会計士の履歴書
畔上 裕一郎

株式会社エコリング

経理部 経理部長

畔上 裕一郎

あぜがみ ゆういちろう

映画制作会社出身の個性的なバックグラウンドを持つ。自分にしかできない付加価値を提供

1986年3月4日生まれ(40歳) 長崎県出身 東京都在住

北海道大学 法学部 卒業

畔上 裕一郎

01

キャリアサマリー

2008

株式会社ロックウェルアイズ(映画監督岩井俊二氏の個人事務所)に入所。プロダクションアシスタントとして制作デスク業務から現場の仕事まで様々な業務に従事。

2013

太陽ASG有限責任監査法人(現:太陽有限責任監査法人)に入所。法定監査業務やIPO支援業務に従事。

2016

株式会社エコリングに入社。経理部長に就任。経理・財務を中心に社内ベンチャー制度のバックアップや新規戦略のシミュレーション作成、中小企業へのコンサルティング等幅広い業務に従事。

02

監査法人における経験およびその後のキャリア選択のきっかけ

会計士二次試験に合格した後は、太陽ASG有限責任監査法人に入所した。この監査法人に決めた理由は2つあり、1つは自分が尊敬できる先輩と一緒に働きたかったこと、もう1つはなるべく幅広い業務を早い時期に経験しておきたかったこと、である。大手監査法人では配属されるまで誰の下で仕事をすることになるかが分からず、面接の時に良い印象を持った先輩と仕事ができるかどうかは分からない。一方、中堅監査法人であれば、規模があまり大きくないがゆえに、面接時に良い印象を持った先輩方と一緒に仕事できる可能性が高いと考えた。私は自分にとって一生に一度の会計士キャリアのスタートは自分が尊敬できる先輩のもとで切りたかったのだ。

また、私は巨大クライアントに張り付きで業務をするのではなく、いろいろなクライアントに行ってみたかった。なるべく多くのビジネスモデルに触れておきたかったことと、なるべく早くすべての勘定科目の監査手続きを経験しておきたかったという理由からである。私は初めから監査法人にずっと勤めるつもりはなく、どこかのタイミングで転職予定であった。監査法人のパートナーを目指し一流の監査人になるには、巨大クライアントでの監査経験も必要かもしれない。しかし、会計士として自由にキャリアを積んでいきたかった私はできるだけ幅広い業務を早い時期に経験しておきたかった。

そのような思いで入所した監査法人であるが、私の期待通りの法人であった。面接や説明会でお世話になった先輩やパートナーの方々と一緒に仕事をすることができたし、同期にも恵まれた職場環境であった。業務についても上場会社、会社法上の大会社、IPOクライアント、学校法人等実に様々なクライアントの監査業務に従事することが出来た。

監査法人を出てみてから気付く監査法人での自分の財産は、良質な人脈と監査経験である。監査法人内はもちろんのこと、監査法人の会計士という立場で知り合う仕事関係の人脈は非常に良質であると感じる。監査法人が仕事上関わる組織や人というのは、ビジネスにおいて一定程度実績がある場合がほとんどである。これは監査制度の仕組みを考えれば必然のことかもしれないが、監査法人にいると当たり前のように知り合えるので中にいると意外と気付きにくいと思う。また監査業務というのも、経験したことない人からすると「何をしているか分からない」、「監査する側の人は何が気になるのか分からない」というものらしい。だからこそ監査について知見があるというのは自分にとって財産である。そして監査手続も監査法人にいる時は面倒くさいなと思ってやっていることもあったが、今では自分の引き出しであり、経営コンサルをやる中でも色々な応用が利く経験であったと感じる。

転職のきっかけは友人からの「うちの会社に来ないか?」という声かけであった。当時他にもビッグ4系列のコンサルに勤めている友人やIPOが狙えそうな不動産の事業会社に勤めている友人からもお誘いを受けていた。それでも今の会社(株式会社エコリング)に決めたのは、自分の直観と好奇心である。ビッグ4系列のコンサルやIPOが狙えそうな事業会社は多くの会計士が選びそうな選択肢だ。しかし、姫路の非上場の中小企業というのはたぶん会計士はあまり選ばないキャリアパスだと思う(笑)。多くの会計士が選ぶキャリアパスに進むことは他の多くの会計士と似たような経験を積むことになる。しかし、他の人があまり選ばないキャリアパスであれば、そこでの経験は自分だけの経験値になるし、面白いことが出来るかもしれないと思い今の職場への転職を決めた。

