
株式会社SMASH HD 他
代表取締役(SMASHグループ代表)
森 大輔
もり だいすけ
“人生のレギュラー”として挑戦を続ける
1983年9月13日生まれ(43歳) 愛知県出身 東京都在住

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キャリアサマリー
あらた監査法人(現 PwC Japan有限責任監査法人)入所。(なお、合格年次は2007年だが、世の中放浪すること1年。)
PricewaterhouseCoopers LLP(PwC米国法人 シカゴ・ピオリアオフィス)
PricewaterhouseCoopers LLP(PwC英国法人 ロンドンオフィス)
株式会社SMASH HD 代表取締役就任(SMASHグループ 代表) 森大輔公認会計士事務所(MD C.P.A Office)開設 代表
SMASH国際会計事務所 開設 代表
SMASH国際アドバイザリー合同会社 設立 SMASH国際監査法人 設立 代表社員 就任
幼少期から税理士事務所を経営していた父親の背中を見て育ちましたが、幼稚園から小学校低学年の頃はスキー選手に憧れ、小学中学年から高学年にかけてはプロ野球選手を目指していた私は、父の仕事の内容を理解することはありませんでした。中学に進学すると、地元の進学校が甲子園に出場したことをきっかけに、「この高校で絶対に甲子園に行く!」と意気込むようになりました。しかし、甲子園に出場したことで愛知県内の怪童たちが集まり、結局、3年間はボール拾いやスタンドからの応援に回ることに。高校2年と3年の夏に愛知県大会決勝で敗れ、あと一歩というところで甲子園への夢は終わりました。
ふと立ち寄った本屋で、イチローさんの出身高校の元野球部監督が、グラウンドに立てず、レギュラーをサポートする部員に「野球でレギュラーになれなくとも、人生のレギュラーになれ」と言った言葉に感銘を受け、高校卒業とともに野球に決着をつけることを決めました。高校までは年間360日、朝から晩まで野球漬けで勉強していなかったものの、大学入学後は一転して、公認会計士を目指して勉学に励みました。父が税理士、兄が公認会計士という影響もあったかもしれませんが、会社に属して仕事をするよりも、自分の時間を自由に使いたい、人生を自分でリードしたいという思いが強く、困っている人々や企業、社会を支えられる仕事をしたいと考えるようになりました。税理士と公認会計士で迷ったとき、幼少期に父親がぼそっと「これからの時代は公認会計士だろうなぁ」と言っていたことを思い出し、公認会計士を目指すことに決めました。
大学在学中に公認会計士論文式試験に合格し、その後、監査法人への就職活動はせず、1年間の国内外での放浪生活を送ります。この1年間が、その後の人生を大きく変えることになります。山奥でのアルバイト生活や地方の会計事務所でのアルバイトの中で、オーストラリアのシドニーを訪れました。人生初の海外で、オシャレなバーや高層ビルが立ち並ぶ港で見た4大会計事務所(Big4)の圧倒的な存在感とカッコよさに一目惚れし、将来はここで働こうと決意しました。当時、野球選手やサッカー選手が次々と海外で活躍している時期であり、海外で働くことへの憧れが強くなりました。自由でフランク、でも仕事には厳しそうなイメージがあり、憧れの海外で働くチャンスもありそうだと感じたため、PwC(当時のあらた監査法人)に入所しました。
シカゴ・ロンドンへの赴任期間を含むPwCでの14年間を過ごした後、「国際業務に強い会計事務所」と「日本一の会計事務所を作りたい」という思いを胸に独立を決意しました。個人の公認会計士事務所を開業し、同時に6法人を統括するホールディングス会社の代表取締役に就任しました。その後アドバイザリー合同会社と監査法人も設立し、現在に至ります。
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監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ
