会計士になってわずか10年で、海外進出・経営者・CFOというすべての目標を達成できた理由は?
株式会社マイクロアド(MicroAd,Inc.) / 太田 悠介
会計士になってわずか10年で、海外進出・経営者・CFOというすべての目標を達成できた理由は?
株式会社マイクロアド(MicroAd,Inc.) / 太田 悠介
今回の特集は、株式会社マイクロアドのCFOである太田悠介(おおた ゆうすけ)さんです。監査法人トーマツの金融部門で監査経験を積んだあと、単身アジアに渡りSCS Global Consulting 中華圏統括に就任し、中国拠点の開拓発展に貢献しました。昨年帰国し、現在は株式会社マイクロアドの取締役CFOを務めています。
海外で活躍するために必要なもの、経営者とCFOの双方を経験して感じた違い、キャリアの選び方など、太田さんの成功の秘訣をうかがいます。
株式会社マイクロアド(MicroAd,Inc.)
事業内容は、データプラットフォーム事業、アドプラットフォーム事業など。データを軸とした企業のマーケティングプラットフォーム構築サービス「UNIVERSE」を提供。2007年7月に株式会社マイクロアドを設立(株式会社サイバー100%出資で設立。2016年にソフトバンク株式会社等と資本業務提携)。東京都渋谷区に本社。国内拠点5か所(虎ノ門オフィス、大阪支社、福岡支社、名古屋支社、京都研究所)。国内関連会社6社。海外拠点多数。
キャリアサマリー
1983年、山梨県甲府市生まれ。横浜国立大学工学部を卒業。
2007年11月、監査法人トーマツ東京事務所金融部門に入所。銀行など金融機関を中心に監査を経験。
2011年8月からSCS Global Consulting 中華圏統括に就任。さまざまな業種の日系企業の中国進出に関するコンサルティング業務を手掛ける。
2017年1月に帰国し、株式会社マイクロアド(MicroAd,Inc.)取締役CFOに就任。
リーマンショックでアジアバブルを予見
太田さんは監査法人を退職して中国に行き、SCS Global Consulting中華圏の経営者になったとお聞きしています。海外に行こうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
トーマツの金融グループで、金融機関の審査業務や審査を通して間接的に多くの会社を見ていたところに、リーマンショックが起きました。金融業界が大混乱になりアメリカを含めた先進国が総崩れになりました。
ところが金融機関のアジアに対する貸出はそれなりに存在しており、かつ中国を始めとするアジア各国のポジションの取り方に魅力を感じました。「アジアバブルが来る」と直感し、どうしても現地に行って肌で感じたくなりました。
トーマツなら海外駐在や出向という選択肢もあったのではないですか?
海外に行くなら選抜メンバーで研修18カ月、または駐在したいならマネージャー層になってからというのが当時の海外駐在の基準だったので諦めました。あと5年も待てないのでやめますと言って退職しました。
3次試験が終わったばかりで合格発表がまだ出ていなかったのですが、今後のことを考えながら半年ぐらいプー太郎をしていました。
アジアに行くという気持ちに迷いはなかったのですか?
初めにアジアがいいと思ったときから住もうと決めていました。実際に住んでどういうところなのか研究しないと、何を言っても信用してもらえないと思ったので。
アジアには1番近い中国から入り、1カ月住んでビザを取りました。そのあと上海で1カ月、深圳で1カ月、香港で1カ月、タイで2週間ぐらい、語学を勉強しながら市場調査をしたり現地の社長さんとアポをとって会ったりしていました。
そのときに前職のSCS社長と知り合いました。「こんなことがやりたいです。やるなら自分の城を持って自分でマネジメントをしたいです」と話すと、「いいね。うちに来なよ」と誘ってもらい、SCSに参画することになりました。
東南アジアに行く人は多いですが、いきなり中国に行く人は少ないですよね。
会計士や弁護士など士業の人は英語に興味があって勉強しているので、海外に行くなら英語が通じる国を選びます。一方、当時の中国のエグゼクティブはお金の話は絶対に中国語で話すので、中国語ができないと何もできません。それでハードルが高く見えるのだと思います。
それに日本人と中国人は、見た目は似ているけど中身は外国人なのでギャップがあります。それで合わないというのもあるのかもしれません。
中国人への感謝の気持ち
東南アジア各国をまわった中で、中国を拠点に選んだのはなぜですか?
中国が4兆元規模の予算を組んで景気を回復しようとしていたので、今度こそ中国が爆発するという感覚がありました。アジアならどこでも好きなところを選んでいいと言われたので、SCSの中国拠点がなかったこともあり、では中国かなと。
それに中国は僕にとってフラットな国で、どうして皆こんなに中国を嫌うのだろうと不思議でした。運が良かったのかもしれませんが、実際に会う中国人がみんないい人でばかりでした。
日本人の経営者に対して中国人スタッフの反応はどうでしたか?