畔上 裕一郎さん

03

今現在の仕事の内容、特徴、キャリアパス

株式会社エコリングでは経理部長を任されている。エコリングは2001年設立の会社で、事業内容はリユース事業を行っている(https://www.eco-ring.com/)。2016年にはホールディングス化し、グループ企業は香港、タイ、カンボジア、シンガポール等アジア各国に進出している。

事業会社に来て一番感じたのは、数字はなまものであり、常に変化しているという感覚である。監査法人にいる時は、四半期や決算期ごとに会社が提出してきた数値が正しいかどうかを監査していたが、その数字は過去のものであり、止まった数字であった。会社の数字がころころ変わったら監査なんて出来ないので、当たり前のことではあるのだが、1か月前の数字についてあれこれ議論していることについてあまり違和感はなかった。一方、事業会社に来て求められるのは、今現在の数値や未来の数値の情報である。今月の業績はどうか?このペースで行くと着地見込みはどれくらいになるか?こういったことを常に考え、状況によっては先手を打つことが求められるのが事業会社の経理である。

エコリングには、財務部や経営企画部といった部署が存在しない。よって財務的な仕事や経営企画的な仕事も経理部の業務内容に含まれてくる。そのため、経理部長の仕事としては、各金融機関や各部署長とのやりとりも多くなってくる。金融機関に対しては単に資金調達して報告してというものに留まらず、決済の方法や取引先とのビジネスマッチング、海外進出についても相談をさせて頂いている。また各部署長に対しては、会社として何かプロジェクトを進める際に、会計処理はどのようになるか?税務的な観点から問題はないか?決済がスムーズに行われるにはどのような仕組みがよいか?といったことの意見交換をさせて頂いている。社長との距離も近いので、経営について社長と直接意見交換をさせて頂く場面も多々あり、経理という枠に留まらず、経営全般の色々な場面に関わらせて頂いていると感じる。

04

あなた独自の強みと今現在の仕事との関係性

公認会計士になるまでの独自のバックグラウンドが私の強みである。

公認会計士になる人の多くは次の3つのケースが多いと思われる。①大学時代に興味を持ち公認会計士試験の勉強を始めて目指すケース、②大企業に就職し、職場で公認会計士に出会う機会があり、自分も一念発起して目指すケース、③親や親戚が公認会計士又は税理士であり小さいころから目指していたケース。時々知り合いの公認会計士の履歴書を見る機会があるが、総じてみんな綺麗な履歴書である。この点私は回り道をして公認会計士になったので他の公認会計士よりも雑草魂があると思っている。

他の公認会計士が試験勉強をしていた大学時代、私はYOSAKOIソーラン祭りのサークルに所属し、全国のお祭りに演舞に行ったり、お祭りの運営に関わったりしていた。また、プロのカメラマン・アナウンサーと共にインターネット番組を制作したり、協賛に走り回ってフリーペーパーを制作したり、イベントの企画・運営等も行っていた。他の公認会計士が大学卒業後大企業に就職する中、私は社員数5人の映画監督の個人事務所に契約社員として入所した。この時期の労働時間は誰にも負ける気がしない。

世界的にも著名な映画監督の下で直接指導されたこともあり、仕事観や仕事の考え方をたくさん学ばせて頂いた。私の親戚には公認会計士や税理士の人はいなかったし、会計の仕事に就く素養はなかったと思う。しかし、私の父親は昼間に仕事をしながら夜間の大学に通い、結果今では東証一部企業に勤めているし、私の母親は学生時代に卓球で全国大会に出場している。自分で道を決めて努力し、突破する力は血筋であり自分の強みと感じている。

会社の経営理念の中に“価値を見出す使命共同体”という言葉がある。私は自分だからこそ提供できる付加価値はないか?という視点で普段業務に取り組んでいるが、その中で会計以外のバックグランドがあることがとても役に立っていると感じる。例えば、社内向けに会計数値について解説する動画を制作して配信したことがあったが、この業務では学生時代と前職の経験が生かされたと感じた。

