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田邊公認会計士事務所

代表

田邊 るみ子 たなべ るみこ

実務経験、分析能力、当事者意識を強みに経理財務人材の底上げを目指す
冒険家タイプ
冒険家タイプ

1969年12月5日生まれ(55歳)
愛知県出身 ・ 東京都在住
一橋大学 商学部/早稲田大学大学院 経営管理研究科 卒業

冒険家タイプの特徴
  • 内向的
  • 臨機応変型
  • 大局タイプ
  • 個人主義
  • 伝統型
  • 外向的
  • 計画管理型
  • こだわりタイプ
  • 集団主義
  • 革新型
  • 30
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  • このタイプの割合
    回答者全体の
  • 4.3%

自分の意見を持っていて行動的。
仕事に対して積極性を持って取り組むと同時に、チャレンジングなことを好む傾向にある。
また想像力が豊かで新しいことに対して好奇心盛んなため、既存のルールに固執せず様々な意見や考えに耳を傾けることができる。
あまり計画立てて行動するタイプでなく、注意力が散漫になりがちで、気分に仕事ぶりが左右されることも。
社交的で共感能力も高いため、周囲と協調することができる。

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1キャリアサマリー

キャリアは大きく3つ (1)監査法人11年、(2)事業会社財務責任者等17.5年、(3)独立5年に分けられる。

(1)1991年~2002年 監査法人(現 有限責任あずさ監査法人)時代
邦銀・外銀、信用金庫、リース会社等の金融や製造を中心に会計監査。
子育て中に、間接部門へ。教育研修部で社内外の研修を幅広く企画実行、業務管理部でQ&Aを担当、KPMG統合準備で事務所全員の「利害関係」を調査後に退職。

(2)2003年~2020年 事業法人執行側時代
①2003年-2006年 外資系損保日本法人(AIG)財務責任者
コントローラー兼経理財務部長の後任として入社。1票もってボードの意思決定に参加。四半期毎に予算・見込を策定、CFOとしてReport to CEO & Regional CFO。USSOX、決算早期化、譲受事業のPMI等、多くのPJに関与。

②2006年 ファーストリテイリング(以下、FR)グループ経理財務部 連結チームリーダー
連結チームと連結決算体制をゼロから立上げ。子会社2社の支援と連結全般を担当。連単ERP導入PJに関与。

③2007年~2018年HOYA本社財務部、連結リーダー⇒財務部ゼネラルマネジャー
連結グループリーダー。入社直後から合併統合準備委員会とIFRSプロジェクトに関与。
入社1年後にアシスタントゼネラルマネジャー。2010年にIFRSを導入し、経営財務に「IFRSを導入したわが社の取り組み(HOYA)」を連載。
その後、財務部Accountingゼネラルマネジャー、経営基盤強化プロジェクトリーダー。決算発表時の見込作成とコーポレートとしての経営基盤強化PJに5年関与。

④2018年~2020年 HOYAビジョンケカンパニー グローバル本部 ファイナンス シニアマネジャー
海外子会社CFOの相談に乗りつつ、国内子会社監査役、内部監査を兼務。夜は大学院へ。

(3) 2020年~現在 独立時代
2020年 3月 大学院卒業
2020年 6月 ㈱Fast Fitness Japan取締役 監査等委員長
2020年 7月 田邊公認会計士事務所 代表(現任)
 内部統制・内部監査の強化支援、CFO/経理財務部長の相談
コーポレートファイナンス・財務分析を中心に研修講師
2020年 8月 クレジットエンジン・グループ(フィンテック・ベンチャー;子会社を含む)の社外常勤監査役等
2020年 9月 テクノプロ・ホールディングス㈱ 監査役
2022年 9月 テクノプロ・ホールディングス㈱ 取締役 監査等委員(現任)
2023年 5月 イオンモール㈱監査役(現任)、㈱TSIホールディングス監査役(現任) 

 人生100年時代の折返し地点の2020年春、公私において4つの卒業を迎えた。①娘が大学を卒業、就職、➁子育ても卒業、③私自身も夜間大学院を卒業、MBAを取得。④13年半務めた事業会社も、大学院のプロジェクト研究を通じて、これまでの知識・経験を総括し卒業、独立した。