PwCに入所後は、ひたすらがむしゃらに働きました。正直、監査法人で将来これをやると明確に決めていたわけではありませんでした。自分の実力に自信がなかったからかもしれませんが、監査法人のキャリアの中で何が自分に合うかを見つけていく感覚でした。しかし、会計士試験の勉強をしている際に、ふと立ち寄った本屋で、海外で活躍するスポーツ選手の特集を見たときに感じた「自分もこんなふうになりたい」「海外で実力を試したい」「どうしてもあのカッコいい事務所で働きたい」という思いはずっと心の中にありました。当時2008年頃は大量採用の影響もあって人が余っていたので、そのような環境で海外赴任のチャンスを得るために実力をつけなければならないと一心不乱に業務に取り組みました。社内を歩き回って先輩に会う度に何か仕事ありませんかと営業し、部署内で一番行きたくないとされていた監査チームに自ら志願し、そのチームは米国人パートナーやディレクターがいるチームで、会議や監査調書はほぼすべて英語で行われ、PCAOB監査のため、監査のレベルは最高級の厳格さでした。上場会社や外資系企業、国内非上場企業の財務諸表監査に多く関わりましたが、大手の監査法人としては比較的小規模な会社(売上高1,000億円や100億円以下)を担当することが多かったです。外資系企業については、おそらく日本の監査法人の中で私より多く関与した人はいないのではないかというほどの数を経験しました。並行して、毎朝出勤する前に、欠かさず英語の勉強をしました。そのおかげで少しずつ海外赴任に必要な英語力を身に着けることができました。今考えるとそのようなメリハリのきいた生活が送れる時代の運に恵まれていたとは思いますが、繁忙期でもこの学習スタイルだけは、自分に対するルールとして絶対に貫きました。
入社4年目に念願の海外派遣の話が来たものの、会社の事情で実現せず、翌年再び海外派遣の話が来て、無事にアメリカに赴任することができました。アメリカでは、SEC上場の米国企業に対する監査業務を担当し、PCAOB監査やUS-SOX監査を経験しました。
2年間のシカゴ赴任を経て日本に帰国し、財務諸表監査以外のアドバイザリー系業務やリクルート活動、事業部運営など幅広く担当しましたが、海外赴任という入社前の大きな目的を果たした後、次第に業務へのモチベーションが低下している自分に気づき、そろそろ潮時かと思った矢先、今度は会計の聖地ともいえる英国・ロンドンへの赴任の話が舞い込みました。迷わず赴任し、現地の日系企業を中心にエンゲージメントマネージャーとして、世界中から集まった多国籍集団をまとめました。赴任から半年後にコロナによるロックダウンが発生し、2年間のロンドン赴任を終え、再び日本に帰国しました。
家業は元々親族承継を考えていた組織ではありませんでしたが、イギリスから帰国後、父が幼少期に言っていた「日本一の会計事務所にしたいなぁ」という言葉を急に思い出し、「父に代わって私が国際業務もできる日本一の会計事務所を作りたい」という気持ちが芽生えました。ちょうどその頃、税務中心の会計事務所を運営していた家業において創業者が引退し、その後の混乱や勢いの弱まりを聞きました。当時、既にシニアマネジャーになっており、PwCが好きだった私は、PwCでのキャリアとの間で揺れましたが、大組織の中ではスピード感を持って即決即断ができないという限界を感じていた面もあり、自分の好きなことや成し遂げたいことを経営者として実現するため、最終的に独立を決意し、同時に愛知県で事業を展開しているSMASHグループにジョインすることにしました。
監査法人で海外での仕事を経験できたことは大きな財産ですし、監査法人でのキャリア後半で、内部監査や内部統制に関するアドバイザリー業務も経験できたことが、独立後に監査以外の業務を広げるうえで大いに役立っています。独立するには税務や経理の業務経験が必要だと言われますが、私はほとんどそのような経験をせずに独立しました。一方で、心の中で「事業を起こしたい」「会社を経営するんだ」という強い意識があったため、比較的小規模な企業を担当する中で、経営者が何を見て、考え、どのように意思決定をしているのか、また何が問題なのかを常に意識しながら監査していたように思います。

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今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス