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仕事をしている中で、心が大きく動いた瞬間

心が本当に大きく動いた瞬間というは正直まだない(笑)。それは私がこれからの公認会計士人生において何か大きなことを成し遂げたり、もしくは、何かドラマチックな場面に遭遇した時に経験することが出来るのかもしれない。しかし、公認会計士という立場で仕事をしていて、定期的に心が満たされる瞬間がある。それは仕事仲間やクライアントから感謝された時である。

「スポットのアサインで期間が短いにも関わらず、きちんと調書を完成させてくれてありがとう」、「監査の時に否定だけではなく、いろいろとアドバイスをしてくれてありがとうございます」、「うちの会社に入ってくれてありがとう」等挙げたらきりがないが、仕事をする中で感謝されたり、必要とされたりする瞬間があることはとても幸せなことだと思う。もちろん公認会計士の仕事以外にも感謝される仕事というのは山ほどある。しかし、専門職である士業はその知識や経験を売る商売であり、他の商売と比べても比較的感謝されやすい仕事なのではないかと私は感じている。凹んだ時や自信を失くしている時も感謝されると、また頑張ろうという気になれる。試験勉強はもちろんのこと、受かった後も常に知識をアップデートしないといけないのは専門職の大変なところである。だが、その分苦労して手に入れた知識を使って困っている人を助けることができると、とても充実感を得ることが出来る。これが士業の醍醐味であると考える。

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公認会計士という仕事に関連して深く悩んだこと、それをどのように乗り越えたか

監査法人時代に自分は公認会計士に向いていないのではないか?と思うことが多くあった。周りには優秀な公認会計士の先輩がたくさんいたので、自分は2、3年後この先輩と同レベルの仕事ができるのだろうかと不安になることが多かった。仕事ができる同期の話を聞くと、自分はこの仕事向いていないんじゃないかと落ち込むこともあった。

そんな私の悩みに対して、考え方を変えるきっかけとなったのがとあるテレビ番組である。番組名は忘れてしまったが、内容としては最近テレビで見なくなったあのお笑い芸人は今何しているのか?といったものである。その番組によると、最近テレビで見なくなった芸人も別の仕事で生計を立てており、結構裕福な生活をしていた。人によってはテレビに出ていた時より稼いでいる芸人さんもいた。考えてみれば、一口に芸人といっても、漫才をする人もいればコントをする人もいる。そして元は漫才をしていた人でも今では番組の司会者や飲食店経営者、役者、映画監督等を専門にしている人も多く、仕事の幅は多岐に渡っている。漫才やコントが面白い順に年収が高いわけではなく、皆それぞれの仕事で年収もバラバラである。漫才やコントが得意な人はM―1やキングオブコントを目指せばいいし、そこまで面白くない人は、別の道を目指せばよい。しかし、別の道を目指す人も芸人であること自体を否定することなく、芸人として培った経験をもとに他の自分の強みを生かして別の仕事をすればいいのである。このお笑い業界の実情を見たときに、これって公認会計士業界も当てはまるのではないかとひらめいたのだ。

監査が得意な人は監査法人に残ってパートナーを目指せばいいし、IPO業務が得意な人はベンチャーに行ってIPOを目指せばいい。監査業務があまり得意でないなと感じたら、その経験値をもとにまったく別の仕事をやってもよい。公認会計士の独占業務は監査業務であるが、それ以外の仕事をしてはいけないとはどこにも書いていない。公認会計士の仕事には無限の可能性があるのだ。吉本の無名の芸人が一般人と比較するとはるかにしゃべりが上手なように、公認会計士業界においては平均的なレベルの公認会計士であっても、一般人と比較するとはるかに会計知識に詳しい人に分類される。私は自分で勝手に公認会計士の仕事の幅を狭く考え、勝手に悩んでいただけなのだということに気が付いたのだ。

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人生の目的と公認会計士という資格

私の人生の目的は「地方(できれば地元)で気の合う仲間と楽しく仕事をして、家族を大切にし、今際の際にはたくさんの人が集まってくれるような人生を送りたい」である。例えるならばサマーウォーズ(映画)の栄おばあちゃんが目標(笑)。この目的・目標を達成するためのアプローチとして、例えば私は地元での起業もしくは起業をサポートできるコンサルティング兼会計事務所の設立を考えている。この計画を実現するに際して、公認会計士という資格はとても役に立つと私は確信している。