当時は自分だったら絶対この設立したばかりの会社に入ろうと思わなかったので、どうしてこの会社に入ったのか社員に入社後に聞きました(笑)。変な外国人が1人で来て、何もやったことがないのに会社を作るから一緒にやろうよって言われて、しかも給料は1か月4万円ぐらいで当時の平均よりも少し安かったので、スタッフになってくれた人にはよく来てくれたという感じでした。最初入ったスタッフはマネージャーになり、お給料は30万円以上で、さらにインセンティブで12か月分とかになっていると思います。
海外で働くメリットとデメリット
海外で働くメリットとデメリットは何だと思いますか?
海外で働くのはいいと思います。もし変わりたいなら、環境を変えるか付き合う人を変えるかになりますけど、海外に行けばすべてが変わります。給料は下がってもいいから転職して環境を変えようと思っている人がいたら海外に行けば、そんなレベルではないぐらい変わるので、特に若い人は一気に環境を変えたい人は非常にいいと思います。
僕の場合、中国語も良く分からないし、特にSCSの当時の給料は激安だったので、仕事に対する姿勢も変わりました。
激安ですか?
当時は、基本は安いのですが上限がなかったので、儲かったら儲かった分だけもらえました。この状況で心のドライブかかる人なら、チャレンジしたいと思った気持ちは本物だったのだと思います。
もし失敗して自分はこういうタイプじゃなかったんだと思っても、日本に帰ってきてどこか大手の連結グループの経理で働けばいいと思っていました。20代後半で1、2年海外で働いて30歳くらいで戻ってきた場合、会計士というセーフティーネットもある中で、採用しない企業の方が少ないと思います。海外で起業したいなら30歳過ぎてから行ってもいいと思いますし。
海外で働くことは気持ちの再確認を簡単に確認できる方法なので、ずっともやもやしているくらいなら、1回やってだめでも別にマイナスではないと思います。
海外で働くデメリットはありますか?
あまり考えていたら動けないので考えたことがありません。あるのかもしれないけどそれを上回るメリットがあるから、デメリットはあまりないですね。
曖昧さとの付き合い方
中国で実質的に経営者になったわけですが、経営はいきなりできるものですか?
初めは“なんちゃって”経営者で、できる人の真似をするという感じです。といってもコンサル業は在庫を持つわけでもなくて出ていくお金が決まっていますし、いつでもサービスが提供できるので、経営はそんな難しいものではありません。お金の管理さえできたら大丈夫だと思います。
海外で経営するのは大変そうですけど、あまり苦労していないのですか?
苦労というよりとにかく楽しかったです。大変さを上回るだけのワクワクがあってドーパミンが出まくっていたので、何とも思いませんでした。会社設立の書類を自分で作って提出するのも、こうやって会社はできるんだと思いながら、全部を楽しんでいました。若かったからだと思います。
海外ならではのエピソードはありますか?
今でも曖昧な部分は結構残っていると思いますが、当時のアジアは本当に全部が曖昧で、その曖昧さにどれだけ対応できるかというのがありました。はじめはイライラしたけど徐々に慣れて、クライアントとそういう温度感で対応ができるようになったのは、むしろプラスでした。以前は相手に求める水準が高かったけど、期待値みたいなものを下げることができるようになりました。
アジアならではの曖昧さというのは、具体的にどのようなことですか?
例えば会社を設立するとき、当局から1から10の書類を揃えてサインして2部持ってきてくださいと言われて持っていくと、別の担当者が「それではだめ。これが足りない」と言い出し、説明しても「前の担当者の言ったことは知らない。聞いていない」という具合です。
クライアントの日系企業が中国企業を買収するとき、当局の承認を得ていないと法的効力がないのでプレスリリースが出せません。当初のスケジュールから遅れてお客さんは怒っているけど、当局が承認をおろさないのでどうにもならない。そういう温度感というか曖昧なところは、想定の範囲内という感じではありました。
人によって対応が違うというのは、実際に経験してみないと分からないことですよね。
今は3カ月ぐらいですが、当時は会社を設立してビジネスが稼働できる状態になるまで4カ月くらいかかるのが一般的でした。中国には当局が7か所ぐらいあるけど1か所目が終わらないと次に進めませんし、1つ提出してから7営業日くらい待つので手続きに時間がかかるのです。
駐在しているコンサルタントは自分ではやったことがなくて教科書的に覚えたことを言っているだけで、中国の慣習をきちんと話せる人は当時はいませんでした。僕は自分で会社を作りビザもとって税務申告もやっているので、その経験を踏まえながら1人で全部対応できるので偶然バリューが出たという感じで、結構重宝されました。
日本に戻った理由
昨年日本に戻られましたが、何かきっかけはありましたか?
