【インタビュー】リスクとリターンは表裏一体。キャリアを捨てた分だけ、新たな実りが得られる。新たな世界に飛び込もう【前編】 | 会計士の履歴書
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リスクとリターンは表裏一体。キャリアを捨てた分だけ、新たな実りが得られる。新たな世界に飛び込もう【前編】

株式会社レアジョブ / 藤田 利之

リスクとリターンは表裏一体。キャリアを捨てた分だけ、新たな実りが得られる。新たな世界に飛び込もう【前編】

株式会社レアジョブ / 藤田 利之

今回、特集でご紹介するのは、株式会社レアジョブで取締役副社長を務める藤田利之(ふじたとしゆき)さんです。
事業会社、監査法人、アドバイザリー・コンサルティング業務、CFOといった数々の経験を経て、株式会社レアジョブの副社長を現任。たくさんのチャレンジと失敗から試行錯誤し、持ち前の柔軟性を発揮して、多くの経験をされ、現在の地位を築かれました。今後は社会貢献も見据えて、さらなる高みに会社を引っ張っていこうとされている藤田さんにお話を伺いました。


本特集は、【前編】【後編】に分けて掲載いたします。
前編は、藤田さんが会計士から経営の道に進むまでのキャリアについてです。

株式会社レアジョブ
「Chances for everyone, everywhere.」 をグループビジョンに掲げ、インターネットを通じて世界中の人々が国境や言語の壁を越えて活躍できる社会の創造を目指している。現在、ビジョンの実現に向け「日本人1,000万人を英語が話せるようにする。」をサービスミッションに、マンツーマンオンライン英会話を主たる事業として展開し、日本人の英語学習を支援。

キャリアサマリー
1995年 公認会計士二次試験合格後、株式会社ソニー・クリエイティブプロダクツ経理部に入社
1996年 監査法人トーマツ静岡事務所入社し、法定監査、公開準備業務に従事
2000年 株式会社フレームワークス取締役CFO就任、東証マザーズ上場実現
2005年 KPMGのFASに入社し、M&Aや事業再生の業務を担当しながら、早稲田大学大学院ファイナンス研究科卒業
2012年 株式会社レアジョブ取締役CFO就任、東証マザーズ実現
2015年 同会社取締役副社長就任

120代の若さで、ベンチャー企業のCFOとなる

一般企業の会計士として、キャリアをスタートされていますね。

大学を卒業して2年目で公認会計士の2次試験に合格しましたが、バブル崩壊後の就職難もあって監査法人に就職できませんでした。そこで当時、東証2部上場企業だった株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントに中途で入社し、約1年間、子会社の経理部で仕事をしていました。中途入社で同期もおらず、実務の経験もなかったため、精神的にかなりきつい期間でした。当時は本当に忙しく、正直、わけもわからずとにかくこなしている、という感じが強い状況でした。その後、地元静岡の監査法人トーマツに転職して、ようやく仕事の全体像が見え、仕事が楽しくなりはじめました。
トーマツの静岡事務所は、当時、急成長の地方事務所で、クライアントもスタッフ数もどんどん増加していました。また、ちょうど転職した3年後くらいに、新しいベンチャー企業向けの市場である東証マザーズやナスダックジャパンができたことで、より成長が加速していきました。以前は、設立して十数年経過してから事業承継なども意識して上場や店頭公開を目指す会社が多かったのですが、ベンチャー向け市場ができたことで、会社の設立時から「上場を目指す」時代に変わり、監査の依頼も急激に増え、営業を兼ねた予備調査を在籍した4年間で10-15社くらいは実施した気がします。急激な仕事の増加で人手不足だったこともあり、入社して2年目くらいから、かなりの部分を任せてもらうことができ、徐々に自信がついてきました。また、ベンチャー企業の社長とお会いする機会も増え、支援の仕事を通じて、「自分でも、会社の中に入り込み、会社の仕組みや体制を作って、企業を育てることができるのではないか」と感じ始めました。
そんな中で衝撃を受けたのは、株式会社サイバーエージェントが、上場したことでした。自分よりも年齢の低い社長はあまり見たことはありませんでしたし、また、ITやインターネットの可能性を強く感じる機会にもなりました。
ビジネスはリスクとリターンがセットであり、リスクテイクできなければリターンもありません。それは個人でも同様です。ITブーム、上場ブームの波に乗り、自分もチャレンジしてみようと心を決めたタイミングで、ちょうど取引先だった株式会社フレームワークスの社長から、ぜひ一緒にIPOを目指してCFOをやってほしいと声をかけられました。当時は、監査法人からベンチャー企業のCFOで行く人は少ない時代でしたが、だからこそ面白く感じました部分もありました。そこで29歳で再び転職し、ベンチャー企業のCFOとしてIPO準備に本格的に取り組みました。

監査業務の枠を飛び出し、新たな業務に飛び込んでみて、どんな経験をしましたか?