最初の会社を辞めた後、私は実家の栃木に帰った。もともと地域活性につながる仕事がしたいと思っていたこともあり、時間もあったので日中は町議会を傍聴しにいった。色々な議論が行われていたが、そこで私が得た結論は、“詰まるところ町にお金がないから活性化が上手く進んでいない”というものであった。また、地域の人々の話を聞く機会も多くあったが「就職先が見つからない」、「将来が不安」というような内容が多かった。傍から見ると無職の男がプラプラしているだけのように映っていたかもしれないが、この経験で私の考えは大きく変わった。

当時の私の地域活性のイメージは「地域が盛り上がるお祭りをやる」、「地域で映画を作る」といった華やかなことをやることであった。しかし、議会の傍聴や地域の人々の声を聞いて「まず取り組むべきは経済的な安定する基盤を作ることだ」というふうに意見が変わったのだ。経済的な不安を抱えた状態での地域活性などありえないし、楽しく仕事が出来るわけがない。これを解決するには、みんなが安心して働ける会社を私が作るか、組織に依存しなくても自分でお金を稼げるような環境を整えるかのどっちかであるなと私は考えたのだ。

みんなが楽しく稼げる環境が出来れば、町にも税金がたくさん入るので、経済的な安定性もより加速すると考える。そうなればきっとみんなの顔が自然と笑顔になり、理想の地域活性ができるのではという仮説を立てたのだ。会社を作るにしても、コンサルをやるにしても、公認会計士としての経験は大いに役に立つはずである。今私が勤めているエコリングも姫路を本社に持つ企業であり、地方に拠点を持つ企業という観点で色々と学びが多い環境である。

地域の仲間と協力しながらみんなで楽しくお金を稼ぐ、仕事の後はみんなで集まっておいしいお酒を飲む、オフの時は家族とゆったりした時間を過ごす、誰かにおめでたいことがあったらみんなで祝う、子育ては地域ぐるみでみんなでやる、困ったときはみんなで助け合って、うれしい時はみんなで喜びを分かち合う、こんな生活が私の理想である。

畔上 裕一郎さん

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これから成し遂げたい事、将来の夢

先ほど将来成し遂げたいこととして“起業”・“事務所の設立”と書いたが、他にも“教師”・“地方議員”という仕事も経験しようと思っている。“教師”になって実現したいのは、簿記の知識をもっと広めること。“地方議員”になって実現したいことは町の財政基盤の強化である。

私が公認会計士の勉強を始めたのは23歳の時であり、簿記を学んだのもこの時が初めてであるが、私は簿記の勉強をしていて「なぜもっと早くにこの知識を勉強しておかなかったのか」ということをすごく感じたのだ。それは、簿記の仕組みや考え方というのは、すごく洗練されたものであり、その知識は社会人として働く上でとても有用な知識であると感じたからだ。

だからこそ私は教師となって学生に対して簿記を教えたいと思っている。今でも商業高校なんかでは簿記を教えているが、私としてはもっと踏み込んだ本気の簿記を高校で教えたいと思っている。卒業までにとりあえず簿記2級を取るとかではなく、クラス全員が簿記1級を目指すようなクラスを作ってみたい。そして得意な人は簿記1級に留まらず、在学中に公認会計士試験を合格するような高校を作ってみたい(実際に高校生での公認会計士合格者が出ているため環境さえあれば不可能ではないはずである)。

机の上で勉強するだけではつまらないので、勉強して身につけた簿記の知識を使って、文化祭の出店で大きく稼ぐにはどのようにしたらいいかをクラスみんなで討論しても面白い。もしくはクラスみんなで株式会社を作って授業と並行して商売をしても面白い。上手くたくさん稼げた学年はそのお金で修学旅行を豪華にしてもよいと思う。それを見た後輩たちが俺らはもっと稼ぐぞとさらに頑張る。そんな高校生が世の中にたくさん出てきたら世の中はきっともっと面白くなるのではないだろうか。そしてそんな教え子の何人かが卒業して数年後、私に連絡をしてくるのである「畔上先生、僕たちが作った会社最近大きくなってきたので是非監査役をやってくれませんか?」と。よく教師の人が、教え子が20歳になったら一緒にお酒を飲みたいということを言ったりするが、教え子と一緒に会社を経営して世の中を良くしていけたらこんなに楽しい教師人生はないと思う。

