ベトナムにおける日系会計事務所のリーディングカンパニー。あらゆる経験、失敗、学びを継承することで100年継続する企業へ
【第2回】
I-GLOCALグループ(IGLグループ) /
ベトナムにおける日系会計事務所のリーディングカンパニー。あらゆる経験、失敗、学びを継承することで100年継続する企業へ
【第2回】
I-GLOCALグループ(IGLグループ) /
今回特集でご紹介するのは、ベトナムで圧倒的な実績を誇る日系会計事務所、I-GLOCALグループ(IGLグループ)です。会計士である蕪木優典(かぶらぎゆうすけ)さんが2003年に創業してから、ベトナムにおける日系会計事務所のパイオニアとして注目を浴びています。現在、ベトナムでリーディングカンパニーとして事業展開するIGLグループのこれまでの歩み、現在の強みや今後の展望について紹介します。
本特集は、3回に分けて掲載いたします。第2回は、IGLグループの誕生の背景とこれまでの歴史についてです。
※蕪木さんの該当履歴書はこちらを参照。
国際会計事務所特集はこちらを参照。
創業者である蕪木優典さんは、日本人で初めてベトナム公認会計士を取得され、前回記載の通り、現在はベトナムを主な拠点として、会計・税務に留まらず、現地拠点の設立手続や人事労務、監査等までトータルサービスを展開され、圧倒的なシェアをとることに成功しています。日本の公認会計士を取得されながら、ベトナムで起業するという稀な選択をされた背景、またリーマンショックやコロナ禍という危機を経験され、どう対応してきたのでしょうか。
蕪木さんは学生時代を有数の進学校で過ごし、優秀な人が多い環境の中で、自分には何ができるのか、自分にしかできない分野はなにかを考えることが多かったと言います。大学に進学してから、自分はサラリーマンには向いていないと感じ、専門性を身につけようと会計士を目指します。
また、同時期に、親戚がベトナムでビジネス上のプロジェクトに携わっており、それに同行し、94年(当時22歳)に初めてベトナム・ハノイを訪れます。会計士を目指すときと同じタイミングでベトナムに出会っていたのです。
当時のベトナムは経済的には貧しいものの、若い人々のエネルギーに溢れており、魅力的に映りました。その後も機会がある度に訪れ、会計制度や税制も無いに等しいベトナムの状況に野心を覚えました。「将来ベトナムで仕事をすれば、生きた証を残せるのでは」という想いで勉強に励み、二次試験合格後、まず監査法人でキャリアを積んでいきます。
蕪木さんは監査法人で勤務して3年目の時に、ベトナム駐在を勝ち取ります。ベトナム事務所の駐在員が日本への帰国を希望しており、後任者を探しているというタイミングでした。現在は監査法人入社3年目では海外駐在のチャンスはなかなか回ってこないかと思いますが、当時はアジアに拠点を置いている監査法人自体が珍しく、アジアへの駐在希望者が多くなかったこともあり、チャンスが巡ってきたのです。
日本では2,3年目という立場でしたから、スタッフ業務がほとんどでした。しかし、ベトナムに赴任するとマネージャー業務を担当することになります。営業をして仕事を取ってくることを期待され、現地スタッフと顧客の間に立ってマネジメントをすることが、蕪木さんのベトナム駐在での主な仕事でした。慣れない海外生活に加え、慣れない業務にも追われました。現地スタッフの経験が浅く初歩的なミスが多かったので、そのカバーをしなくてはいけないといったことも多く、心身ともに大変な毎日でした。また、日系企業がベトナムに進出するという機会も今より少なく、困難を伴いましたから、顧客自身もトラブルを多く抱えていたといいます。
しかし、時間や内容を厭わずに顧客が困っていることに真摯に対応していった結果、徐々に信頼関係を構築していくことができたといいます。
ベトナム駐在3年目、所属していた監査法人が解体するという出来事が起き、それをきっかけに蕪木さんは退職を決意します。ベトナムで起業することは経済的には難しいことだと想像できたのですが、当時30歳の蕪木さんは決断されます。その決断に至った背景には、3年間の駐在経験と、駐在期間中にベトナム公認会計士を取得していたこと、そして、監査法人の上司の後押しがあったようです。当時の上司に退職の相談をしたところ、「とりあえず2年頑張ってやってみろ。ダメだったらまた自分の所に引き戻してやる」と背中を押してくれたそうです。
そして2003年、ベトナムにおける日系初の会計事務所として起業しました。これまで駐在員として顧客と信頼関係を築いていたこともあり、当初から顧客は10社超という状況でした。
ただし、売上はまだ小さく、顧客から依頼されたら何でもやるという姿勢でいたそうです。連結パッケージを作ってくれと頼まれれば急いで作り、小さな仕事も何でもこなしていきました。そういった姿勢が評価され、BIG4や金融機関からも仕事を紹介してもらうことができ、起業してから3年後の2006年には、何とか事業を軌道にのせることができるという確信が持てたそうです。
世界的に金融危機となり、日本経済の大幅な景気後退と繋がったリーマンショックは、創業以来順調に業績を伸ばしてきたIGLグループにも影響を与えました。
IGLグループは、創業から売上は右肩上がりに順調に推移していましたが、リーマンショック時に初めての危機を経験します。売上前年比25%減という状況になり、コストカットの検討を余儀なくされました。そこで蕪木さんは、自身の給与と経費をゼロにした上で、従業員のリストラも実行します。
その結果、最終的には増益という形になりました。創業以来、初めての減益の危機に直面したものの、コストの見直しに成功し、結果的に収益性を上げることができました。そういう意味では、リーマンショックという危機は、危機的状況に陥った時の対処方法を経験値として持つことができる、良い機会であったと捉えているそうです。
コロナ禍において、突然テレワークを強いられ多くの企業が混乱に陥ったのは記憶に新しいことです。しかし、IGLグループはコロナ禍以前から業務効率化の観点からテレワークを導入していました。ベトナムは日本よりもさらにテレワークが普及していない状態でしたが、先行してIT化を推進しており、コロナ禍の逆境を味方につけてうまくテレワークを浸透させることに成功しました。
また、蕪木さんはこう述べています。
「危機的状況において重要なことは、素早い意思決定がなせるかということです。トップダウンで構わないので、早く方針を打ち出すこと。これにより不透明な状況でも、不安に左右されることなく盤石な体制が築け、社員一丸となって同じ方向を見る強い結束力を生み出すことができるのです」。
トップの意思決定の早さにより、300人超の従業員が一丸となって危機的状況に立ち向かうことができたのではないでしょうか。
そして、リーマンショックに続き、コロナ禍においてもコスト見直しに成功しています。
ただし、誤認してはいけないのは、とにかくコストを削減して利益を生み出そうとする、ということではないのです。必要ではないところを削って、必要なところにはしっかりコストをかける、これが本来のコスト見直しです。コロナ禍において、IGLグループは社員旅行などの不要不急な経費を削減し、従業員の給与を維持、業務のオートメーション化に注力するという方針を明確に打ち出しました。
また、このような時期だからこそ、既存顧客との関係は最も大切にしています。顧客も危機に直面しているわけですから、顧客が何に困っているのか、IGLグループで何ができるのかを話し合い、積極的に提案していくことで、新しい道が開ける、と。顧客に寄り添うという、IGLグループのコンセプトを貫くことで、コロナ禍においても仕事を広げることができたのです。
本特集の第1回はこちらから
インタビュアー:桑本慎一郎