
株式会社スターシア
代表取締役
黄 泰成
こう たいせい
日韓関係の発展に貢献。いつかは日韓関係そのものに影響を与えることが目標
1971年12月4日生まれ(54歳) 千葉県出身 東京都在住
慶応義塾大学経済学部 卒業 1995年合格

01
キャリアサマリー
慶応義塾大学経済学部 卒業
公認会計士二次試験合格
青山監査法人 入所
朝日監査法人(現あずさ監査法人) 入所
公認会計士登録
アーサーアンダーセン アトランタ事務所 勤務
KPMGサムジョン会計法人(韓国)勤務
株式会社グラビティ(韓国、NASDAQ上場企業) CFO
株式会社スターシア創業 (日本及び韓国に拠点設立)
税務法人スターシア(韓国)設立
税理士登録、健康管理士一般指導員登録
税理士法人スターシア(日本)設立(予定)
公認会計士になって本当に良かった、とつくづく思います。
とはいえ、公認会計士を目指すきっかけは、「就職活動をしたくない。しかし、就職浪人はできないな。難しい資格試験の勉強でもしていれば、親に対して就職活動しない言い訳ができるな」という、後ろ向きなものでした。
合格後は、仕事は厳しいけれど早く成長できるという理由から、外資系の監査法人を探しました。元々、会計や監査に関心があって会計士になったわけではなかったため、入所後は、「いったい自分は何の仕事をやりたいんだろう?」という迷走がはじまります。会計監査以外の時間では、トランザクションサービスの部署が立ち上がると聞けば、その仕事をかじってみたり、公開ブームのときにはIPOを手伝ってみたり、ITバブルの時にはIT系のベンチャーキャピタルの決算を作りに行ってみたり、という感じです。いろいろかじりましたが、何一つ熱中できるものはありませんでした。
とりあえず、英語で仕事をできる能力は身に付けたかったので、アンダーセンの海外事務所で実際に働くという研修プログラムで、アトランタ事務所に行ってみることにしました。アトランタ事務所はとても景気が良く雰囲気も良い事務所で、仕事(監査)に関してはアメリカ人の方がよっぽど細かい、とか新しい発見をいくつもして充実した日々でした。しかし、エンロン事件で事務所そのものが目の前で崩壊してしまいました。
2002年に東京に戻ってきたものの、もう少し海外にいたかったこともあり、ソウル事務所に赴任させてもらうように希望を出しました。ワールドカップをきっかけに、日本で韓国に対する関心が増していたこと、私自身が在日韓国人であることからちょっとは韓国語ができたのでソウルでの勤務は、今後の差別化に繋がるかもしれない、と考えたためです。
現在、ライフワークにしている日韓ビジネスに携わるきっかけは、そのような軽い気持ちからでした。実際に韓国で仕事をしていると、日本と韓国がいかに密接に経済の分野で結ばれているか、それにもかかわらず、韓国語のできる日本の専門家がいかに少ないか、そのため、十分な専門家のサポートを受けることができず苦労している日系企業がいかに多いか、を目の当たりにしました。ビジネス交流が健全に発展するためには、安心して利用できる質の高い専門家サービスのプラットフォームがあるべきだ、という問題意識が芽生えたのです。
最初は「誰か作れば良いのに」程度で考えていましたが、「韓国語ができて韓国の税務会計が分かっている日本会計士って、自分しかいないじゃん(当時)」と気づいてしまい、「自分がやらなければ、やる人は誰も出てこないんじゃないか」という変な責任感を感じるようになり、駐在期間が終わると同時にあずさ監査法人も退職し、韓国ビジネスを専門に扱う会計事務所を設立し、現在に至ります。
会社名の「スターシア」は、アジアの星になる、という意味で作った造語です。会社設立から12年経ちますが、ようやく知名度も少しは上がってきました。クライアントは、大手企業から中小企業、個人まで幅広くあります。業務内容も、新規拠点進出→帳簿記帳・税務申告→会計監査、という定型的な会計事務所的な業務だけでなく、不正調査、内部統制構築、デューデリジェンス、合弁企業等の経営権紛争のサポート、韓国に財産を持つ人の相続対策など、様々な業務を行っています。業務の量・種類・難易度が上がるにつけ、日韓のビジネス交流の発展に貢献できている、という実感が湧いてきて非常に充実感を感じます。
仮に自分が公認会計士でなければ、このような仕事をやりたくてもできなかったでしょうし、このような充実感を感じることもなかったと思います。そのような意味で、公認会計士になって本当に良かったとしみじみと感じます。
02
監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ
スタッフ、シニア時代は、日本の法定監査、外資系企業の日本子会社の監査を主に担当しました。上場企業のインチャージを行うくらいの経験を積んで、アトランタ事務所に行きました。