後半は少し妄想が入っているが(笑)、この段階まで来たら是非“地方議員”をやってみたい。地方議員になることをゴールとするならば、今でも本気で頑張ればなれないことはないと思っている。しかし、今の私が議員になってもやりたいことを実現することが難しいのではと考えている。仕事もそうであるが何をやるにも一人の力では大したことは出来ない。みんなが協力しあうから大きなことが出来るのである。起業(又は事務所設立)、教師というキャリアによってたくさんの仲間を作り、満を持して地方議員になる予定である。やりたいことがてんこ盛りであるが、人生100歳時代、やりたいことは年齢に関係なく挑戦していくつもりである。

畔上 裕一郎さん

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キャリアを模索する会計士、会計士受験生へのアドバイス

“そっちの方がいい人生”をモットーにとにかく行動すること!

“そっちの方がいい人生”というのは佐藤尚之さん(通称さとなおさん)という方のブログ記事の言葉で私のすごく好きな言葉である(『www.さとなお.com』http://www.satonao.com/archives/2011/02/post_3119.html)。公認会計士試験に落ちたとか、監査法人の面接で落ちたとか、その瞬間は人生の大きな節目のように感じるが、それ自体は自分の人生がいいものになるかどうかとは全く別問題であると私は考えている。それにも関わらず、試験の結果や面接の結果について重く考えすぎる人が多いのではと感じることがある。もちろん試験にしても、面接にしても最大限の努力をして臨むべきだし、その努力が報われたらやはり嬉しい。しかし、最大限努力をして結果が出なかったのであればそれは仕方のないことであって、それ以上でもそれ以下でもない。

私は短答式試験に合計4回落ちている。落ちている期間は辛かったし、早く受かりたいと思っていた。しかし、今振り返ると4回落ちてよかったなと思っている。なぜならば私は監査法人の同期に非常に恵まれたと思っているからだ。これは結果論であるが、私がこの同期と同期になるには、私は4回短答式を落ちる必要があったのだ。もう少し早く受かっていたら今の同期は後輩になっているはずである。先輩後輩という人間関係と同期とはまったく違う人間関係だと思うので、私は今のメンバーと同期になれて本当に良かったと感じている。

就職についても、実は私は最初の職場は会社都合で退社している。いわゆるクビである。その宣告を受けた日が私の誕生日だったので当時のことは今でも鮮明に覚えている(笑)。その瞬間はとてもつらかったし、もう人生終わったと思った。しかし、そこでクビになったからこそ今私は公認会計士なれたわけである。おそらくあのまま映画の仕事を続けていたら年収は今よりだいぶ低かったであろう(笑)。

私たちは神様ではないのだから、試験の合否や就職の成否が人生にどう影響するかはその時には分からない。試験に合格することや希望の監査法人に内定がでることが、必ずその人のいい人生に繋がるとは言い切れない。場合によっては不合格の方がいい人生になる場合もある。それであれば、結果についてあれこれ考えるよりも、結果は結果として受け止めて素早く行動した方がよっぽど有意義である。監査法人就職時にどこの監査法人にするか悩む人も多いと思うが、私としてはどこがいいかなんてその時には分からないのだから直観でさっさと決めてしまうのが一番よいと思う。内定が出たあとにどっちにしようか時間をかけて迷っている試験合格者と、内定が出た瞬間に内定承諾を出して、他の試験合格者が悩んでいる間に監査法人のパートナーとコミュニケーションを取り、熱意を伝えている試験合格者であれば、どちらが監査法人に大切にされるかは明らかであると思う。

公認会計士試験でも、考えて分からない問題は飛ばすのが正解だが、人生の決断においても考えても分からないものは直観で決めてよいと思う。悩んで決断を遅らせるよりも、早く決断し、下した決断が結果的に良かったねと思えるように最大限行動する方が、結果自分の人生がいい方向に向かう可能性は高いからである。この文章を読んでいる人は公認会計士、公認会計士試験合格者、公認会計士試験受験生、公認会計士試験を諦めた人等、色々な人がいると思うが、きっとほとんどの人が何かしら会計に関わる仕事をするのであろう。同じ会計人として共にいい人生を歩んでいきましょう。