
税理士法人猪股会計
代表社員
猪股 宏之
いのまた ひろゆき
公認会計士は「世界で戦う」ためのツール
1975年9月3日生まれ(51歳) 千葉県出身 東京都在住
早稲田大学商学部 卒業 2000年合格

01
キャリアサマリー
早稲田大学入学
大学を休学してアメリカ遊学から海外放浪
早稲田大学卒業
公認会計士試験合格。監査法人トーマツに入社、国際部所属
監査法人トーマツ退社。税理士法人猪股会計設立(埼玉県)
東京オフィス立ち上げ2拠点体制
子どもの頃は野球が全てでした。中学までは千葉県で上下関係の厳しい強豪野球部で過ごしました。夏で野球部を引退して時間がぽっかり空き、その時間を勉強に打ち込み埼玉の早稲田の附属校へ進学しました。実家から通える距離ではなかったのでホームスティ制度で親元を離れます。附属校、かつ、帰国子女が多い環境で刺激の多い高校生活を送り、大好きだった野球は上下関係が全くない長髪OKの緩い硬式野球部に入り、エンジョイしました。大学進学後は準体育会のスキー部に入り、夏は大好きなプロ野球の仕事(東京ドームのボールボーイや神宮球場での売り子、NTVで野球中継のバイト)等で大学生活もエンジョイ。当然勉強は高校からほとんどしていません。
父親が公認会計士で会計事務所を営んでいたので、公認会計士という資格は常に頭の片隅にあり、ゼミも会計系に入りました。しかし、そのゼミではエンジョイ大学生は浮いた存在で教授からも「坊や」と呼ばれるほど。公認会計士を目指すことも父親以外のモチベーションが見つからず、かつ、会計系のゼミもスキー部の練習日とゼミ日が重なりさほど悩まずゼミを辞めました。
このままではまずいと大学3年でなぜか英検2級の勉強を始めます。スキー部の同期からは今さら英検2級と揶揄されながら人生で初めて自発的に勉強しようと思いました。大学3年の秋にスキー部同期9名で訪れたインドへの旅で放浪癖に目覚めます。最高でした。カルカッタでは存命だったマザーテレサにも会いました。ガンジス河では死体が流れる横で沐浴をしました。強烈なカルチャーショックに将来への漠然とした不安という多感な時期も重なり、勢いで大学4年生を1年間休学してアメリカのセントラルフロリダ大学へ留学という名目の遊学と放浪に向かいました。
アメリカでの生活は素晴らしい経験でした。真剣に(人生)勉強をして、真剣に遊んで、真剣に旅をした濃密な1年。バスでアメリカ大陸を横断し、鉄道で縦断もしました。現地で知り合った年上の日本人とマイアミに野茂投手の試合を見に行った夜に、人生を変える一言をもらいます。「自分がやりたいことを追求していくと、どんどん社会から離れていってしまう。でも、資格は自分のやりたいことと、社会とのバランスをとるためにいいなと最近思うんだ」の一言にズドンと稲妻のような衝撃を受け、会計士を受験することを遠いアメリカマイアミの地で決めました笑。英語ができるようになればなるほど、語学以外の力が必要と痛感し、「野茂選手のように世界で勝負したい」と思ったことも世界的資格である公認会計士への後押しとなりました。
帰国後大学4年(5年生?)に復帰。スポーツで生きてきたのでスポーツ関連の就職も考えましたが、高校野球部の同期の「好きな野球は仕事にしたくない」という一言にまたもやドカンと影響を受けます。”間違いない、会計士一本でいこう!”では、会計士の勉強にすぐに専念できるほど放浪癖は甘くなく、夏休みに東南アジアを1か月放浪です。カンボジアのアンコールワットは最高でした。ベトナムでは初めて路上で寝ました。こんな感じなので、帰国後資格の勉強では苦労すると思いましたが、アメリカの大学で、英語で会計学の授業等を受けた経験から、母国語の日本語だったら日本人に負けないという国籍不明な自信を持っていたこと、世界で戦うという高い目標があったこと、同期が就職して遊べなくなっていたこと等の複合的な要因から、仙人かと自分で突っこむくらい規則正しく真面目に勉強して、1回目の会計士受験を受けました。受かる自信は全くありませんでしたが、就職活動まで一セットで全力を尽くしてから放浪と決めていたので、海外経験を語ってくれたトーマツの面接官に一目惚れして、トーマツへの就職内定を決めます。ちなみに別の監査法人はインドのビザ取得日と面接が重なりこれも何かの縁と辞退しました。こうして内定を得た後、本命の2回目の受験へのモチベーションを高めるために、ネパール・インドに1か月の放浪に出ました。
ネパール・インドでの日々は最高でした。ネパールではアンナプルナという8,000m峰のベースキャンプまでトレッキングをして、ブッダの4大聖地もコンプリートしました。そんな浮世離れした場所から帰国した翌日に公認会計士の合格発表がありまさかまさかの想定外の合格です。しかも、トーマツのリクルーターからのおめでとうございますという電話で合格を知るというドタバタぶり。自分で発表も見る気もなかったのですね。ネパール滞在の1週間後には、まさかのトーマツ入社式と人生の激変を味わいました。
02
監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ
2000年に入社した監査法人は苦い思い出です。放浪癖からもわかるように、元来テキトーな人間なので、学生気分も抜けずダメ社会人でした。もし当時の自分に会えたら往復ビンタ10発ものです笑。また、監査という事後チェック的な仕事も自分には向いてなかったと分析します。一生懸命やればやるほど感謝されない、手を抜いて早く帰ることが一番感謝されるとの先輩の声を真に受けてモチベーションを落とした時期もありました。尊敬する先輩ほど早期に退職することも追い打ちをかけ2年目~3年目は相当悩んでいました。
そんな時はやはりというか放浪癖がむくむくと湧いてきます。繁忙期も終わりきらない6月に3週間の有給休暇をとってスペイン・フランスへまたもや自分探しの旅に。後日会社であの伝説の長期休暇をとった人ですよねと初対面の人に言われてびっくりしました笑。しかし、自分探しの旅は捨てたものでありません。フランス・パリでスポーツにつながる出会いがあり、急に自分の中のスポーツ熱に火が灯り、帰国後紹介されたスポーツマネジメントスクールに通いました。毎週月曜日の夜に授業があったのですが、監査法人で月曜からの平日出張を命じられたにもかかわらず主任に熱く熱くお願いして火曜日からの出張に僕だけ代えてもらいました。そのスクールではスポーツ関連の方々と刺激的、かつ、様々な出会いがあり、また仕事をお願いできないかというありがたい相談も頂きました。そして、大学時代から考えると180度方針転換をして「好きなスポーツを仕事にする」という決心をして監査法人を退職しました。
監査法人での経験は退職後の今、本当にありがたいものだと感じています。監査的な思考や監査法人という大企業を経験できたことは独立してから本当に役立っていますし、給料を頂きながら社会人として放浪癖の旅人を少しはまともにして頂いたので、東京駅方向には足を向けて眠れません。また、税務調査の立会という仕事があるのですが、監査をしていた逆の立場で相手のやろうとしていることがよくわかり、交渉にも役立っています。監査法人時代に関わって頂いた皆さんに深い感謝の想いと、すみませんでしたという後悔の念です。生まれ変わったら監査法人でも頑張ります!