 独立するまでに、監査法人11年強、事業会社執行側17年半。事業会社が監査法人よりはるかに長い。監査法人を卒業して20年以上、もはやピカピカの専門家ではないけれど、経営数値を使いながら何か行動を起こすことにずっと関わってきた。事業会社スタートは外資系での財務責任者。ボードに決算を説明し、見込や予算の承認を得、事業買収資金を調達、PMIのために買収先に通った。「コントローラー」=会社の内部統制全体に責任を負う立場で、USSOX導入も担当。
日系2社ではゼロから連結決算体制を構築。ERP/IFRS/JSOXを終えた後は、経営基盤強化等のプロジェクト。その間、M&A/PMIに関わった数は片手以上。戦略・予算管理に関連して、「事業ドメイン」、「組織・実行体制」、「どのようなKPIが適切か」、「コーポレートの在り方」を考えるのがライフワークになっている。大学院でも戦略を専攻。CEO、region CFOやGroup CFO, 事業部CFOと日常的に会話し実践してきたことが、社外役員の仕事にも生きている。
 監査法人から事業会社に転じた時、「監査法人時代の私は何も知らなかった。会計監査の立場から会社を見てきたが、事業会社側にいないと気づけないことが多い」。コーポレートから事業カンパニーに転じた時、「全体が見えるコーポレートにいたのに、事業を全然理解できていなかった」。その立場になってみないと分からないことばかり。

 これまでのキャリアは、子育てと仕事の両立に悩み、苦しんだ結果。女性には複数の役回りがある。役回りのステージのどこかで何かが行き詰まることがある。現場から間接部門に、外資系役員から日系リーダーに、ビジネススクールの講師から生徒に、経理財務から戦略・組織・KPIばかり考える日々へ。肩書を下げて経験した数々。結果、「運」と「縁」に恵まれて今がある。
 4つの卒業を振り返ると、順風満帆というより苦しいことの連続だったが、無駄な経験は一切ない。執行でボードに説明する側/される側、コーポレート/事業の立場、買収する側・スピンオフ側、監査する側/される側、連結する側/される側、IFRS導入、SOX構築(米国・日本)、内部監査、監査役等で常勤/非常勤、株主提案。全て血となり肉となっている。

2監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ

 実務や相手の立場を理解せずに意見するのが苦手である。総論ばかりで、「では、どうするのか?」の問いに解が示せないことをもどかしく思うタイプである。自分で経験してみるのが一番、と何度もキャリア選択している。

①子育てでキャリア出遅れ、その後、「変化の先へ」

 監査法人時代の6年間は銀行・信用金庫等金融、メーカー、不動産を中心に監査していた。
 1996年に出産したとき、周囲にワーキングマザーが一人もいなかった。出張や残業ができず、「マミートラック」。法人内で研修講師をした縁で、研修部に誘われ異動。多くの研修を自分で企画し、講師をした。実務補修所や税務研究会でも講師を引き受けた。テーマは、外国為替、原価計算、サンプリング等様々。そうして監査現場を離れている間に、会計基準が大きく変わった。品質管理の部門に異動し、数年後に監査現場に戻る道を探ったが、監査部門も再編され、戻る場所がない。その間にアンダーセンの崩壊。KPMGとの統合手続の一環で全職員の利害関係調査を終えた時、転職を決めた。
 会計基準に乗り遅れた自分が、追いつくために考えたことは、「変化の先を行くこと」=日本より会計基準が先行する米国の会社で実務をこなすこと。外資2社から内定をもらい、よりチャレンジングな方に転職することとした。内定を辞退したG社の面談の一言が胸に刺さる。「ビジネスセンスが重要」。

➁事業会社でも子育てとキャリアの間でもがく

・NY上場会社の日本法人のCFO兼Controller
 娘が保育園卒園間近の2003年1月、事業会社の財務責任者に転じた。当初は何をやっても「彼女は同じ船に乗っていない(いつでも転職できる)」。「女性活躍」「働き方改革」という言葉がまだない時代。30代前半の若い女性会計士が責任者として組織に馴染むのは容易ではなく、誠意と熱意で少しずつ理解者を増やしていった。
 ボードメンバーは日本人だから、ボードで決算や予算・見込を説明するのは容易だったが、予算・四半期見込の提出先はRegion。英語で報告するのに苦労した。事業譲受資金220億円は保険業法の関係で債券調達する必要があった。Region CFO等がNY本社との資金調達のTV会議で援護してくれた。情けないけど、助かった。Controllerは会社全体の内部統制に責任を負う。リスク管理委員長も務め、攻めでも守りでも、会社経営に参加でき、本当に有意義だった。娘が小2の時にPMI。昼間は錦糸町からみなとみらいに毎日通った。夜、錦糸町に戻って見込をRegionに提出するなど、終電の駅に向かって毎晩走っていた。兎に角忙しかったが、買収先のOperationを引き継ぐためには背に腹は代えられなかった。
 PMIが落ち着いた2005年頃。保険毎日新聞に保険会計の「IFRS」影響が連載されていた。子会社の会計は親会社の指示で動く。AIGでの会社番号177、それだけ子会社が多いのだ。3年強の間、子会社の立場から親会社が何をやっているのか、ずっと見てきた。「会計と商法が変わる。子会社じゃなく親会社で、自分が全子会社に指示を出したい。その時は、保険ではなく、普通の業種で親会社として指示を出してみたい」。