今現在の仕事には、大きく二つの柱があります。一つは、会計士が行う財務諸表監査(リファーラルやAUP含む)、内部監査アドバイザリー、内部統制&J-SOX関係の支援、IPO支援やM&Aに関する財務DDといった実務面の柱、もう一つは、会社、そしてSMASHグループのマネジメントという柱です。SMASHグループはもともと父が愛知県で創業しました。コンサルティング会社、税理士法人、社会保険労務士法人、行政書士法人、不動産会社を、私が社長を務めるSMASH HDが統括しています。このSMASHグループのネジメント業務には、経営全般面、採用(新卒・中途)、営業、商品・サービス開発、インフラ整備、各種関係組織との関係構築、金融機関とのお付き合いなど、幅広く含まれます。最近はSMASHグループとしてのブランド構築に力をいれています。私が代表に就任してから、パンフレットのデザインをすべて私が再考して刷新したほか、広報の一環で元メジャーリーガーの川上憲伸さんと「信頼と挑戦とグローバル」というテーマで対談したりもしました。今年の7月には役員を全員集め、将来このグループをどうしていったらいいのか、1人1人に聞いたんです。彼らは普段は愚痴ばかり言っているんですけれど(笑)、このときは結構夢があることを言ってくれたので、だったらもう業界でナンバーワンのブランドを目指しましょうということを役員全員で決意したところです。
このSMASHグループと緊密に連携を取りながら、専門サービスを提供するのがSMASHアソシエイツです。SMASHアソシエイツは法律事務所や社会保険労務士事務所の他、東京を拠点にし、私が代表を務める森大輔公認会計士事務所、今年(2024年)9月に設立したSMASH国際監査法人並びにSMASH国際アドバイザリー合同会社からなります。ここでは私自身が実際に手を動かし、アドバイザリーや監査といった専門業務にあたっています。国内企業の案件も受託していますが、多くは外資系企業やクロスボーダー案件です。最近出版した書籍にも関連しますが、海外子会社の内部監査やガバナンス関係のお仕事を受嘱することが増えてきています。自ら独立し、法人を設立し、経営しているのは、元々会社経営を経験していない者が経営のアドバイスをすることに、昔から違和感があったことにあります。自ら事業を拡大させ、色々と経験していくことで初めて会社経営者の気持ちが分かり、寄り添うアドバイスができると実感しています。監査業務については、独立してから再度監査業務をやる方は多くないと思いますが、私は公認会計士業務の王道である監査を通じて、企業価値の向上に少しでも役立つということに、公認会計士としての意義を感じています。監査業務に対する価値観がこのように変わったのは、監査法人時代の後半に内部監査のアドバイザリー業務をしたことがきっかけだったと考えています。
月の3割ほどは愛知県でSMASHグループのマネジメント業務にあたっています。愛知の拠点には会計士がおらず、実は私が会計士第一号なんです。例えば財務デューデリジェンスや企業再編におけるPMIといった業務は全くやってこなかったので、今まさに少しずつ愛知に会計士のサービスを新たに開発しているところです。リクルートにも最近は私自身が積極的に関与するようにして、何千人という学生が来る大手人材紹介会社のイベントに企業ブースを出すなど、新卒採用を積極的に行っています。税理士法人を主体とするSMASHグループの従業員は約100名おり、全国ランキングでも100位に入る規模なのですが、税理士試験に合格した途端に職員が退職してしまうというリクルートの難しさを感じています。だからこそ法人のリクルートでは、「ご縁あるところすべてに特別な毎日を届ける」というSMASHグループのビジョンに共感してもらえる人に入社してもらいたいという思いで、私自身が会社説明を行っています。税理士業界は傍から見ると「先細り」とか「ブラック」というネガティブなイメージがあるようなんですが、会社説明会では、それは誤解であり、ITやDXを使いこなせたり、国際業務に対応できる会計事務所はむしろこれから伸びるんだという話をします。「税理士」とか「申告業務」という言葉に対し、「コンサル」という言葉は学生から非常にポジティブに捉えられるので、コンサルティング業務の魅力を特に意識してアピールするようにしています。愛知での事業は地域のインフラを支えるという側面もあるので、雇用を含めしっかり地元に貢献したいです。