アトランタ事務所では、日系企業の監査のみを担当しました。そのときに、監査調書の作り方や監査手続きを再び一から学び直しました。それまで行っていた監査実務がいかにいい加減だったか、ズボラだったかを痛感しました。日本人は細かくて勤勉だ、という先入観が当時はありましたが、アメリカ人の方がよっぽど変態的に細かいし、仕事中毒だということが分かりました。ただでさえ、英語が苦手で辛い思いをしていたので、なんとか趣向を凝らし、簡潔明瞭で読みやすい監査調書を効率的に作ろうと努力した結果、2年目のシーズンでは、アメリカ人パートナーに「あなたの監査調書は、英語はメチャクチャだけど、アトランタ事務所で一番きれいだ」とお世辞を言ってもらえるまでになったのは、自信になりました。
このまま、アトランタで働きたいと思い始めた矢先、エンロン事件が勃発。あれほど隆盛を極めていたアンダーセンのアトランタ事務所が、一瞬にして消えて無くなりました。 みんなで「We Are Andersen」と書かれたオレンジ色のTシャツを着て、CNN本社前で司法省に抗議するデモ集会を開いたのは、今になっては良い思い出です。
当時、まだ30歳くらいでもう少し海外にいたいという気持ちから、ポジション的にすぐに行けそうだったソウル事務所への赴任を希望し、アメリカから帰国後すぐにソウルでの駐在員生活が始まりました。ソウル事務所では、親会社があずさ監査法人のクライアントである日系企業を中心に担当しました。駐在員の役割は、親会社(あずさ監査法人)と子会社(KPMG韓国)との調整です。より具体的に言うと、親会社との関係で激安な報酬で働かざるを得ない現地の担当パートナーをなだめすかす作業です。現在ではずいぶんなくなりましたが、韓国では日本に対する経済依存度が高かったせいか、ビッグ4の中に「日本事業部」という部署が独立して存在し、そこで監査・税務業務をワンストップで提供するという体制でした。
私が赴任した直後、KPMG韓国の日本事業部の公認会計士が集団で大量転職した事件が発生し、赴任直後はクライアントへの謝罪行脚、あずさ監査法人への状況説明、代わりに採用した会計士を中心に事業部の再構築と、いろんな重要な意思決定部分にも携わらせてもらえたのは、今となっては大きな財産です。
あずさ監査法人からのリファーは、当時の韓国KPMGの管理上、全て私が営業担当という扱いになっていたこともあり、韓国KPMGで最優秀営業賞受賞という、不思議な経験もしました。笑。
当時は、毎日午前2-3時まで働くか、記憶がなくなるまで飲み明かすという生活だったので、体はいつも調子が悪かった記憶があります。

03
今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス
現在の仕事は、日系企業の韓国進出サポートです。進出形態は、新規拠点設立だけでなく、M&Aや合弁会社設立など、いくつかのパターンがあります。それぞれの会社の事業展開計画に応じて、どのように進出するかをクライアントと一緒に検討して決めていくことになります。その過程で、税務、外為法、労働法、商習慣等で様々なリスクが埋まっていますが、それらに関するコンサルテーションを韓国ではなく日本でも提供できることにスターシアの強みがあります。
最近では、財務デューデリジェンス、経営権紛争やそれに絡めての不正調査、新体制後の内部統制の構築といった業務も増えてきています。
また、韓国進出後の現地での会計税務サービスが累積していくため、ソウル事務所が弊社の主力拠点となります。日本語のできる韓国公認会計士・税理士を中心に現地での実務を充実させていますし、日本の公認会計士も常駐しています。
弊社は、日韓ビジネス交流の発展に貢献することを生きがいとして、日系企業に対するサービスを提供してきましたが、韓国系企業の日本進出に関連するインバウンド・サービスを今後立ち上げる予定です。日本にも韓国にも拠点があるということを強みにできるものと期待しています。
04
あなた独自の強みと今現在の仕事との関係性
私自身の強みは、第一に、英語でない言語(韓国語)が使えることです。たとえば、英語ベースで報告書や書類が出てくる国の場合には、社内である程度の検討を行った上で会計事務所に相談する、という手順になるであろうところ、ハングルで文書が来ることから、検討の入り口からすぐに相談が来るという特徴があるように思えます。また、このような特殊なマーケットでもあることから、競合者が少なく独自のポジションを取れているという強みもあるのではないかと考えています。