入社時はかなり苦労をしました。管理職としての経験もなく、当初は本当に壁だらけという状況でした。取締役兼CFOとして、経理、総務、人事、管理、経営企画などすべてを見て、かつ上場準備責任者も兼ねていましたので、とにかく本を読み、やりながら覚えていきました。どうしても入社当初は、得意な領域で自分の存在を示そうと、月次決算の分析などの緻密な資料を作って貢献しようとしましたが、会議では白けた雰囲気になる時もありました。数字で課題を指摘すれば、組織は動くと勘違いしている部分がありました。人事制度も作りましたが、ベンチャー企業は事業も組織もどんどん変わる中で、本来、いろいろと制度を作り込みすぎるのはよくなく、制度を作り以上に、運用をしっかりやるべきでしたが、制度作りのほうに意識しすぎ運用を軽くみた結果、人事制度がなかなか定着しませんでした。その他にも多くの失敗もありました。当時はまわりに、こういった経験をした先輩も相談できる仲間もいなかったので、試行錯誤しながら、なんとか少しずつ社長や幹部の方々の理解を得て、前に進めていた感じです。

結果的に、フレームワークスは東証マザーズ上場を果たしています。会社を上場させるとは、どういうことなのでしょう。

会社の上場には様々な側面がありますが、私は常に上場は、株式の「市場」に参加すること、であり、需給のバランスでルールは常に変化するということを意識していました。
企業が上場すると、その株式は、「銘柄」と呼ばれ、市場における商品のようになります。その市場の中で流通する、投資してもらうために、いいタイミングで、ふさわしい品質があること、が重要であり、その一定のクオリティの基準を満たすことが、IPO準備だと思っています。
また、市場は同じような商品ばかりを並べません。その意味では、同じようなビジネスモデルの会社が多少利益を上げたからといって、必ずIPOできるとも限りません。市場の旬やトレンドとの兼ね合いの中で、将来に対して有望な業種や会社に投資が集まります。IPOを実現することは、「入学試験」のような明確な基準があるわけではなく、市場のニーズを見ながら、どう市場に参入できるかを見極めることが重要ではないかと思います。当時の会社が、いかに時代にあったサービスを提供しているか、そして、投資してもらうに相応しい会社としての管理レベルが備わっているか、ということを意識したことで様々な困難を乗り越え、上場を実現できましたように思います。
一方で、上場までのプロセスは、多くの場合、ニッチな市場でのトップ企業として成長していきますが、上場し、その後より売上成長を果たそうとするとニッチな市場だけでは戦えません。恥ずかしながら、このあたりは上場さえすれば、自ずとより広い市場が開ける、と勘違いしていましたが、それほど甘くなく、上場後、苦労することにもなりました。

2経営の道に進むようになったきっかけ

その後、ベンチャーの世界を離れ、2005年に株式会社KPMG FASに転職されましたが、きっかけはなんでしたか?

IPOを実現したあと、事業再生の分野に興味を持ったからです。当時は産業再生機構ができ、企業再生への投資や手法が確立してきているように感じました。いきなり事業再生企業のCFOをやってみたいと思ったのですが、様々な方から話を聞く中で、再生のCFOは事業廃止、売却、人員削減などシビアな面が多く、再生に関する専門的な知識や経験が必要で、かなり精神的な鍛錬も必要であると感じました。ある方に、再生をやりたいと相談すると、「再生系のコンサルを一回やって、再生の現場を一度見たほうがいい。CFOは40代でもできるけど、コンサルは体力がないとできないから30代のうちに行った方がいい」とアドバイスを受けました。
また、同時に事業再生に限らず、M&A含めた全般的な知識を得たい考えた結果、あずさ監査法人系列の株式会社KPMG FASへの転職を決意しました。当時は、自分の適性として、経営側にあるのか、専門家側にあるのか、見極めたいという思いもありました。ここで40歳までに自分を鍛え、見つめ直してから、会計士という専門家の道を歩むか、経営者の道を歩むか、改めて考えようと思いました。
当然、給料も大幅に下がりましたし、仕事は事業会社とも監査とも異なるため、一から学ぶ面も多くありました。書いたレポートをプライドがずたずたになるほど修正されたことも何度もしました。しかしそれでも、間違った選択をしたとは思いませんでした。地位や収入は、リスクテイクと能力の掛け算で、決まるもので、個人的にとっているリスクは限定的でしたし、勉強する場だと思っていました。
株式会社KPMG FASでは、通算7年くらいアドバイザリー、コンサルティング業務の両面を経験しました。一緒に働く人たちは優秀な人が多く、また、顧客が外資系投資銀行や外資系ファンドの方々が多かったことも大きな学びの機会になりました。そこで、日本的なビジネスの感覚とは違った、新たな価値観や投資のスタンスなどを学べたのはいい経験になりました。また、大きな案件にもいくつか関与させていただき、その案件がが、経済新聞のトップで報じられるようなこともあり、苦労が報われたように感じてうれしかったです。

専門家か、経営者か……。藤田さんが選んだ道は、ベンチャー企業の経営でしたが、なぜその選択をしましたか?

専門家と経営者では歩む道が全く違いますから、両立は難しいとは思っていましたので、40歳までには、どちらかの道に決めようとは考えていました。専門家としてやるなら、最後は独立するつもりでしたが、会計事務所を設立し、大きくしていくビジョンが描けませんでした。また、気が付けば、新しい会計基準や税務の基準を追いかけることに楽しさを見いだせなくなっていました。そこで、専門家として一生やるのは無理かな、と感じました。
また、自分の特性的にも、ビジョンがあるリーダーのナンバー2として、その会社を大きくすることのほうが好きである、というところに行きつき、経営の道を選択しました。ただ、正直、自分の適正として経営が向いているかどうかという点においては今でもよくわかりません。
経営なら、事業再生や少し大きな会社のCFOをやってみよう、と考え、いくつかの会社で話を聞いたのですが、当時の私に期待される役割は「リストラ屋」が多く、再生後のビジョンが描けないところばかりでした。どちらかといえば、トップラインに合わせ、人員含めコストカットで利益を出すことが期待されていました。
私は、中長期的にはビジョンを持って事業成長に貢献する仕事をすることがしたいと思っていましたので、結局、もう一度、ベンチャー企業に関わったほうが、よりやりがいを持って仕事ができるのではないか、と思い直しました。そして、今の株式会社レアジョブに偶然、出会うことになります。
(後編へ続く)

本特集の後編は、こちらから。

インタビュアー:國天 俊治

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