2年前に私がSMASHグループにジョインしたとき、所信表明演説で「日本一みんなが働きやすい会社にしましょう」と言いました。SMASHという名前の由来には、「ボールを打つスマッシュのように、お客さんとご縁を互いに打ち合って、良い関係を築いていきましょう」という裏の意味もあるのですが、SMASHという言葉を構成しているそれぞれのアルファベットには私たちのビジョンが込められています。このうち「H」は「Human」を表しており、これがまさしく、「従業員が日本一働きやすいと感じる会社を実現する」という目標です。所信表明演説の時のことを従業員に聞いたら、「あんなゴリゴリしていそうな人が、こんなやわらかいことを言うなんて信じられない!」と、当時は衝撃だったそうですが(笑)、最近になって多くの従業員がこの共通のビジョンを、自分たちから話すようになってくれたことを実感し、大変嬉しく思っています。SMASHグループは、2028年で創業50周年になりますが、まずは内部から従業員にビジョンを浸透させ、そして今、次第に外でもブランドを構築し始めているという段階です。なんとか2年やってきたので、もうあと1年、まずは3年頑張ってある程度形にしたいですね。
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あなた独自の強みと今現在の仕事との関係性
私の強みは、グローバルな経験を持った日本人であることです。私は日本生まれ日本育ちの日本人で、英語が得意なわけでもありません。でも、実はそれこそが私の強みなのだと感じています。海外に全く抵抗のない、帰国子女でバイリンガルの公認会計士の方もいると思いますが、私は幼少期から日本で過ごし、海外経験がほとんどない状態で海外に赴任しました。英語が全く分からずコミュニケーションに苦労したり、異文化に戸惑ったりした経験があるからこそ、「その気持ち、すごくよくわかるよ!!」と、「全くわからない状態から始めた人」の気持ちに寄り添えるのだと思っています。私自身がまさに「全然英語ができない」「異文化に不安がある」という立場だったので、そういう人たちの気持ちがよく理解できます。それが、グローバルな環境で働く上で大きな強みになっていると感じます。実は、アメリカに行く前、私はコミュニケーションがすごく苦手でした。アメリカでは特に男女間のコミュニケーションの違いに驚きました。パーティーや研修のようなイベントで、女性は立っているだけで人が次々と話しかけてくるのに、男性は自分から話しかけにいかないと誰も来てくれないんですね。下手な英語で話しかける勇気も出ず、最初はそれがすごく苦痛でした。でも、何も話さずにいるわけにもいかなくて、英語の勉強だと思って最初はとにかく見えるものに話を振るようにしていました。たとえば、「このスーツどこで買ったんですか?」とか、「この人は誰ですか?」とか、周りのものを見て思いつくままに話してみたんです。最初はぎこちない会話でしたが、それがだんだん慣れてきて、次第に誰とでも自然に会話ができるようになりました。向こうが少し話しにくそうでも、1時間くらいは会話を続けられるようになったんですよ。これも、努力して身につけたコミュニケーション力のおかげだと思っています。
また、バックパッカーとして世界を旅した経験で培った、柔軟な思考力も、私の大きな財産です。治安の悪い場所を一人で歩かなくてはならないこともありましたし、野犬がウロウロしているような場所でタクシーを途中下車させられるような危険な目に遭うこともありました。今振り返ると、そういった危機的な状況で何をどうすれば自分の身を守ることができるか、本能で瞬時に考える力が養われたように思います。バックパックを背負って旅をしていると、いろんな人と出会い、異なる価値観に触れることができます。そこで出会ったタイ人の一人が、EY(アーンスト・アンド・ヤング)を辞めて、パソコンだけで仕事をしながら世界中を旅していると聞いたときはすごく驚きました。彼は、どこに住んでいるわけでもなく、仕事はパソコンだけでできるというライフスタイルを送っていました。今でこそリモートワークは一般的になりましたが、15年前にその働き方を目の当たりにして、「自分もこんな自由な生き方ができるんだ」と感じ、人生や仕事に対する考え方が大きく変わる経験をしました。それまでは、仕事と言えば「会社に入って、定年まで働く」という道しか考えられなかったのですが、「人生を自分の力で切り開く」という考え方を学び、「どんな働き方も可能だ」というように視野が広がり、柔軟に考えるようになりました。