03
今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス
2004年3月にスポーツの仕事をしたい。特にスポーツ選手のサポートをしたいと思って独立して、一旦は父親の会計事務所に籍を置いて活動を始めました。最初にラグビー選手の確定申告をして1万円を頂きすごく嬉しかったことを覚えています。スポーツだけでなく、当時20代後半だった自分の周りには起業した同年代も多くおり、徐々に仕事を頼まれるようになりました。一緒に仕事をしながら会計税務だけでなく、「本当に必要なことを何でもサポートしたい」とエクセルで売上管理表や経費精算の表を作ったり、従業員向けにセミナーをやったりと必要であれば何でもやりました。そして2011年に東京オフィスを中央区に立ち上げ、「中小企業に予算実績を!」と内部管理に力を入れ、「記帳ゼロへの挑戦!」とITでの効率化に楽しく取り組んでいたら、ありがたいことに口コミでクライアントが増加しました。
スポーツに関しても、よいご縁がありプロ野球チームの選手サポートの仕事やプロ野球チームの内部管理の仕事をしました。プロ野球の選手サポートの仕事は当初は税金の講習会が依頼内容だったのですが、本当に選手に必要なことは「お金や将来のキャリア」と球団の方に熱くお願いして講習会の内容に組み込んで頂きました。この最初の沖縄での1時間の講習会のために年末年始返上で100時間をかけて資料を作成しました。そこから、ありがたいことにスポーツ選手もメジャーリーガーを含め50人ほどサポートさせてもらっています。ただ、全体では20%がスポーツの割合でしょうか。
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あなた独自の強みと今現在の仕事との関係性
ニーズを把握して「すっきり」を具体的に提供できることでしょうか。クライアントと会話をしながら思考を整理していく中で必要なニーズを感じます。そしてそのニーズに対して具体的なソリューションを「すっきり」を感じてもらうまで追求して提供するイメージでしょうか。法人クライアントへの決算前の決算対策ミーティングからの決算後の決算報告会。そしてそこから予算実績管理につなげる流れは年度を通して中小企業にも意味のある管理をシンプル、かつ、すっきり提供できないかと模索して作り上げました。スポーツ選手への確定申告前の家庭訪問から「財産環境レポート」を作成することや、ビジネス書籍を定期的に郵送するというオリジナルサービスもこの強みから生まれたのかなと思います。