・日系連結チームのリーダー、わずか10か月で転進
 ファーストリテイリング(以下、FR)は海外にユニクロを展開し始め、数社の子会社を抱えていた。FRに連結チームを立ち上げるからリーダーが必要だという。連結パッケージを作り直し、連結・単体にERP導入を経験した。エクセルでの連結作業だったこともあり、単体と連結の会計システムの連動がよくわかった。システムベンダーとのやりとりは本当に勉強になった。AP/ARの機能等、外資時代の業務も役立ち、組織や業務の時間軸・空間軸で立体的に見えるようになった。チームメンバーに恵まれ仕事は楽しかったが、娘は10歳。祝日出勤はいつも後ろ髪を引かれた。外資時代も土日祝日に仕事をしていたが、家族の時間を調整しながらの在宅仕事。祝日に普通に出勤するのとは苦痛さが違った。転職エージェントからHOYAを紹介される。連結グループを新たに立ち上げる、そのリーダーを探している、と。
 開示情報を比較すると、当時のFRとHOYAで売上が4,000億円程度で同規模、営業利益までは同水準なのに、残る最終利益が全く異なる。FRは子会社20社の連結に45日かかるのにHOYAは2週間で68社を連結して発表している、利益率と実効税率に大きな差がある。…これは凄い。この興味から、10か月でFRに転進する。
 FRで退職前の最後の引継ぎをしている中、HOYAが経営統合を発表する。転進先で待っているのは大規模な統合と激務…。採用面談ではそんな話は出たことがない(会社からすれば言えるはずもない)…。外資に続き、またPMI…これも運命、と直進する。

・立ち上げたばかりのHOYA連結グループのリーダーに。4つミッション、我武者羅に働く。
 激務は覚悟しての入社だったが、予想以上だった。ミッションは経営統合、IFRS導入、JSOX、連結決算体制の構築、の4つ。
 名刺もできあがらないうちに統合準備委員会に参加。連結決算体制を整えながら、日本でまだほとんど前例のないIFRSの導入と、同時並行のJSOX。入社して半年も働いていないときに10年分働いたような濃厚な年月だった。
 外資時代のPMIとFR時代のERP導入は既に経験済みで、やるべきことはわかっていた。入社直後から戸惑いなくトップギアで走った。また、外資時代の帳簿はUS、JGAAP, Taxと3種類の帳簿があり、IFRS導入もこう進めれば並行してできるだろう、というイメージも持っていたから並行してIFRS導入を進めた。
 当時、日本ではIFRSでの連結財務諸表は有価証券報告書でも認められていない時代。てっきり、実務対応報告第18号に添って海外子会社だけの対応かと思って入社したのだが、誰も受け取らない決算書でも、日本も含めてIFRSで決算し、グローバルにIFRSに統一して決算する、という。統合があっても、JSOXがあっても。昼間は統合準備の打合せと連結決算で時間がとれない。早朝と夕方以降、土日祝日がIFRSに充てられる時間だった。IFRS以上に統合と連結決算体制整備が大変だった。68社だった子会社の数は入社後9か月で100社を超える。統合の激務から連結メンバーが戦線離脱し、採用活動の日々。監査法人の変更。1年くらい経過し、採用と監査が落ち着いてきたころ、日本でIFRS任意適用の話が出始め、着手の早かったHOYAは日本で2番目に早くIFRSを導入した会社となった。
 IFRSで統一して、グループの実績を同じ物差しで、という当時のCFOのビジョンや先見の明に感服する。偶然にも、外資の経理財務責任者から日系の連結リーダーになったとき、自分自身も「日系親会社で指示を出したい」という想いがあった。だからこそ、統合と連結決算体制整備が大変な中、金融庁も東証も受け取らないIFRS決算書をここまで進めてこれたのだと思う。

・私のキャリアに最も影響を与えたカリスマCFOとの出会い
 社外役員で経営経験を問われるようになった。経営経験値という意味では外資で財務担当ボードメンバーを続けていた方が良かっただろうと思う。だが、外資に居続けていたらカリスマCFOには出会えなかった。先進的な経営で有名な会社に転職し、「MBAでも会計士でもない、独学で、こんな凄いCFOがいるのか」と思った。伊藤邦雄教授も「真のCFO」と絶賛した。そのCFOの直下で7年間仕えたとき、自分はそのスケールには全然及ばず、外資時代の私は未熟だった、と気づくことができた。素晴らしいCFOに長年鍛えられ、それが財産だと思っている。

