【インタビュー】日本発のサービスを、世界へ。監査法人×戦略コンサル×PEファンドの経験を活かして、日本の会社を支援し続けていきたい【前編】 | 会計士の履歴書
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日本発のサービスを、世界へ。監査法人×戦略コンサル×PEファンドの経験を活かして、日本の会社を支援し続けていきたい【前編】

Retty株式会社 / 土谷 祐三郎

日本発のサービスを、世界へ。監査法人×戦略コンサル×PEファンドの経験を活かして、日本の会社を支援し続けていきたい【前編】

Retty株式会社 / 土谷 祐三郎

今回、特集でご紹介するのは、Retty株式会社でCFOを務める土谷祐三郎(つちやゆうざぶろう)さんです。
監査法人、戦略コンサル、PEファンドの経験を経て、Retty株式会社のCFOを現任。
明治維新にご興味があるそうですが、土谷さんとお話していると、坂本龍馬の「何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり」という言葉が浮かんできました。強い信念と絶え間ない挑戦と努力を繰り返されたこれまでの経験についてお話を伺いました。

本特集は、【前編】【後編】に分けて掲載いたします。
前編は、今につながる幼少時代の原体験から、戦略コンサルタントという職業に出会うまでです。

Retty株式会社
「信頼できる人からお店探しができる」最大級の実名口コミグルメサービス「Retty」を運営。2011年のサービスリリース以降順調に利用者数を伸ばし、2018年には4,000万UUを突破。国内だけにとどまらず、現在は2カ国にサービスを展開。今後も積極的に海外展開していく予定。世界で当たり前に使われるサービス、そしてVision「食を通じて世界中の人々をHappyに」達成に向けて日々開発に取り組んでいる。

キャリアサマリー
2000年 公認会計士試験合格
2001年 慶應義塾大学卒業。監査法人トーマツに入社、国内監査部門所属
2008年 株式会社コーポレイトディレクション(CDI)にて戦略系コンサルティング業務を経験
2011年 ACAに入社、たこ焼きチェーンの銀だこを展開する株式会社ホットランドに出向し、同社のIPOに尽力。他数社(海外含)をハンズオン支援
2016年 Retty株式会社にCFOとして参画

1父の会社を救う“ヒーロー”になりたかった

小さな頃からコンサルティングという仕事にあこがれを持っていたそうですが、そのきっかけは何でしたか

私の父が航空会社に勤務していたことが関係しています。
航空機墜落事件などの影響で、父には仕事上、とても辛い時期がありました。小学生ながら傍から父の姿を見ていて、「父をなんとか助けたい」と考えるようになりました。
当時、ヒーローものが好きだったこともあり、「外から会社を救うヒーロー」になって父のように仕事で悩みを抱えている人たちを助けたいと思うようになりました。漠然と「外から会社を救うヒーロー」と考えていましたが、今考えてみると、コンサルティングという仕事に興味を持ったきっかけだったのではないかと思いますし、この時の強い気持ちが自分の人生に影響を及ぼしたのだと思います。

その他に幼少時代の体験で、今につながっていると思えることはありますか

海外で生活していたことです。父の仕事の都合で、小学5年生から1年半はインドのニューデリー、その後中国の北京で2年半を過ごしました。
当時のインドは、豚や猿が道を歩いていて、雨が降れば洪水になり一日停電するという日本では考えられない環境でしたね。ただ、親日国でとても日本人に優しく、そういう面では居心地はよかったです。時折、夕方に道でおじさんたちが楽しそうに話している姿を見かけましたが、それはとても印象的で、日本に帰国して満員電車に揺られているサラリーマンを見たときに、どちらが裕福なのかと考えました。当時のインドは日本に比べて経済的に裕福とは言えない環境でしたが、時間の使い方という視点でみれば、インドの方が裕福なのではと感じましたね。
インドには何十種類もの宗教があり、身に着けているものや暮らし方がそれぞれ違いました。日本人は私が通っていた学校で、小中学校合わせて60人くらい程で、色んな人がいること、自分はマイノリティであることを実感しました。
中国では外国人が暮らすマンションでしたが、様々な国籍の住人がいました。一方、当時の北京では現地の人と外国人が交流することは少なく、現地の人の記憶はそこまでありません。
このような海外生活は日本がすべてではないということを教えてくれ、世界には様々な価値観があり、多様性に富んでいるということを肌で感じられたのは、とてもいい経験でした。

2日本という国に息苦しさを感じた、思春期

中学3年で日本に戻ってきて、どんな印象でしたか

まず思ったのは「なんて狭い国なのだろう」ということです。せかせかしていて、「常識では○○だ」「日本では○○が常識だ」とよく耳にしました。多様性が尊重されている海外では、自分の尺度を押し付けられることはありませんでした。思春期だったせいもあってか、そうした日本の価値観の狭さに息苦しさを感じていました。その頃は日本があまり好きではなく、できるだけ早く海外で生活をしたいなと思っていました。
ただ、高校、大学へと進み、日本の歴史を勉強していく中で、次第に日本に対する見方が変わってきました。特に明治維新の時代、坂本龍馬を始めとした歴史を変えた人々の話を知り、とても心を引き付けられました。先人たちの努力や苦労の積み重ねにより、今の日本があり、今の自分がある。そう考えると、日本がどんどん好きになっていきました。
日本には日本の良さがあり、世界には世界の良さがある。例えば日本はボトムアップ、欧米はトップダウンといった情報の流れがある。だからこそ日本には独自の強みがある、このことに気づいたことが、日本独自の戦略系コンサルティング会社に勤めることを選択し、現在の私の目標である「日本の良さを世界に広げていきたい」「日本生まれのサービスを世界で普及させたい」という思いにつながっているといっても過言ではないです。

実際にコンサルティングを目指すようになったのはいつでしょう

大学生生の頃です。大学入学時に、エスカレーター式に大学へ進める附属校であったため、大学の受験勉強をしていない分、なにか勉強をしなければならないと感じていました。ただ、漠然とですが普通のサラリーマンにはなりたくないという思いだけでした。そんな時に、大学の生協で「会計士がコンサルタントの最高峰の資格」と謳った専門学校のパンフレットを見て、コンサルタントになるために、まずは会計士の資格をとることを目標にしました。

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