海外への進出支援、経営、会社買収など、SCSでやりたかったことは大体やったというのが大きかったです。場所を変えてまた同じようなことを繰り返すのはつまらないし、日系企業や外国人が中国で何かやるといっても面白みが薄れてきていて、中国自体が存在感を増していく中で、この組織を現状の枠組みの中でさらに大きくするには自分は適任ではないと思いました。
それでSCSをやめて日本で海外顧問をやろうと思い帰ってきました。
中国の税制や法律を実際に経験している人は日本国内では少なそうですし、希少な人材ですね。
本を読んでも政府が出した基準がただ載っているだけですし、基準通りに運用されているかというとそうではないので、実務に対応するために、当時は社内にいた中国税理士に聞いたり実際の温度感を自分で調べたりしながら経験を積んでいきました。
本に書いてあることが全部正しかったら本の通りにやればいいだけなのですが、そうではないから外部に頼むわけで、情報の価値がビジネスの狙い目になるわけです。
海外進出のコンサルティングも相談が多いのではないですか?
そうですね。海外進出に関する相談、海外にたくさん進出したけど今後上場するためにどうしたらいいのだろうかという相談、リスク管理の相談もありました。
そういう会社で上場する会社があれば一緒にやってみたいと思っていたら、マイクロアドから「上場するから来てほしい」と声をかけてもらい、業務委託から関与をはじめました。マイクロアドは上海にいたときのクライアントで、上海、シンガポール、インドネシア、ベトナム、フィリピン、タイなどに2011年ぐらいから展開していて、SCSが関与して現地法人を作りました。僕は中華圏の子会社の顧問を受けていて、それが知り合ったきっかけです。
ヘッドハンティングみたいな感じだったのですか?
どちらかというと役員とは友達みたいな関係でした。顧問やコンサルをやっているとクライアントの意思決定をしている人との関係が近くなるので、その中で一緒にやろうよと誘われた感じです。
一緒に意思決定するメンバーと考えがズレているとやりにくいのですが、それまでの付き合いで意思決定の方向性が事前に分かっていたのは大きかったです。
マイクロアドのCFOの職務
Q:マイクロアドでの仕事内容について教えてください。
現在の仕事はCFO業務なのでバックオフィス全般管理と経営をやっています。経営者のうち営業系はビジネスを作り形にしていき、CFOはそれ以外のすべてを担当するというイメージです。具体的には、上場に向けた体制づくり、監査法人対応、各銀行とのコミュニケーション、IPO資料作成、バックオフィス系の管理、投資管理、海外展開や収益管理も自分が担当しています。
会社やCFO業務に対して何か課題はありましたか?
この会社に入って見えた課題の一つが、組織の規模に応じた効率的な体制作りでした。従業員数が200人を超えていたにもかかわらず、少人数の頃と同じシステムを使い続けていたので、非効率な作業が多く行われていたのです。そこで業務の棚卸しをして、業務整理と同時にシステムも変更し管理の仕組を整えました。当たり前の整理整頓を実施していくイメージかと思います。
また、CFOの仕事をしていると、会社の業務詳細を見ようと思えばいくらでも見ることができますが、自分が専門家ではない部分が大量にあるなかで、どこまで専門外の知識を知るかアップデートしていくべきか常に意識しています。また200人、300人と組織として大きくなっていくなかで、組織規模に合わせた社内機能やシステムを意識しながらやっていく必要があると感じています。
会計事務所経営者からIPO準備企業のCFOへ
経営者からCFOへと立場が変わりましたが、どちらが自分に向いているとかありますか?
参謀のほうが向いているので、CFOですね。もともと表に立って有名になるのが好きではなくて、雑誌のインタビューや取材を受けたいと思わないし、よくわからない人から顔を知られるのも楽しいと思いません。そのかわり日本の4,000社の上場企業のCFOのような、認められたいと自分が思う集団の中で有名になるのは良いと思います。
監査法人やSCSでのマネジメント経験は現職にどう活かされていますか?
監査法人での監査経験、SCSでの海外でのマネジメント経験は、現職のCFO業務に生かされています。SCSのときの海外の経験やマネジメントの経験は非常に役立っています。
また監査経験は上場に際して非常に役に立ちましたし、監査法人の体系だった考え方や会社のリスク分析というのは有益で、今もありがたく思っています。