現在私が関わるプロジェクトは、異なる国や文化を持つ人々と協力しながら進めるものが多いのですが、バックパックで得た経験や、アメリカでのコミュニケーションの学びが本当に役立っています。異文化や価値観の違いを理解し、柔軟に対応する力が仕事にも活きていると感じています。そもそも私がグローバルな業務に携わるようになったのも、このような経験があったからこそです。自分の視野を広げて、さまざまな価値観に触れることで、今の仕事でも大きなモチベーションを持ち続けています。これからも、どんどん成長していきたいと感じています。

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仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間
どんな仕事にも一生懸命尽くすタイプなので、正直、仕事をしていると毎回心が動きっぱなしです。その中でも、特に心に残っているエピソードがあります。
アメリカに赴任した時のことですが、アメリカの会計事務所は、入所してからUSCPAの勉強を始める人が多いこともあり、会計やビジネスの基本を知らずに入所してくる人が多くいます。私の下で一緒に仕事をしていた新卒入所の職員もその例に漏れず、しかも全く仕事を覚えようとしませんでした。パソコンを前にしていても、ある時は「今日は病院に行かなくちゃいけないから」とか、またある時は「お母さんの体調が悪いから」とか、何かと理由をつけては指示を避け、仕事をしないのです。私自身赴任したばかりで、英語でのコミュニケーションにストレスを感じていたこともあり、ある時限界がきて、つい大声で怒鳴ってしまったのです。その部下は、厳しいアメリカでは最終的にクビになってしまいました。
時を経てロンドンに赴任した際、同僚から「イギリスでのビジネス文化では、感情を表に出さずに、怒らず、冷静に対応することが大切だ」と教えられ、それを実際に体験して学びました。確かに、人間として許せないことがあれば、時には怒ることも必要だと思います。一方、ビジネスの現場では、怒っても何も解決しないし、逆に関係がギクシャクしてしまうので、冷静に指導することが一番なのです。「立場」の違いを理解してコミュニケーションをとることも大切なポイントだと思います。私はアメリカ赴任当時シニアアソシエイトという中間管理職の立場でした。上司として部下を指導する立場にありながら、その部下が新卒であったことを忘れて、強い言葉で怒ってしまったのは大きな反省点です。
私が経験した出来事は小さなものかもしれませんが、その後の自分の仕事に対する考え方を大きく変えるきっかけとなりました。アメリカ時代の私は感情的に反応してしまったことがありましたが、イギリスで冷静かつ理論的に対応する大切さを学んだおかげで、感情をコントロールできるようになった気がします。アメリカで怒鳴ってしまった部下に対しても、「もっと違う方法があったんじゃないか」と思うようになりました。特に最近はアメリカでも怒らない文化が根付いてきているようですが、「怒って教育する」文化が根強くある日本においても、欧米の文化を理解し、考え方を変えていかなければならないと感じています。
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公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと、それをどのように乗り越えたか
公認会計士としてのキャリアの中で、最も深く悩んだ瞬間は、やはり独立を決意した時です。監査法人でシニアマネジャーというポジションにまで登り詰め、海外での経験も積んでいた私にとって、さらに上のパートナーまで登り詰める道を選ぶこともできたはずでした。でも、どうしても心の中で引っ掛かっていたのは、独立して自分の力で挑戦してみたいという気持ちでした。
