた。自分に足りない部分をたくさん学ばせてもらった。

資格やポジションや日本人であることを振りかざし、何もせずに“あぐら”をかいているだけでは、海外で活躍しているとは言えず、海外にいるだけの人になってしまう。

ローカライズし、現地の人たちの働き方を知り、その人たちに助けてもらって仕事をしているんだという意識をもって仕事することが大切だと切実に感じている。海外で、その国で本当に活躍したいなら、まず、日本人であることを忘れよう。