【インタビュー】会計士のキャリアの終着はCFOではない。CEOを目指し、大きなビジョンを持って仕事をしてほしい【前編】 | 会計士の履歴書
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会計士のキャリアの終着はCFOではない。
CEOを目指し、大きなビジョンを持って仕事をしてほしい【前編】

みらいコンサルティング株式会社 / 久保 光雄

会計士のキャリアの終着はCFOではない。
CEOを目指し、大きなビジョンを持って仕事をしてほしい【前編】

みらいコンサルティング株式会社 / 久保 光雄

今回、特集でご紹介するのは、みらいコンサルティング株式会社代表取締役を務める久保光雄(くぼみつお)さんです。
国鉄職員から会計士を目指し、合格後はグアムに赴任。帰国後は幅広い監査業務を担当される中で、コンサルティング業務に魅力を感じ、コンサルティング会社を設立、現職に至ります。今後は日本企業の再生に寄与すべく新しいビジネスの創出と後進の育成に力をいれていきたいとお考えの久保さんにお話を伺いました。

本特集は、【前編】【後編】に分けて掲載いたします。
前編は、久保さんが会計士としてのキャリアを重ねる中で、コンサルティングという仕事に魅力を感じるようになったわけを紹介します。
(今回のインタビューは有志で公認会計士の渡辺真紀さんにお手伝いいただきました。)

みらいコンサルティング株式会社
会計だけではなく、人事労務、税務、国際ビジネスなど、複数の専門家が一体となってクライアントの事業全体を支援。多様な専門家を揃え、総合的なコンサルティングを行えることが強みとなっている。

キャリアサマリー
1966年 日本国有鉄道入社。
1974年 公認会計士第二次試験合格後、株式会社海外投資コンサルティング(旧(監)辻監査事務所)入社。グアム駐在を経て、辻監査事務所(3回の合併を経て中央青山監査法人)に帰任。
1987年 株式会社ビジネスアドバイザー設立(その後の中央青山PwCコンサルティング株式会社)。
2007年 みらいコンサルティング株式会社設立、代表取締役就任。

1会計士になってすぐに、海外へ赴任

JRの前身である国鉄(日本国有鉄道)に就職し、その後会計士を目指すというユニークなキャリアですが、会計士になったきっかけは?

私が就職した当時の国鉄は、過剰な組合運動が行われ、現場がだいぶ荒廃していました。当時の職員数は47万人ですが、現在はJR全社でも10万人であり、余剰人員がたくさんいました。会社とはいえ、年功序列の厳格な身分制度があり、内情は「お役所」そのものでした。
私は資材の購入を担当していたのですが、すべてを独自の「国鉄規格」で仕入れるせいで、コストがかさんでいました。その不合理性に疑問を感じ、上司のつてから一橋大学の研究室で鉄道資材についての研究をしていました。その時の教授に「合理化を考えるなら会計士の勉強をしてみるといい」と勧められたのが、人生のターニングポイントとなりました。
国鉄に所属しながら勉強を重ね、会計士の二次試験に合格しました。その知識をもって資材の合理化を進めようとすると、社内からやっかいもの扱いされました。誰も合理化を望んでいなかったのです。
荒廃した現場、お役所仕事、不合理性、やっかいもの扱い……。こうした事情が重なって、私は国鉄での仕事に対する熱意を失っていきました。
そこで、国鉄を辞めて会計士になるという選択をすることにしました。
ちなみにこの時に、私と一緒に国鉄を辞めて会計士になった方がいます。税理士法人山田&パートナーズ名誉会長の山田淳一郎さんです。山田さんとは、6年間の独身寮生活を同じ寮で過ごし、まさに同じ釜の飯を食った仲です。

1974年から会計士として本格的に始動されたわけですが、キャリア初年度から海外に赴任されました。グアムに行かれたのはなぜですか?

私が入社した監査法人辻監査事務所は、当時は小さな事務所で、監査だけではなく決算業務などなんでもやっている会社でした。そこに入ると、たまたま「11月の末にグアムへの海外派遣があるが、行く人間が決まっていない」という話がありました。
私は国内よりも海外で仕事をしてみたかったので、二次試験合格したばかりでしたが、それに志願し、グアム駐在員として出向することになりました。
事務所はグアムの中心地区であるアガニアにありました。今でこそ繁華街としてにぎわい、日本人が数多く訪れていますが、私が赴任した当初は、ビジネス街に日本人は一人もいませんでした。現地スタッフとして、フィリピンと韓国の方を雇っていましたが、社員は私だけでした。言葉はもちろん英語で、日本語は通じませんでした。事務所も小さなアパートの一室で、ほぼ何もない状態からのスタートでした。

当時はどのような業務を担当していたのですか?