私は、PwCを自分の居場所だと感じていましたし、何より社内の雰囲気が大好きでした。一方で、損益管理や組織全体の調整といったシニアマネジャーとしての仕事がどんどん増え、心の中で本当にやりたいと思っていたこととの乖離が生じてきました。目の前の業務に追われあっという間に時間が流れていき、いつしかその時間がもったいないと感じてしまうようになりました。その理由をたどると、根底にあったのは、自分がやりたいことを実現したいという、会計士を目指したときの純粋な気持ちでした。今まで自分が組織の中で築いてきたキャリアや、パートナーに昇進できるというチャンスを手放すことに対する不安もありましたが、もしパートナーになったら、その後は会社に残り続けることになるだろうし、何か新しい挑戦をするには遅すぎるかもしれない、そんな思いが頭をよぎりました。そうしてイギリスから帰国し、家業の状況が耳に入るようになり、半年ほど悩み続けていたある日、子どもの頃に父が言っていた「日本一の会計事務所を作りたい」という言葉をふと思い出しました。当時私はまだ幼稚園児かせいぜい小学1、2年生でしたし、父にとっては何気ない会話の中の一文だったかもしれませんが、今思うとその一言が私の人生に大きな影響を与えたのだと思います。どうせやるなら日本一の会計事務所を作りたいと私自身も思っていましたので、まさにこのことが私の背中を押すきっかけになり、ついに独立を決意しました。
独立してからの日々は、もちろん簡単なものではありませんでした。自分の事業を持ち、さらにグループマネジメントという二つの役割をこなす目まぐるしい毎日の中で、何度も「本当にこれで良かったのだろうか」と悩む瞬間がありました。それでも、今は「乗り越えられない壁は来ない」と信じて日々前進しています。独立してまだまだ試行錯誤の最中ですが、5年後には今の決断がどうだったのか、しっかりとわかる時が来ると思っています。それまでの間、何があってもぶれずに進んでいきたいと思います。
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人生の目的と公認会計士という資格
人生の目的というものは特に定めていません。ただ、「今日が人生最後だとしたら」という意識を常に持つようにしています。この意識を持つことで、自分の時間を大切にすることができ、また他人の時間も大事にしようと考えるようになりました。時間の価値が身に染みてわかるようになったのです。愛知の会社の従業員にも、「今日を特別な日として楽しく過ごすこと」といつも言っています。それは、自分だけでなく、自分が会ったお客さんやスタッフにも「今日会えてよかった、特別だった」と思ってもらえるようにすることです。そうすることで、毎日が特別な日になり、人生がより豊かになります。この思いが自分の中に芽生えたのは、イギリスに赴任中、町で偶然話したおばあさんとの会話がきっかけです。イギリスではだいたい駅に花屋があるのですが、その花屋がある駅のプラットフォームで年老いたおばあさんが花を持っていたんです。「どなたかのお祝いなんですか?」と話しかけると、笑顔で「いいえ、ただこれから会う人を特別にしたいから、花を持って帰るんだ」と言っていました。そのとき、「これだ!」と衝撃を受けたんです。その日その日を特別に過ごし、会う人々にも特別な存在だと思ってもらえるようにする。その連続で、人生は幸せに、豊かになるんだと悟りました。人生の目的として大きな目標を掲げることではなく、毎日の積み重ねの中で、特別な瞬間を作り出していくこと。それが、私にとっての「人生の目的」と言えるかもしれません。
公認会計士という資格が私に与えてくれたのは、単に職業としての成功だけではなく、人生における大切な学びでした。もし会計士になっていなければ、アメリカやイギリスに行くことも、経営者としての経験を積むこともなかったでしょう。監査法人に入ったおかげで、海外の文化やさまざまな価値観に触れ、さまざまな人に出会い、学びを得ることができました。公認会計士としてキャリアを歩んでみて、仕事の幅もすごく広いし、実際に海外でも仕事ができたので、人生における豊かな可能性と未来を広げてくれた資格であると感じています。

08
これから成し遂げたい事、将来の夢