・子育てと介護
 読者は「子育て」はどうしたのか、と疑問に思うかもしれない。マミートラックから始まった私だが、一般事業会社で財務責任者になってから、仕事は男性以上。子育ては良く言えば「放任主義」。娘の保育園時代は義母と同居、小中学生時代は味噌汁の冷めない距離で、平日夕飯は義母にお世話になった。娘が小学性時代にM&A、PMIが何社かあった。毎日終電だったから、父親が早朝出勤・夕方帰宅で、中学受験のメンターも父親だった。
 IFRS導入を終えた2011年頃、義母が認知症と分かる。今度は自分が夕食を作り、毎朝、義母の家まで運び、様子を伺ってから会社に出勤する。娘が義母と夕食、夜は夫が寝泊まりし、翌朝、自宅に帰ってくる。要介護認定が進み、介護施設に入るまで、そのような生活が続いた。これが最大の子育てだったと思う。

・IFRS導入をきっかけに講演やビジネススクールの講師をし、再び「学生」に目覚める
 IFRS導入後、問い合わせや講演依頼が殺到する。全部に対応できないため、代わりに週刊経営財務に「IFRSを導入したわが社の取り組み(HOYA)」連載の形で、何にどう対応したのか、を匿名で掲載した。依頼は基本お断り、知合いの依頼のみ引き受けていた。その中にビジネススクールのゲスト講師があった。平日夜間と土曜日に勉強している学生の年齢層の多様さに驚く。ちょうどこの頃、娘と一緒にオープンカレッジで「消費者行動論」の公開授業を受けた。「もう一度大学で勉強し直したい。」

・経営基盤強化PJをきっかけに、ビジネススクールで戦略を学ぶ
 IFRS導入後、経営基盤強化のプロジェクトを担当、10個以上ある事業部のKPIや予実分析を一望できる仕組みを構築する業務だった。KPIや予実管理の仕組みは事業部毎に異なり、1事業部ずつ把握するだけで時間がかかる。その間に次々とM&A案件が来る。システムの入替えを想定した大がかりなPJとの両立が難しかった。
事業部の管理指標は事業戦略と関連する。「経営者だったら、何を、どう見たいのか。コーポレート(本社)だけでは限界だ、事業部を知らなければ。」やっと財務部長になったのに、事業部へ異動を希望する。異動話と同時に、急遽思い立ち、2日で研究計画書を書いてビジネススクールを受験する。

・MBA取得直後に、講師の縁から、社外役員を紹介される
 夜間大学院は、昼間の仕事もそこそこに通学することになるだろう…。再び外資Directorに、という転職話も来ていたが、大学院がある間は、慣れた会社に残ることとした。修論のテーマも、長年関わってきた事業の戦略に決めた。
 娘の大学卒業/子育て卒業、私の大学院卒業と3つを同時に卒業した直後、ゲスト講師の縁から社外役員を紹介され、17年半の執行側の生活にピリオドを打つことを決める。

 以上でほぼ全てを語ってしまったので、以降は軽めにさらりと触れる程度にする。

3今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス

 現在、上場会社の社外役員をしている。2年前まで常勤監査役をしていたが、家族が自宅で闘病生活を送ることになり、在宅介護が必要だったため、2年前に常勤を退いている。闘病生活に寄り添うために在宅で仕事でき、非常勤で融通を利かせられたのは有難かったが、在宅介護が終わってしまうと物足りない…のが現在の状態。
 社外役員先の決算期は2月と6月。株主総会が重ならないよう、また、取引関係や競合する業種に配慮する。取引関係があれば独立性を害するし、たとえ子会社の事業でも競合すれば相互に市場を奪い合う。おのずと業種は限定される。2月決算会社が2社あるのだが、連日の株主総会となるため、いずれは3月決算会社で、事業戦略+全社戦略(事業ポートフォリオ)まで考えてみたい。
 また、個人で講師業や内部統制強化等をコンサルしている。

 監査役業務は、2018年の国内子会社監査役から数えて7年になる。フィンテック・ベンチャーで常勤監査役となり監査役監査体制をゼロから作った。そうして初めて監査役監査を理解できた。内部監査も支援したため、内部監査と監査役監査の線引きも意識するようになった。
 一方で、最近では「監査役なのに?」と言われる機会も増えた。5年前、大学院のゼミで、多くの戦略Caseを扱った。中期経営計画の検討議論になるたびに、外部環境分析、内部分析、戦略の評価等で遭遇したCaseと、その時の恩師の板書が浮かぶ。市場規模や人口統計、バリューチェーン、競争優位の源泉や今後の成長余地…。気が付くといつも考えている。もちろん、コントローラー=会社全体の内部統制の責任をもつ者だったから、守りも意識するのだが、監査役が戦略・KPI・組織まで考えてはいけないのか?社外取締役ならば、どこまで許されるのか?

 17年半もの執行側の経験を買われて、社外役員のお話を頂いていると思っている。執行側を離れれば1年、また1年と劣化していく。今はまだ次のキャリアパスが描けないが、在宅介護がなくなった今、改めて何か始めたいと思っている。

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