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仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間
プラス方向に大きく動いた瞬間は、100時間をかけたプロ野球選手向けの講習会の内容を聞いた球団スタッフの方から沖縄の球場で「こんな内容を選手に以前から提供したかった。志のある講義をありがとうございます」と言って頂けたことです。仕事はお金ではないと思った瞬間でした。
マイナス方向に動いた瞬間は、自分の信念に沿わない仕事を多額のお金を払うからやってくれと依頼されたときです。当然断りましたし、自分の信念に沿わない仕事は以後もきっぱり断ると決めました。逆の意味で仕事はお金ではないと思った瞬間でした。
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公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと、それをどのように乗り越えたか
監査法人という組織、そして監査という仕事にフィットしないことに入社後ずっと悩み続けました。乗り越える前に退社したので、乗り越え方はわからないのですが、向き不向きもあるのではと今は思います。
退社前にスポーツマネジメントスクールの先生に懇親会で相談したら、「向いてないから辞めたほうがいいよ!」と断言されて最後は決断しました。退社直前に監査法人で一緒に働いた先輩に「僕は会社員が向いてないことがわかりました」と伝えたら、「えっ!今頃気づいたの!」とびっくりされたのでやはり向いていなかったのだと思います笑。
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人生の目的と公認会計士という資格
公認会計士は何者でもない僕に「チャレンジの機会」を与えてくれました。アメリカから帰国して大学も卒業。ただの受験生という無味透明な存在に1回はなったので、もし資格試験に合格してなければを考えるとぞっとします。トーマツで受験生から社会人にして頂いたのも会計士の資格のおかげですし、独立してスポーツをはじめ色々な経験をさせて頂いたのも会計士のおかげです。そう考えると公認会計士は僕にとってはゴールでなく、全てのスタートでした。

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これから成し遂げたい事、将来の夢
現在は東京のオフィス運営に四苦八苦しながらも充実した毎日を過ごしています。そんな時も定期的に放浪癖が顔をのぞかせ何とか押さえつけている状態です。2020年のコロナ禍を経て、自分の内なる声に耳を傾けると、放浪癖をもっと自由にさせてあげて自分らしさをもっと追求したいと最近よく思います。真剣に海外で勉強すること、海外でビジネスをすること、海外にオフィスを展開することに残りの人生をかけてイチから取り組んでみたいです。おじさんの放浪ですね笑。

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キャリアを模索する会計士、会計士受験生へのアドバイス
自分の好きなことを見つけて追求できればいいですよね。そして、それが自分に向いていれば最高だと思います。受験生へのアドバイスとしては今目先の受験で頭がいっぱいかもしれませんが、その試験の先にある自分だけのゴールを見つけて、それを見据えたうえでその過程に会計士受験があるというように考えられれば頑張れるかもしれませんね。自分はそう考えていました。私は「世界で戦う」ためのツールとして公認会計士を目指していたので、NHKラジオ英会話とラジオビジネス英語を専門学校への行きの電車で毎朝30分欠かさず聞いていました。ってスケールの小さい話の締めですね笑。お互い頑張りましょう!