私がこれから成し遂げたいことは、まずはやはりSMASHグループを日本一働きやすい会社にし、業界No.1のブランドを築くこと、そして自社ブランドで、グローバルなワンストップサービスを提供できるようになることです。世の中にある様々な課題や悩みを解決するためには、働くメンバー自身が健康で幸せに働き、業界全体を活性化させることが大切であり、これによって達成できると信じています。特に、会計業界や経済界がもっと元気で、もっと魅力的で、会計士や税理士がかっこいいと憧れられるようになれば、業界にもっと多くの素晴らしい人材が集まり、全体が良い方向に進んでいくのではないかと思います。
最近特に注力しているのは、若い世代へのアプローチです。会計士を目指すには、受験して合格する必要があるため、早い段階で業界の魅力を伝えておかないと、気づくのが遅すぎて挑戦するチャンスが奪われることになります。だからこそ、高校生や大学生に業界を知ってもらうことが重要だと感じています。私は地元の高校や大学に出向き、授業を行ったり、就職説明会で業界の話をしたりしています。これからも少しずつこうした活動を広げ、業界の認知度を高めていきたいと思っています。
私がこうして業界の活動に力を入れるのは、ただ単に私の会社を大きくしたいというだけでなく、業界全体がもっと魅力的で活気のあるものになるようにしたいからです。私自身がその先駆者となり、後に続く若手がよりよい環境で成長できるような業界作りをしていきたいと考えています。それが私の将来の夢です。例えば、欧米のように、就職ランキングでトップ5に入るような会計・税務系の企業が日本に増えれば、多くの優れた人材が会計業界に集まると確信しています。実際私が海外に行ったときに、Big4などの看板が街中に溢れていたのを見て、欧米ではこんなにも会計事務所の認知度が高いのかと驚きました。日本では会計業界の知名度がまだまだ低いため、まずはそこから改善していきたいと考えています。

09
キャリアを模索する会計士、会計士受験生へのアドバイス
将来キャリアが決まっていても・いなくても、「バックパックを背負って一人旅に出て、多くの人と話してみる」ことをお勧めします。海外で、異なる文化や人々と触れ合い、世界の広さを実感してみることは非常に大切です。特に、会計士という職業が海外でどのように見られているのか、現地の人々の視点を知ることができれば、その後の仕事に役立つ経験になります。私自身、会計士の論文式試験合格後に、1年間のギャップイヤーを取ってさまざまな人と出会い、いろいろな思考を取り入れました。そのおかげで、今の自分の柔軟な思考とコミュニケーション能力が養われたと感じます。例えば、ホテルの予約をする際に交渉してみる、現地で他の旅行者とシェアして食事をする、そんな小さな体験が仕事に繋がることもあるのです。会計士の仕事は、数字や理論だけではなく、現場での判断力や交渉力も重要なスキルだからです。海外で困難に直面し、それを乗り越えた経験が、将来の会計士としての力になると信じています。
もちろん、受験の時期に焦って早く資格を取ろうとする気持ちは理解できます。ですが、私は「1年くらい遅れても大丈夫」と考えるタイプです。人生は長いですから、資格を取ることがゴールではなく、その後どのように活躍するかの方が重要です。少し時間をかけて、より多くの経験を積む方が、結果的に大きな財産になると思っています。会計士という職業は、単に数字を扱う仕事ではなく、社会の仕組みを理解し、世界と繋がる大きな可能性を持った仕事です。そのためにも、まずは広い視野を持って、さまざまな経験を積んでいくことが重要だと思います。一人旅を通じて、世界を知ること、異文化に触れること、そして多くの人々との出会いを楽しんでください。
キャリアを模索する会計士の皆さんに対しては、会計士の仕事の幅は非常に広く、会計士として培った知識や経験を活かせる仕事の分野は無限大だからこそ、目の前の小さな目標にこだわるのではなく、もっと大きな視点で物事を見ていくことが重要だと伝えたいです。5年後、10年後、業界が進化し、新しい分野が生まれるかもしれません。これから先の未来に、どんな可能性が広がっているかを楽しみにしながら、自分自身も変化に柔軟に対応していくことが大切です。そのようなことを見据えつつ、今の自分に足りない部分を補うために、今後のキャリアに役立つスキルを磨いておく姿勢が重要だと考えます。