第二に、いままで様々な業務をこなしてきたことによる業務さばきの広さだと思います。会計士は大雑把に、会計系に強いか、税務系に強いか、に分かれると思います。私も韓国に駐在するまでは完全に監査等の会計サービスべったりの経歴でした。ところが、駐在時の直属の上司が国際税務に関する有名な先生だったこともあり、駐在期間中は移転価格税制を中心に国際税務を叩き込まれました。さらに、お客さんと接しているうちになぜか人事労務関連の相談を受けることも多くなり、いまでは韓国の労働法にも詳しくなってしまいました(日本の労働法は全くわかりませんが・・)。 それぞれの分野の深度は浅いかもしれませんが、どんな視点からでも相談に乗ることができるというのは、他の人にはない強みだと思っています。
第三に、経験です。韓国関連ビジネスに携わって、17年経ちました。この間、経営権紛争、横領、不正、詐欺、ビジネスそのものの失敗、許認可にかかる問題、などなど、数多くのビジネスが上手くいかない事例を目の当たりにしてきました。最初のうちは、「こんなことも起こるんだ」と対応に右往左往していましたが、さすがに最近では、新しい問い合わせの初回ミーティングで、「この会社はこういうところでつまずく危険があるな」というのが瞬時に分かるようになってきました。
上記列挙した強みが組み合わさって、私(弊社)以上に効果的かつ効率的に韓国ビジネスに関するコンサルティングができる日本の会計士はいないだろうと、自負しています。

05
仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間
普段、平常心を心がけて仕事をしているせいか、心が大きく動いた瞬間というのはあまりありません。ただ、いま会計士人生を思い返してみて、印象に残っている出来事を一つあげたいと思います。
私が会計士になって1年目のことです。まだ24歳の若造だったときです。東京近郊の片田舎で店頭公開を目指している会社にアサインされました。経理部長は、おそらく60歳前後。その下の経理主任は30代前半。その下に関連会社からの見習いで25-6歳の若者がいる、という構成です。会社全体の平均年齢も高く、非常に風通しが悪いと感じる会社でした。経理部長は若造の自分をあからさまに無視しており、何か質問するたびに怒鳴り返してくるという、パワハラ満載の会社でした。
ある日、会社側は管理担当役員、経理部長、主任、若者の4名、こちら側はインチャージと自分の2名という顔ぶれで接待を受けました。接待といっても、自分にとってはこの会社は怖くて仕方がなかったので、苦痛以外の何物でもありませんでした。ひとしきり食事がひと段落ついたときです。おもむろに、インチャージが管理担当役員に、「あなたの会社は若者に夢や希望を与えられていない。若者を大事にしてこそ会社の成長があると思います」と話し始めました。さらに、クライアントの末席にいる若者に、「そう思うでしょ?」と同意を求める始末です。当然、管理担当役員は激昂し、「おたくの会社だって若者に夢を与えられていないんじゃないか?どうなんだ黄さん?夢を持って仕事してると、あなたは言えるのか!」と攻撃の矛先は自分に飛んできます。
どのような感じでその食事の席がお開きになったのか、記憶が定かではありません。ただ、帰りのタクシーの中のことは今でもはっきり覚えています。あんなパワハラだらけの会社の人たちをあえて刺激するようなことを言ったのが不思議で、インチャージに聞きました。「どういう考えをもって、お客さんに対して神経を逆撫でするようなことを言ったんですが?」それに対してインチャージ。「どういう考えって、お客さんに良くなってもらいたいと思っただけだよ」
その日を境に、会社の人たちのインチャージに対する信頼感が増したのが肌で感じられましたし、自分に対する対応もすごく良くなりました。
その出来事が、自分の会計士としての姿勢にも大きく影響を与えているのだと思います。当たり障りのないことを言って過ぎ去るのではなく、相手のためだと思えばあえて厳しいこともストレートに言うこと。それが、お客さんと信頼関係を築く秘訣なんだろうと考えています。
06
公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと、それをどのように乗り越えたか
深く悩んだことは、主に2回です。
1回目は、若いころ。
いったい自分は何をしたいのか、まるで分からなかったのはつらかったですね。そもそも公認会計士がどういう仕事かもわからずに試験に受かってしまい、監査の現場に出ても毎日が退屈でつまらなすぎました。そのなかで、色んな仕事の経験をさせてもらっても、熱中できそうなものはなく、いかに手を抜いて早く仕事を終わらせるかばかりを考えていた、いま思うととんでもなく仕事のできないスタッフでしたね。どのように乗り越えたかはよく分かりませんが、ソウルへの駐在で苦労しているうちに、いつの間にかそういう考えがなくなっていました。独立した他の人たちよりも、比較的長く大手の監査法人にいたのも、自分のなかに具体的な目標などがなかったからかもしれません。