現地では、アメリカのローカル会計事務所をパートナーとし、日系企業に会計、監査、税務サービスなどを提供していました。観光業、ホテル業、建設業が、主な取引先でした。ただ、会社の看板こそあれど、実際には営業からスタッフへの給料の支払いまで全部自分でやっていたので、会社を経営しているようなものでした。
本当に零細企業だったので、大手がやっているような仕事はできません。最初のうちの仕事は、3社の記帳代行業務しかありませんでした。
仕事を広げるため、便利屋のようなこともやりました。「仕事をやる」と言われれば、通訳、観光ガイドなど、本業とは関係ないことでも何でもやりました。そうしてお客様のために動き、次第に信頼を集めていきました。
結果的に1年で100社ほどと取引できるようになり、事務所も次第に大きくなっていきました。

海外だからこその仕事の難しさはありましたか?

取引相手は基本的に日系企業なので、業務内容や仕事の習慣が大きく違うというようなことはありませんでした。
ただ、グアムでマイノリティになる経験をしたことで、日本人が世界でどうとらえられているかわかりましたし、精神がずいぶん鍛えられたと感じます。
日本人は海外に出るとどうしてもかたまりがちで、日本人社会の中で、互いを頼り合って生活しているように思います。アジアでは「上から目線」になりがちで、現地に溶け込めないし、その気もない。それでは国際ビジネスにおいても孤立し、生き残ってはいけません。現に、海外進出をしたものの苦しんでいる日本企業は多く、私が代表を務めるみらいコンサルティング株式会社では、そうした企業に対する支援も行っています。
若い人には特に、日本人がまったくいないような場所に行き、マイノリティの体験をして、世界の現実を知ってほしいですね。

2監査を通じて知った、コンサルティングの魅力

2年半グアムで働き、帰国後はどんな業務をされたのですか?

まずやったのは、会計士の三次試験(終了考査)の勉強と監査実務をしっかり学びました。仕事としては、主に学校法人監査業務や経理支援事務に従事していました。北海道から沖縄まで、全国の学校とお付き合いしていましたが、主に決算要員でしたね。
1978年に試験に合格し、公認会計士となってから、新たに上場準備会社の支援を手掛けるようになりました。この頃は、監査法人間での顧客獲得競争が激化しており、私は上場を考えている新規顧客の獲得活動も行っていました。

バブル前夜で、景気がどんどんよくなっていった時期ですね。

はい。上場準備をする会社の数も右肩上がりでした。大手の監査法人は、大企業の子会社など安定した上場案件を狙っており、小さな監査法人がそこに食い込むのはとても難しい状況でした。そこで私は、スタートアップの企業に注目し、そこを中心に営業をかけることにしました。主にベンチャーキャピタルや証券会社などを狙いましたが、競合が少なかったこともあり、順調に顧客を増やせました。当時は誰もやっていなかった、「労務コンプライアンス調査」を証券会社に提案するなどして、独壇場を築けました。
スタートアップの企業には、面白いところがたくさんありました。将来性のある企業を上場まで持っていくのはとてもやりがいがあり、仕事が楽しかったです。この時の経験から、大企業よりも中小企業の支援を行うことに喜びを感じるようになり、「中堅・中小企業を支援する」という現在の会社の方向性につながっています。

当時の業務のどのようなところに魅力を感じましたか?

顧客の問題を発見し、「どうすればいいのか」を具体的に指導することです。監査というのは、会計結果の評論であり、数字の指摘だけなら評論家止まりです。しかし、顧客の問題を解決できれば、経営実務家となり、活躍の幅がぐっと広がります。監査人は、多くのクライアントを監査する中で、解決のヒントを見つけることもあります。困っているクライアントのために、自分の発見を役立てたいと思うのは、自然な心理です。私もまた、課題解決のための提案をどんどん行っていました。ただ、社内ではそれを逸脱行為ととらえるむきもあり、「余計なことはするな」と言われ続けました。
監査をやって学べることはたくさんあります。監査を通じ、優良企業のすばらしい事例にじかに接することができます。新たなクライアントごとに、業界、業種、企業の研究ができ、成功と失敗を分ける要因も見えてきます。監査結果という現象として表れた問題の原因を考えていくと、クライアントの組織内に隠れた問題や、社内力学、社長と幹部の関係などにも注目できるようになります。
思えばこの頃から、コンサルティングという仕事に惹かれ、自由な立場でコンサルティングに全力投球したいという気持ちがありました。

その思いが、コンサルティングに特化した子会社の設立へとつながっていくわけですね。

はい。1987年に、株式会社ビジネスアドバイザーという会社を設立し、代表に就任しました。監査法人辻監査事務所の100%子会社でしたが、そこで大手を振ってコンサルティングを行えるようになりました。
クライアントは、短期的な数字よりも、他社動向や組織改革、人事戦略などに対する関心が高く、「未来につながる会計」を望んでいるもの。経営者の問題意識を読み取り、顕在化した問題だけではなく、潜在課題についても触れ、客観的意見を述べるよう意識しながら仕事をしていました。そこは今でも変わりません。
その後、監査法人辻監査事務所は数回の合併を経て中央青山監査法人に衣替えしました。そこでは、監査部の他に、事業開発本部にも所属し、新規事業の開発も手掛けました。企業再生、HR業務、労務コンプライアンス、国際業務支援、新規事業支援……顧客のニーズに合わせて、さまざまな分野の仕事を手掛けました。
(後編へ続く)

本特集の後編は、こちらから。

インタビュアー:渡辺 真紀