2回目は、独立して3−4年目くらい。
少しずつクライアントも増えてきた時期ですが、スタッフも急激に増え、人事労務管理が崩壊しました。韓国事務所を一緒に立ち上げた韓国人会計士のパートナーは精神的に限界がきてしまい、袂を分かつことになりました。従業員からは一斉に辞表を突きつけられる等、非常に辛い時期でした。このときから、会社経営とかリーダーシップとか企業理念がどうとか、そういうことを考えるようになりました。
乗り越えたのは、相談できる素晴らしい公認会計士の先輩や友人の存在、自分を支えてくれた韓国の会計士の後輩、偶然採用できた日本会計士の若者等、様々な要因があったからですね。ちなみに、この時期、寺巡りをしたり、写経をしたり、座禅をしたり、そういうのにはまりました。笑。
07
人生の目的と公認会計士という資格
人生の目的は、よく分かりませんね。人として生まれてきたからには、ただ計画的に生きて飢えないように生活するだけじゃつまらないなとは思います。
今は、自分がこの世に生まれてきたのは、日韓関係の発展に貢献しなさいということだろうと勝手に信じ込んで頑張っています。だからこそ、在日韓国人という何国人かよく分からない立場で生まれてきたのだろうと。また、関心もないのに公認会計士という資格に巡り合ったのも、見えない力が「将来あなたはこういう仕事をしなさい」と背中を押していたんだと思うようになってきました。
公認会計士の良いところは、国家が個人に信用を与えてくれていることです。自分のやりたいことをやるために、会社を辞めて世間の荒波に飛び込んで起業することは、普通はリスクがつきものです。ところが、公認会計士という資格を持っているだけで、すでに信用と看板を獲得しているので、起業が失敗する可能性は圧倒的に小さくなります。リスクはゼロと言ってもいいかもしれません。たとえ起業に失敗したとしても、働き口はいくらでもあると思います。「独立するのはリスクがあるからなぁ」という考えは幻想です。自分がやりたいということがあれば、どんどんチャレンジしても普通の人よりはよっぽどリスクを小さくしてくれる資格が公認会計士だと思います。

08
これから成し遂げたい事、将来の夢
日韓ビジネスに関しては、スターシアに聞きなさい、という評価がより広く浸透するように頑張りたいですね。そして、いつかは日韓関係そのものに影響を与えることのできるような人物になりたいと、最近の日韓関係を見るにつけ、強く思うようになってきました。
そもそも、GDP3位の日本と、10位の韓国とが隣同士の国にもかかわらず、両国の経済交流は両国の規模に比較して非常に希薄です。特にB to C分野では壊滅的に交流が薄い状態と感じています。さらに、このような経済大国が隣同士なのに、両国間のビジネスを支える専門家も非常に貧弱な状態です。日本語が流暢な韓国人専門家はたくさんいます。しかし、彼らはあくまでも韓国人で韓国の商習慣に基づいて考え行動します。日本企業がきちんとした専門家サービスを受けるためには、日本の商習慣が身についているうえで韓国の制度や商習慣にも理解のある専門家を選ぶことです。
残念ながら、日本の会計士で韓国ビジネスを専門として活動している人はほとんどいません。一人でも多くの会計士がこの分野で仲間になって欲しいですし、スターシア自身ももっと大きくなって、日系企業の良き相談相手として存在感を発揮できるようになりたいです。

09
キャリアを模索する会計士、会計士受験生へのアドバイス
自分自身も若い頃は、自分のキャリアについてすごく悩みました。いまでも、実は悩んでいるかもしれません。ただ、重要なのは、目の前にあることを全力でこなしていくことですね。目の前にあることをぶち破っていくうちに、次の景色が見えてきて、そこにヒントや答えが隠されていた、ということもあるんだと思います。
また、同じ監査法人の先輩たちだけなく、独立した会計士の話とかを聞く機会を積極的に作るのも良いと思います。おそらくいろんな飲み会とかがあると思います。また、この「会計士の履歴書」をきっかけに、そのような交流な場ができても良いだろうと思います。特にビッグ4にいる会計士は、クライアントも仕事もでかく、日本経済の中心にいるような充実感を得られることは確かかもしれませんが、会計士の世界のほんの一部しか見ることのできない狭いところなので、より広くいろんな会計士との交流を持って欲しいですね。
受験生に対しては、とにかく受からないことには土俵にも上がれないので、キャリアを考える前に今度の試験で確実に受かるように、圧倒的に勉強することです。途中、不安になってきたら、迷わず勉強して成績を上げることが不安解消法です。頑張って下さい。


